林間学校へ出発! バスの座席は修羅場とソフトクリームの味がする
林間学校の朝。 九条家の食卓は、いつも通りのカオスと平和が同居していた。
「……おい、湊。確認だが、現地での戦闘(調理)に備えて、私の『愛剣』は持ったか?」 「持ったよ。あと、包丁とまな板な。武器じゃなくて調理器具だからな」
リュミエは朝からトーストを3枚平らげ、さらにデザートのヨーグルトを舐めている。 その横で、父さんが新聞を読みながら、深いため息をついた。
「はぁ……林間学校の費用、意外と高いんだよなぁ……。家の修繕積立金が……」 「あらあら、いいじゃないのあなた。若い頃の思い出はプライスレスよ?」
母さんはニコニコしながら、俺にお弁当(バスで食べる用)とお小遣いを渡してくれた。
「いってらっしゃい、湊ちゃん、リュミエちゃん。……あと、もう一人の『お友達』とも仲良くね?」 「……母さん、知ってるのか?」 「女の勘よ」
母さんはウィンクした。 この人には勝てない。俺は苦笑いしながら、リュミエと共に家を出た。
◇
学校に到着すると、校庭には大型バスが並んでいた。 クラスメイトたちが浮足立つ中、俺たちの班のバスに乗り込もうとした時――。
「――遅いですよ、泥棒猫」
タラップの上から、冷ややかな声が降ってきた。 そこには、ウチの制服を完璧に着こなし、腕を組んで仁王立ちする黒髪の美女――エクレアがいた。 猫耳と尻尾は隠しているようだが、その鋭い目つきだけで周囲の男子生徒を石化させている。
「な、なんでお前がここにいるんだよ!」 「言ったはずです。貴様の『テスト』をすると。……それに、殿下の護衛に休みはありません」
彼女は当然のように、俺たちのバスに乗り込んでくるつもりだ。 担任の貞松先生は「ああ、引率の補助員(という名目の不審者)か……面倒だから許可した」と死んだ目で呟いていた。先生、仕事してくれ。
「さあ、殿下。お席はこちらへ」
エクレアが示したのは、バスの一番後ろ。 5人掛けのロングシートだ。
「私が殿下の隣で、安全を確保します。そこの泥棒猫は、一番前の補助席がお似合いです」
「断る」
リュミエが即答し、俺の腕をガシッと掴んだ。
「湊の隣は私だ。道中、マナの補給もしなければならんしな」
「で、殿下!? なりませぬ! これ以上、その男に近づいては……!」
バスの中で始まる口論。
他の生徒たちが「修羅場だ……」「すげぇ、両手に花(猛獣)じゃん」とニヤニヤ見ている。 結局、リュミエの鶴の一声で、座席はこう決まった。
【 エクレア 】 【 湊 】 【 リュミエ 】
俺を真ん中にして、左右を銀河最強の二人に挟まれるという処刑席である。
「……狭い」
「寄りかかるな、泥棒猫。斬りますよ」
右からはエクレアの殺気と、ジャージ越しでも分かる引き締まった太ももの感触。 左からはリュミエの甘い匂いと、俺の腕に絡みついてくる柔らかい感触。 天国と地獄のミルフィーユだ。俺の胃がキリキリと鳴いた。
◇
1時間後。 バスはトイレ休憩のため、高速道路のサービスエリアに到着した。
「空気! 外の空気がうまい!」
俺は逃げるようにバスを降り、深呼吸した。 車内での冷戦(エクレアによる無言の肘打ちと、リュミエによる対抗マウント)で、精神が削られきっていた。
「おい、湊! 見ろ、あそこに『白い渦巻き』があるぞ!」
リュミエが売店の方を指差して目を輝かせている。ソフトクリームだ。
「あれは地球の氷魔法か? ぜひ所望する!」
「はいはい。……エクレアも食うか?」
「は? 私がそのような下等な菓子を口にするわけが……」
と言いつつ、彼女の視線はソフトクリームに釘付けだ。 猫は好奇心が強い生き物なのだ。 俺は3つ買って、二人に手渡した。
「……ふん。毒見をしてあげるだけですからね」
エクレアはツンとした顔で、真っ白なクリームを警戒するように見つめる。 そして、ピンク色の小さな舌を出して、ペロリと舐めた。
その瞬間。
「――にゃッ!?!?」
エクレアが飛び上がった。 猫耳がピンと立ち、目が丸くなる。
「つ、冷たいっ!? なんですかこれ! 攻撃魔法!? 舌が……舌が痺れます!!」
「……お前、もしかして猫舌か?」
「失礼な! 熱いものが苦手なだけです! ……冷たいのも苦手なだけです!」
彼女は涙目で舌を出してハフハフしている。 クールな騎士団長の面影はどこへやら。 その横で、リュミエが得意げに笑った。
「ふふん。まだまだだな、エクレア。地球のグルメを味わうには修行が足りんぞ。……ほら、こうするのだ」
リュミエはクリームを大きく頬張り、うっとりとした顔をする。
「んぅ……甘い。湊、あーん」
「はいはい」
「……ぐぬぬ……!」
エクレアは悔しそうに、でも恐る恐る、もう一度ソフトクリームに挑む。 チロリ、と舐めては「冷たっ!」と身を震わせるその姿は、完全に餌付けされた猫だった。
「……意外と可愛いとこあるじゃん」
俺がボソッと言うと、エクレアがカッと顔を赤くして睨んできた。
「なっ……! か、可愛くなどありません! あとで覚えてなさいよ、泥棒猫!」
捨て台詞を吐きつつも、ソフトクリームは完食していた。 こうして、波乱の林間学校への旅路は、甘くて冷たい幕開けとなったのだった。




