黒き雷光、校庭に降り立つ
翌日。5時間目の体育。 抜けるような青空の下、俺たちは校庭でサッカーをしていた。
「権田! パスパス!」 「おう!」
俺は権田からのパスを受け、ゴール前に切り込む。 平和だ。 林間学校のカレーの話で盛り上がっていた午前中と同じく、そこにあるのは普通の高校生の日常だった。
ただ一つ、グラウンドの隅で腕を組み、仁王立ちしている銀髪の美少女を除けば。
「……ふん。球体一つを大人数で追い回すとは。地球人の娯楽は効率が悪いな」
見学中のリュミエだ。 彼女は体育着姿ですら、どこか高貴なオーラを放っている。 というか、尻尾がジャージの中で蠢いているのが見えるので、正直ハラハラしてサッカーどころではない。
俺が苦笑いしながらシュートを打とうとした、その時。
ゾクリ。
背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。 俺の感覚じゃない。 これは――リュミエの感覚だ。
「……ッ!?」
グラウンドの隅にいるリュミエを見る。 彼女は空を見上げ、目を見開いていた。 その表情に浮かんでいたのは、「恐怖」ではなく――「げぇっ」という、とてつもなく面倒な親戚が来た時のような顔だった。
「……来たか。あのストーカー猫め」
彼女がそう呟いた瞬間。 世界から「音」が消えた。
ピシャァアアアアアアンッ!!
青空が、黒く裂けた。 雷だ。 だが、それは自然界の稲妻ではない。 禍々しいほどの漆黒の雷光が、校庭のど真ん中――俺とキーパーの間に、一直線に突き刺さった。
「うわぁああああッ!?」 「な、なんだぁあ!?」
爆風。 俺は吹き飛ばされ、砂煙の中を転がった。 耳鳴りがする。校舎の窓ガラスがビリビリと震えている。 隕石でも落ちたのか?
「……湊! 無事か!」
「ごほっ、ごほっ……なんとかな」
駆け寄ってきたリュミエに支えられ、俺は身を起こした。 砂煙が晴れていく。 そこには、信じられない光景が広がっていた。
サッカーコートの半分が消滅していた。 アスファルトと土がえぐれ、直径10メートルほどのクレーターができている。 そして。 その中心に、一人の「女」が立っていた。
「…………」
息を呑むほどに美しい、黒髪のボブカット。 身長はリュミエと同じくらい高いが、より鋭利で、研ぎ澄まされたナイフのような肢体。 身に纏っているのは、漆黒の軍服にも、ボンデージスーツにも見える、ボディラインを強調した戦闘服だ。
そして何より異様なのは――。 彼女の頭には、夜闇のように黒い「猫の耳」が生え、腰からはしなやかな「二股の尻尾」がゆらりと揺れていたことだ。
猫又? いや、あんな禍々しい猫がいてたまるか。
「……座標固定、完了」
女が、ハイヒールで瓦礫を踏み砕きながら、ゆっくりと歩き出した。 その瞳は、爬虫類のように縦に割れた金色。 彼女は周囲のパニックになっている生徒たちなど眼中にない様子で、真っ直ぐにリュミエを見据えた。
「お久しぶりです、リュミエ殿下。……このような汚い星の、泥臭い校庭は、貴女様にはお似合いになりませんよ」
鈴のような、だが冷徹な声。 リュミエが溜息をつき、前に出る。
「……久しいな、エクレア。相変わらず派手な着陸だ。校庭の修繕費は帝国の経費で落ちるのか?」
「殿下のためなら、星の一つや二つ、経費で買い取ります」
エクレアと呼ばれた女は、優雅に一礼した。 その動作一つ一つが、洗練された武人のそれだ。ヴォルグとは「格」が違うことが、素人の俺にも分かる。
「お迎えに上がりました、殿下。さあ、帰りましょう。皇帝陛下もお待ちです」
「断る」
「……また、そのような冗談を」
エクレアの目が、すぅ……と細められた。
――その時だった。
エクレアの斜め下から西園寺先輩が薔薇の花束を抱えて、スっと現れた。
「どっから涌いたんだ?」「さあな」
権田と俺の突っ込みなど聞こえない西園寺先輩は、エクレアの手をとる。
「君は天から堕ちてきた黒猫ちゃんかい? 大丈夫、どうだい?ラスベガスを一週間二人で貸し切ってみないか?さあ、僕の腕の中に……」
バチィンッ!!
エクレアは視線すら向けず、鬱陶しそうに裏拳を振り抜いた。それだけで、黒い雷撃が発生した。
西園寺先輩は美しい放物線を描き、校舎の向こう側へと消えていった。 静まり返るグラウンド。 エクレアは何事もなかったように、手袋についた埃を払った。
「……さて、殿下」
彼女の金色の瞳が、リュミエの隣にいる「俺」を捉える。
「……そこの、薄汚い原始生物に唆かされたのですか?」
「ッ!?」
殺気。 さっきのギャグが嘘のように、心臓が鷲掴みにされた。
「……見つけましたよ」
エクレアが、空間を滑るように移動した。 速い。瞬きする間に、俺の鼻先数センチまで肉薄していた。 整いすぎた美貌が、能面のような冷たさで俺を見下ろしている。
「貴様ですね。高貴な姫様をたぶらかし、あまつさえその身体に触れた、万死に値する泥棒猫は」
彼女の黒い尻尾が、鞭のようにしなり、先端からバチバチと黒い雷を放っている。
「……殺します」
「待てッ!!」
俺の首が飛ぶ寸前、リュミエが割って入った。 彼女は俺を背に庇い、エクレアを睨みつける。
「やめろ、エクレア。……その男に手を出せば、幼馴染だろうと容赦はせんぞ」 「……」
エクレアの動きが止まる。 彼女は驚いたように目を見開き――次いで、悔しそうに唇を噛み締めた。
「……殿下が、そこまで仰るのですか。あのような貧弱な個体を?」 「そうだ。湊は私のつがいだ。誰にも傷つけさせん」
リュミエの言葉に、エクレアの表情が歪む。 それは明確な「嫉妬」だった。
「……認めません」
エクレアは、ギリッと歯ぎしりをして、俺を指差した。
「認めませんよ、殿下! 私は、殿下がオネショをしていた頃からお世話をしてきたのです! どこの馬の骨とも知れぬ男になど、殿下の隣は渡せません!」
「……おい、余計な過去をバラすな」
「決闘です!!」
エクレアは高らかに叫んだ。 校庭中にその声が響き渡る。
「おい、そこの泥棒猫! 貴様が殿下のつがいに相応しいかどうか、この私がテストしてあげるわ! 不合格なら、その首をへし折って肥料にする!」
……どうやら、ヴォルグより遥かに面倒くさい奴が来てしまったようだ。 俺の平穏な日常は、黒い雷と共に、再び粉々に砕け散った。




