林間学校のお知らせと、黒き雷光の接近
その日、HRの時間に、担任の貞松先生が気だるげにプリントを配った。
「えー、来週は林間学校だ。場所は奥多摩の山奥。2泊3日のキャンプ生活になる」
教室が「うぇー、めんどくせぇ」「スマホ電波入んのかよ」とざわつく。 そんな中、俺の隣で目を輝かせている皇女様がいた。
「おい、湊。『リンカンガッコウ』とは何だ? 新たな侵略作戦か?」
「違うよ。みんなで山に行って、カレー作ったりキャンプファイヤーしたりする行事だ」
「ほう! 野外炊飯か!」
リュミエが身を乗り出す。 彼女の脳内変換機能が、即座に都合の良い解釈を弾き出したようだ。
「つまり、山に潜む獣を狩り、その肉を炎で炙って喰らう……原始的だが、実に興奮する儀式、バーベキューだな!」
「狩りはしないぞ。肉はスーパーで買うんだ」
「チッ、世知辛いな地球人は。……まあいい。マシュマロという白くてフワフワした供物もあると聞いた。楽しみだ」
尻尾がスカートの下でパタパタと揺れている。 ご機嫌だ。 契約の副作用で、俺の胸の奥にも彼女の「ワクワク」が伝わってきて、なんだか少しこそばゆい。
「湊、班決めどうする? 私と一緒でしょ?」
前の席から、陽葵が振り返った。 当然のように俺の班に入ろうとしている。
「あ、ああ。頼むわ。俺、リュミエの監視で手一杯になりそうだし」 「もう、しょうがないなぁ。私がいないと湊は何もできないんだから」
陽葵は呆れたように言いながらも、嬉しそうだ。 その様子を見て、リュミエが目を細める。
「……おい、そこのちんちくりん」
「誰がちんちくりんよ!」
「湊の隣は私の指定席だ。カレーの具材を切るのも、夜のテントで枕を並べるのも、すべて私が管理する」
「はぁ!? 男女はテント別々でしょ常識的に!」
いつものように火花を散らす二人。 俺は苦笑しながら、窓の外の青空を見上げた。 平和だ。 世界を滅ぼす危機を乗り越えた今、こんな日常がずっと続けばいいと、本気で思っていた。
――その時までは。
◇
一方、その頃。 学校から数キロ離れた国道沿いの工事現場。
「オーライ、オーライ! はいストップ!」
元・銀河帝国近衛騎士、ヴォルグ(会社登録名:田中)は、汗だくで誘導棒を振っていた。 地球での生活も板につき、最近では現場監督から「お前、筋がいいな」と褒められるまでになった。 悲しい適応力である。
「ふぅ……休憩か」
ヴォルグはヘルメットを脱ぎ、自販機で買った缶コーヒーを開けた。 甘ったるい液体が、疲れた体に染み渡る。
「……平和だな」
皇女リュミエ様が地球に留まることを決めてから、本国からの干渉は一時的に止まっていた。 ヴォルグの虚偽報告(『現在、極秘潜入調査中』)が功を奏しているのだ。
だが。 騎士の鋭敏な感覚が、上空の異変を捉えた。
「……ん?」
空気が、ビリビリと震えている。 工事の騒音ではない。 もっと高周波の、肌を刺すような静電気の予兆。
ヴォルグは空を見上げた。 雲ひとつない青空。 だが、彼には見えた。 空間の裂け目から、光学迷彩を纏った一隻の小型艦が、音もなく降下してくるのを。
「……馬鹿な」
ヴォルグの手から、缶コーヒーが滑り落ちた。 地面に黒い液体が広がる。
「あの機影……鋭角的なフォルムに、漆黒の塗装……。まさか、強襲揚陸艦『フェンリル』!?」
ガチガチと歯が鳴る。 あれは、帝国の正規軍ではない。 近衛騎士団の中でも、たった一人にしか運用を許されていない、特注の個人艦だ。
「なぜだ!? なぜ『あの方』が直々に……!?」
ヴォルグの脳裏に、かつての上司であり、帝国最強の武人の姿が浮かんだ。 冷徹にして残酷。 そして何より、リュミエ皇女に対して異常なほどの執着を持つ、あの女。
「……あわわわ……エ、エクレア様が……来ちまった……!!」
ヴォルグは頭を抱えてしゃがみ込んだ。 終わった。 平和なバイト生活も、湊とリュミエのラブコメも、すべてが終わる。 嵐が来る。 全てを切り裂く、黒い雷光のような女が。
「……湊。逃げろ。今度ばかりは、ただじゃ済まないぞ……」
ヴォルグの悲痛な呟きは、工事現場のドリル音にかき消されていった。




