世界が終わるその前に、君と最後のデートをしよう
家に帰ると、そこには残酷なほどの日常があった。
「遅いぞ、湊。腹が減りすぎて、もう少しで隣家の犬を捕食するところだった」
リビングのソファで、リュミエが不満げに頬を膨らませていた。 その顔色は、朝よりも少し悪く見えた。 白い肌が、どこか陶器のように透き通って見えすぎるのだ。
……無理をしている。 ヴォルグの言葉が脳裏に蘇る。 彼女は今、ここに座っているだけで、命を削っている。
「……湊? どうした、顔色が悪いぞ。学校で西園寺にでも絡まれたか?」
「え、あ、ああ……ちょっと疲れただけだ」
俺は必死に笑顔を作った。 ここで「お前のためだから帰れ」と言えれば、どんなに楽だろう。 でも、俺を見上げる彼女の紅い瞳が、あまりにも無垢で、信頼に満ちていて。 喉まで出かかった言葉が、鋭い棘になって胸に刺さった。
(……言えるわけ、ないだろ)
俺はキッチンへ向かいながら、背中で彼女に問いかけた。
「なぁ、リュミエ」
「ん?」
「明日、日曜日だし……どっか行くか?」
「ほう。ダンジョンか?」
「違う。……デートだ」
包丁を握る手が震えないように、俺は力を込めた。
包丁を握る手が震えないように、俺は力を込めた。
「お前、まだ東京観光してないだろ。スカイツリーとか、浅草とか。……行きたいところ、全部連れて行ってやるよ」
背後で、ガタッとソファが鳴る音がした。
「で、でぇと……!? つがい同士の、求愛の儀式か!?」
「まあ……そんなもんだ」
「い、行く! 当然行くぞ! ふん、貴様にしては殊勝な心がけではないか!」
彼女の声が弾んでいる。 尻尾がブンブンと空気を切る音が聞こえる。 俺は振り返ることができなかった。 今、振り返ったら、きっと泣きそうな顔を見られてしまうから。
◇
翌日。快晴。 集合場所のリビングに現れたリュミエを見て、俺は息を呑んだ。
「……どうだ、湊。母上に見繕ってもらったのだが」
彼女は、白いワンピースにデニムジャケットを羽織り、髪をハーフアップに結っていた。 いつもの「尊大な皇女様」ではなく、どこにでもいる「年相応の美少女」の姿。 あまりにも似合いすぎていて、そして、あまりにも儚げだった。
「……ああ。すごく、似合ってる」 「ふん。当然だ。素材が良いからな」
彼女は照れ隠しにそっぽを向いたが、耳まで赤くなっている。
「さあ行くぞ、湊! まずは『くれーぷ』というものを所望する!」
「はいはい」
彼女が俺の手を取り、玄関へと駆け出す。 繋いだ手の温もり。 その手のひらの内側に、昨日は見えなかった「黒い亀裂」が、少しだけ広がっていることに気づいてしまった。
俺は気づかないフリをして、彼女の手を強く握り返した。
「……ああ、行こう」
カウントダウンは止まらない。 世界で一番切なくて、短いデートが始まった。




