祭りの後の代償、あるいは銀河からの通知表
翌朝。 目が覚めると、俺の腕の中には銀髪の皇女様が――いなかった。
「……あれ?」
隣の布団は冷たくなっていた。 昨晩の「デレ全開モード」は夢だったのか? いや、俺の腕に残る痺れと、ふわりと香る甘い匂いは現実のものだ。 俺は少し残念な気持ち(男として正直な反応だ)を抱えつつ、リビングへと降りた。
◇
「おはよう、湊。遅い起床だな」
リビングでは、リュミエがいつもの指定席で、優雅に紅茶を飲んでいた。 態度はいつもの「尊大な皇女様」に戻っている。 昨夜の「みなとぉ、すきぃ……」という甘ったるい声は微塵も感じさせない。
「お、おはよう……。お前、昨日のこと覚えてるか?」 「昨日? ……ダンジョンで食事をした後のことか? 帰りの車で少し眠気を感じたところまでは覚えているが……」
彼女は不思議そうに首を傾げた。 どうやら、予想通り「記憶喪失」のパターンらしい。 俺は安堵と落胆が半々の溜息をついた。
「……まあいいや。体調はどうだ? あんなに食べたのに」 「ふん。愚問だな。マナを充填した私は無敵だ。肌の艶も見ての通り……ッ」
リュミエが言葉を詰まらせた。 彼女が紅茶カップを置こうとした時。 ニットの袖口から見えた手首に、**「それ」**はあった。
「……リュミエ?」
俺は思わず彼女の手首を掴んだ。 白い肌の上に、黒い亀裂のようなものが走っていた。 火傷のようにも見えるし、古い塗装がひび割れたようにも見える。 そしてその傷からは、パチパチと小さなノイズ音と、紫色の光が漏れていた。
「……離せ」
リュミエは乱暴に手を振りほどき、袖を隠した。 その顔に、今まで見たことのない「焦り」が浮かんでいる。
「……ただの代謝異常だ。高純度のマナを取り込んだ反動で、古い外殻が剥がれ落ちているに過ぎない」 「嘘だろ。痛そうに見えたぞ」 「下等生物の基準で測るなと言っている!」
彼女は声を荒げ、すぐにハッとして口をつぐんだ。 気まずい沈黙が流れる。 昨日のデレデレな彼女とは違う。これは、もっと深刻な拒絶だ。
「……私は部屋に戻る。今日は学校を休む」
彼女は逃げるようにリビングを出て行った。 すれ違いざま。 彼女から、いつも漂っていた甘い香りが薄れ、代わりに「焦げ臭いような匂い」がしたのを、俺は見逃さなかった。
♢
一方、その頃。 都内の某工事現場。
「オーライ、オーライ! はいストップ!」
ヘルメットに安全チョッキ姿のヴォルグ(登録名:田中)は、誘導棒を振ってトラックを停車させていた。 日給一万二千円。 今日の糧を得るための、神聖な労働である。
だが、その手が不意に止まった。 彼の懐に入れた、半壊した通信機が、微かに震えたのだ。
『……ザザッ……こちら……銀河帝国……第三艦隊……』
「ッ!?」
ヴォルグは慌てて物陰に隠れ、通信機を耳に当てた。 ノイズ混じりだが、確かに聞こえる。これは定時連絡ではない。 軍用暗号周波数だ。
『……目標地点、地球……座標固定……』 『……皇女リュミエの回収、および……**汚染惑星の「浄化」**を開始する……』 『……到着まで、あと14日……』
プツン。通信が途絶える。 ヴォルグの顔から、血の気が引いた。
「……じょ、浄化だと……?」
彼は知っていた。 帝国用語における「浄化」の意味を。 それは、皇女という高次元存在を汚染した下等惑星を、生物ごと焼き尽くして更地にすることを意味する。
「ま、まずい……。これでは私のバイト代どころか、この星が消し飛ぶぞ……!」
ヴォルグは空を見上げた。 雲ひとつない青空。 だが彼の目には、その向こうから迫りくる、無数の星間戦艦の影が見えていた。
「……殿下。あなたの身体も、もう限界なのでしょう……?」
工事現場の騒音の中で、ヴォルグの呟きは誰にも届かず消えていった。




