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非日常なビリヤード

非日常なビリヤード:村上春樹風 created by ChatGPT

作者: トキオ1962

 青年が目を覚ましたのは、やけに明るい人工照明の下だった。まるで誰かが光の意味を勘違いしてしまったみたいに、部屋の隅々まで過剰に照らされていた。


 身体のあちこちが鈍く痛む。痛みは、時間の経過をじわじわと示す時計のようだった。目を閉じて、彼はしばらく考えた。どうやら硬い床の上に長時間寝ていたらしい。


 視線をめぐらせると、その部屋は不思議なまでに無機質だった。たとえば世界のどこかで「部屋」というものの定義が改められたとするなら、こういう形になるのかもしれない。


 部屋の中央に、ぽつんと一台のビリヤードテーブル。手入れは行き届いており、まるで昨日まで誰かがここでひとり、無言のゲームを続けていたかのようだ。壁際には椅子がひとつ。家具はそれだけだった。


 窓はなかった。風も音も時間もなかった。ただそこにあったのは、無言の空間。青年は、自分が今どの時間帯にいるのかもわからなかった。


 唯一の出口と思われる扉は、明らかに場違いな存在感を放っていた。金属製で、分厚く、まるで潜水艦のハッチのような構造。さらに、周囲には不気味なほど多数のロックがついていた。


(閉じ込められたのか?)


 青年は、最後に覚えている場面を思い出そうとした。行きつけのビリヤード場、馴染みのキュー、そして、よく晴れた夜。カウンターで中年の男に酒を奢られた記憶がある。


 男はやたらと穏やかで、やたらと静かな笑い方をした。青年は最初、警戒していた。しかし空腹と少しの浮かれ気分に負けて、酒を一杯受け取った。そのあと何が起きたのかは、わからない。


 そして今、彼はこの部屋にいる。


 ビリヤードテーブルに近づいてみると、9つのボールがきちんと菱形に並んでいた。ナインボールの定型どおりだ。


 彼は無意識のうちに、そのうちのひとつを手に取り、ポケットに落とした。


 カチッ。


 金属音。扉のロックが、一つだけ外れた。その音は思いのほか小さく、現実味がなかった。


 彼は順番に他のボールも落としてみた。しかし、それ以上は何も起こらなかった。


 天井を見上げると、小さなカメラのような穴に気がつく。誰かが見ている。誰かが、この部屋をデザインしたのだ。


 彼は静かに自分のキューケースを開けた。そこに入っていたのは、いつものブレイク用キュー。まるで当然のようにそこにあった。


 呼吸を整える。構えを確認する。何かが足りないわけではない。ただ、すべてが妙に静かすぎるだけだ。


 ブレイクショット。


 カチッ、カチッ。

 二つの金属音。扉のロックがまた外れた。


(そういうことか……)


 ルールがある。ゲームが進む。だが、そのルールは明示されない。自分で見つけるしかない。


 彼は何度もラックを組み、ブレイクを繰り返す。疲労と空腹がじわじわと意識を蝕んでいく。時間の感覚は曖昧になり、球だけが確かな現実になっていった。


 そしてある時、照明がわずかに暗くなった。ほんの少しだけ。

 それだけで、彼は一本の球を外した。すると、ロックはすべて元に戻った。


(第二ステージ……?)


 誰かの意図を感じる。だがそれが誰なのか、どういう目的なのかはわからない。彼はただ、黙々と球を打ち続けた。


 何度目かのブレイクで、9番ボールを沈めたときだった。


 ガチャリ。


 扉が、音を立てて開いた。


 外から差し込んだ光はやけに柔らかく、彼はそのまま床に崩れ落ちた。


 次に目を覚ましたとき、彼は柔らかいベッドの上にいた。白い天井。洗いたてのリネンの匂い。


「まだ起きないでください」

 傍にいた若い女性が、心配そうに声をかけた。


「ここは……どこだ?」


 自分の声が、自分のものとは思えないほど遠かった。


「もう大丈夫です。あなたはテストに合格しました」


「……テスト?」


 その時、扉が開き、あの中年の男が現れた。青年は立ち上がろうとしたが、背後に控えた屈強な男たちを見て、拳を握るだけにとどめた。


「申し訳なかった。でも、君には素質があった。それを証明してもらったんだ」


「ふざけるな……俺は死ぬかと思った」


「でも、死ななかった。重要なのはそこだ」


 男の表情は、あの夜の笑顔とはまるで別物だった。冷たく、よく研がれたナイフのように現実的だった。


「なぜ俺だった?」


「プロは目立ちすぎる。君はちょうどよかったんだ」


 青年は唇を噛みしめた。


「君はもう戻れない。日常は、君を待っていない。君はそれを知っている」


「……ッ」


「君のような人間が必要なんだ。我々の“競技”にはね」


 彼はもう、何も言えなかった。ただ沈黙の中に立ち尽くしていた。


 数日後、青年はかつての生活に戻った。けれどその生活は、すでに空っぽの容れ物のようだった。


「戻ってくると思う?」

 若い女性が男に尋ねた。


「いずれ必ず戻るさ。彼はもう、向こう側の人間だからね。あれは――ほんの始まりにすぎないのさ」


 男は静かに笑った。

 その目は、もう次の“ゲーム”を見ていた。

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