遅刻回避チャンネル
今日はいい天気だ。眩しい光を、これでもかと部屋に注いでくる太陽が嫌に感じるくらい。
「那由花、ゼリーのやつそこに置いてあるわよ。またこんなギリギリになって、すっかり遅刻の常習犯ね」
制服を雑に羽織って二階から降りてきたわたしを、母さんの小言が出迎える。わたしにとっては、登校に気持ちを切り替えるための通過儀礼だ。
「母さん、言葉には気を付けたほうがいいわ。たしかにわたしは遅刻ギリギリの登校は日常茶飯事だけど、本当に遅刻したことは一度だってないのよ。そう、ただの一度もね」
「その変な言い方も、そろそろ直した方がいいわよ。高校生なんだから」
ほとんど毎日、インターネット界隈の奴らとやりとりしていたらこんな口調にもなるわ。
無量高校の女子高校生というのは世を忍ぶ仮の姿。学校から帰って、お風呂入って、ご飯食べて、歯みがきをすれば、わたしは体当たり系苦行ゲーマーのYoutuber、無YOUに変身するのだ。
配信が終わっても、面白いゲームがないか探したり、最近のトレンドをチェックしたり、こっそり配信外でゲームをやりこんだり、ちょっぴりエゴサしたりしていたら、スマートフォンから鳴り響くアラームをギリギリまでスヌーズしたくなるのも当然でしょう?
「いってきまーす」
わずかなゼリー飲料を口の中に残して、旅立ちの言葉を告げると、わたしの全身は動画配信時と同じく、戦闘モードへ移行する。
わたしはメロス、わたしはソニック・ザ・ヘッジホッグ、わたしはペプシマン……。
自己暗示をかけ、集中力も高めていく。
遅刻回避チャンネル、配信開始!
学校へ向けて、わたしは勢いよく駆け出していった。
いつも通りの通学路を順調に走っていると、同じように、目の前を走る女子高生の姿が目に映った。
「ふっ、やはりヤツも遅刻ギリギリになってしまったようね」
ヤツのことはよく知っていた。私のクラスの同級生にして、個人のVtuberを自称する、小羽根薫だ。配信界隈てはチビフェザーというハンドルネームで通っている。
なんでこんなこと知っているかというと、他ならぬ本人がクラスで言いふらしているからだ。
『マジ? 薫って配信やってるの、すごくない?』
『うん、Vtuberってやつなんだけど。ゲームしたり視聴者の人とお話したり。そのうちスポンサーでもついたらいいなーって』
リアルで配信者をカミングアウトする怖さをまだ知らないと見える発言だ。しかも個人で3Dモデルのアバターを使用して配信してるってんだから、実家はお金持ちのお嬢様か何かなんだろうか? わたしは2Dモデルと安い配信器材でやりくりしてるってのに。
そして彼女が遅刻ギリギリなのにも理由がある。昨晩、彼女は厄介な視聴者に絡まれていたからだ。配信終了後もホームページのチャットでやりとりしていた。わたしは[偶然]、その一部始終を自分の配信後に見ていたからね。
てなわけで、彼女も睡眠時間という点ではわたしと互角のはずだが、なかなかに足が速い、曲がり角のコーナリングもキレがある。体育の時間では大して足の速い印象が無かったのだが、ひょっとして手を抜いていたのか?
だけど、こっからが一番の難所だ。見通しの悪い交差点が目の前に迫っている。パンをくわえた遅刻寸前の女子高生が、誰かとぶつかってくださいと言わんばかりのポイントだ。チビフェザーくんには悪いが、君には私が衝突を回避するための囮となってもらう。
チビフェザーが交差点に近づいた時、私は右の道路から自転車の影が伸びているのに気がついた。
ちょっと、これって本当に事故るんじゃ?
案の定、走るチビフェザーと、右から現れた若い男性の乗る自転車とが、出会い頭に衝突した。
「きゃあああっ!」
「うわっ!」
チビフェザーの体は衝撃で揺さぶられ、肩にかけていた鞄から何かが飛び出してきた。
化粧道具に、飲みかけのペットボトルだ。
後ろを走っていた私は、散乱した化粧道具やペットボトルを華麗なステップでかわす。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
チビフェザーを追い越し、チラリと後方を確認してみると、どうやら二人とも大したケガは無さそうだった。悪いが、わたしはこのまま先に行かせてもらうぜ。
住宅街を超えて、大きな通りに出た。ここなら事故やアクシデントにあう確率はぐんと減るけど、同時にスピードをあげるには持ってこいの道。わたしは手を緩めず、速度をぐんぐんと加速させていった。
すると目の前の交差点にある歩行者用信号が、青くチカチカと点滅しているではないか。
ここの信号で止まったらけっこうなタイムロスだ。切り抜ける!
私はさらにスピードを上げる。
だけど、交差点は急ぐものが二人以上出会ってしまった時、事故が起こるもの。
くっ! 赤になっちゃったけど、まだいける!
赤信号になったばかりのタイミングで、わたしは交差点に入った。その時、わたしは気付いていなかった。死角から、強引に右折してきた高級車がいることに。
えっ――。
高級車の姿が見えた時は、もう私の真横にいた。
私はとっさに体をひねり、右折する高級車に背をむけた。
車体の先端がわたしのお尻に触れ、ちょうど車のボンネットに座り込んでいるかのような形になる。
直後に、高級車は急ブレーキによってタイヤをけたたましく鳴らしながら、停止した。
その時、理科で習った慣性の法則が発動した。
わたしの体は前方に平行移動し、アスファルトの地面に投げ出されてしまった。
体の少し斜めの位置からアスファルトにぶつかり、そのまま三回転ほど転がった。
しばらくは動けなかった。
でも、こんなことでわたしの執念の炎は潰えない。何があっても、遅刻だけは絶対にしない。絶対にだ。
手や足が、まだ十分に動くことを確認したとき、後ろのほうから中年のおじさんの声が聞こえてきた。
「ご、ごめん。君、大丈夫か?」
わたしはすっと立ち上がると、サングラスと変な帽子をかぶったおじさんを見る。
「大丈夫ですよ、気にしないでください」
「し、しかし……一応、病院に」
「いえ、わたしには大切な使命があるので。運が良かったですね」
そう言い残して、わたしは颯爽とその場を後にした。
これが本当に実況配信だったら、激バズり間違いなしなんだけどなぁ。
多少のダメージはあったものの、まだ全然走れる状態だった。不幸中の幸いだったといえる。そして、ついに学校の校門が目の前に現れはじめた。
「あっ、え? 門が閉まっている!?」
そんなバカな。まだ門が閉まるまでは3分余裕があるはず。思わず腕時計を確認したわたしだったが、門に鍵をかけている人物を発見して、その理由を悟ってしまう。
「村川先生だ……」
思わずその名を口にする。村川先生はいつも行動が5分早い。国語の授業で教室に入る時も、全校集会で集まる時も、校門の門を閉める時も……。
よりによって、今日の閉門担当が村川先生だなんて。
絶望がわたしの頭をよぎった。
しかし、天はわたしを見捨てていなかった。
すぐ近くに、植木の剪定をしている公務員のおじさんがいたのだ。
「すみません! 脚立貸してください!」
急に声をかけられて、脚立に乗っていたおじさんは困惑した様子だ。
「どうするんだね、この脚立」
「説明は後です! 時間が無いんです!」
わたしは脚立を強奪すると、学校と下界を隔てる塀に脚立をかけた。
そして一気に脚立を駆け上り、頂点でジャンプして塀を飛び越える。
……あれ?
なかなか地面に着地しないね。
これ、けっこう高くない?
地面に足がついた瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲い、上半身がつんのめって地面に接触してしまった。
しばらく、痺れるような余韻があった。だが……。
「動く……足が動く! いけるわ!」
苦行Youtuberの無YOUはこの程度で屈しないのだ!
とにかく校内に入ればなんとかなる。わたしは多少足を引きずりながらも、教室に向かってウイニングランをはじめていた。
「では、これで朝礼を終わります。起立、礼!」
礼をしている時も、わたしの体はまだ勝利の興奮が冷めやらぬ感じだった。めっちゃ汗かいたし、いろいろケガもしたけど、この喜びには代えられないね。
「小羽根って、なんか連絡あった?」
「うんや、どうしたんだろうねー」
女子グループがチビフェザーについて話している。結局ヤツは朝礼が終わるまで教室に現れることは無かった。大したケガじゃないとは思うけど……やっぱり商売敵とはいえ、手助けすべきだったかなあ。
「おや、小羽根じゃないか。どうしたんだ。それにその人は?」
教室から出ようとしていた先生が、その名を呼んだ。
ドアのほうを見ると、チビフェザーとあの時激突した自転車の男の人がいた。
落ち着いて見てみると、この男の人、かなりのイケメンである。
「すみません、この子が遅刻したのは僕の責任です。僕が自転車で彼女と接触してしまったので、ケガの手当をしていたのですが……」
ドアの近くまで寄って聞く耳を立てていると、どうやらチビフェザーはこのイケメンに手当をされたり、自転車に二人乗りして学校まで送ってもらったりしたらしい。そして、当のチビフェザーはイケメンに手を回して、なんだか顔を赤らめていた。
こっ、こいつ! わたしが遅刻を回避するため必死でアクションをしていた時に、こいつは現実世界〔恋愛〕をキメてやがったのかっ……!
遅刻を回避できたにも関わらず、わたしの心は言いようのない敗北感で満たされてしまった。
放課後、わたしはところどころ痛みの残る体を引きずりながら、スマートフォンで界隈をチェックしていた。
昼頃に、チビフェザーが緊急で配信引退宣言をしたせいで、ちょっとした騒ぎになっている。ヤツはもしかして、最初から男をゲットするために配信をはじめたんじゃないのか?
「おーい、そこの君!」
そんなことを考えていると、聞いたことのある声が耳に入ってきた。
顔を上げると、校門前にわたしと接触した高級車と、その持ち主である奇抜なおじさんがいた。
「あっ、すみません、あの時は……」
「いやいや、こちらこそ本当にすまなかったよ。それよりも、ちょっと君に話があってね」
おじさんは、内ポケットから名刺を取り出して、わたしに見せてきた。
名刺には、芸能プロダクション代表取締役、水内研吾とある。
えっ、まさか? 接触事故を起こした縁で、まさかのわたし、アイドルデビュー!?
そう喜んだのも束の間だった。
「僕の車と接触した後の君の動き、こんなことを言ったら怒るかもしれないが、すごくキレキレで面白かった。ちょうど、相方が引退して困ってる女芸人がいてね、リアクション芸人として、その人の新しい相方に……」
わたしは、ため息をつきながら言った。
「すみませんが、コメディーは専門外です」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。