砂漠の亡魂
目の前を覆う砂が、まるで生き物のようにうねりながら迫ってくる。赤茶色の粒子がゴーグルを叩き、視界を埋め尽くす。俺はゴーグルを強く押し付け、風に煽られまいと膝を曲げ、体を低くして歩を進めた。地図には何もないはずのこの砂漠地帯。だが、俺の嗅覚が囁いていた。ここには何かがある。スクープの匂いがする。
俺の名はティム・レイン。フリーの記者だ。銀河連邦の片隅で、誰も知らない真実を掘り起こすのが仕事だ。今回は、旧植民星セラティス。かつては資源採掘で栄えた星だったが、今は過酷な自然環境に飲み込まれ、放棄された廃墟の星だ。地図にない場所、未開の地。それが俺の狩場だ。
だが、この砂嵐は予想以上だった。風が咆哮し、耳元で金属を削るような音を立てる。視界はほぼゼロ。装備のサバイバルスーツが悲鳴を上げ、関節部分に砂が噛み込んで軋む。まずい。このままじゃ埋もれる。焦りが胸を締め付けたその瞬間、遠くにぼんやりとした光が見えた。街のシルエットだ。こんな場所に? 驚きよりも生存本能が勝り、俺はよろめきながらその方向へ駆けた。
街の入り口にたどり着いた瞬間、砂嵐の勢いが不思議と弱まった。まるで街全体が不可視のバリアで守られているかのようだ。俺は肩で息をしながら周囲を見回した。埃っぽい通りには、色褪せた布を屋根代わりにした露店が並び、煤けたコートを羽織った人々が忙しなく行き交っている。機械油と乾燥したスパイスの匂いが鼻をつく。買い物をする声、笑い声、足音。賑やかだ。だが、何かがおかしい。こんな過酷な環境で、これほど活気があるなんてありえない。
俺は近くの露店に近づき、店員に声をかけた。「なあ、この街は何だ? 砂嵐の中でよくこんな賑わいが……」だが、店員は俺の声など聞こえていないかのように、無視して商品を並べ続けている。いや、無視というより、俺の存在自体に気づいていないようだった。苛立ちを感じながらも、ふと隣を見ると、一人の客が店員に話しかけている。「リンゴ一つ!」その客の手には何もない。空っぽだ。なのに店員は「はいよ!」と笑顔で応じ、空中から何かを受け取る仕草をして、客に何もない手を差し出した。客は満足そうに頷き、首をカクンと不自然に傾けると、軋む音を立ててその場を去っていく。
何だこれは? 背筋に冷たいものが走った。頭の中で警報が鳴り響く。だが、砂嵐がまだ外で唸っている以上、ここに留まるしかない。せめて一時的に身を隠せる場所を、と辺りを見回した。視線の先に、古びた看板が揺れている。「ダレンのアンティークショップ」と掠れた文字。とりあえずそこへ逃げ込むことにした。
店の中は薄暗く、埃っぽい空気が鼻をついた。棚には時代遅れの機械部品や、用途不明のガラクタが雑然と並んでいる。錆びたスプリング、割れたガラス管、油で黒ずんだ歯車。まるで時間が止まったような空間だ。奥の方に人影が見えた。カウンターの裏で何かをいじっている男だ。俺が入ってきた気配に気づいたのか、男が顔を上げた。
「おや、珍しいお客さんだね?」
その一言に、俺は思わず息を呑んだ。この街に入って初めて、俺に話しかけてきた人間だ。いや、人間かどうかも怪しいが……。俺は警戒しながらも、ようやく会話が通じる相手に出会えた安堵感から言葉を返した。
「ああ、俺はティム。記者だ……お前は?」
男は作業の手を止め、ゆっくりとカウンターに肘をついた。瘦せた体に、油汚れのついた作業服。顔には深い皺が刻まれ、左の頬には古い火傷の跡がうっすらと残っている。だが、目は鋭く光っている。
「私はダレン。この街の……まあ、唯一の生き残りってとこかな」
ダレンの言葉に、俺は眉をひそめた。
「生き残り? 外には人がたくさんいるじゃないか。賑わってるし……」
ダレンは小さく笑った。だがその笑顔には、どこか寂しさが滲んでいる。
「あれは人じゃない。私が作った自動人形だよ。精巧なもんだろ?」
「自動人形?」
俺は目を丸くした。確かに、あの不自然なやり取りや、空っぽの手でリンゴを買う仕草、首の不自然な動き……。人形だとすれば納得がいく。だが、なぜこんなことを?
ダレンは黙って立ち上がり、店の奥から小さな機械を取り出した。手のひらサイズの、時計仕掛けのような装置だ。真鍮の枠に小さな歯車が複雑に絡み合い、かすかにカチカチと音を立てている。
「この街はな、昔は確かに賑わってた。家族も、仲間もいた。毎晩、酒場で馬鹿笑いして……。だが、砂嵐が年々ひどくなってな、資源も尽きて……皆、星を捨てて逃げちまった。そして私だけが残った」
彼は装置を手に持ったまま、遠くを見るような目で続けた。
「捨てられなかったんだ、この街が。あの頃の街を残したくて人形を作り始めたんだ。最初は一つ、二つ……。今じゃ街中に配置して、昔の賑わいを再現してる。馬鹿げてると思うだろ?」
俺は言葉に詰まった。馬鹿げてるなんて、とても言えなかった。かつて俺も、故郷を失った寂しさを埋めるために無意味な記事を書き殴った夜があった。スクープを追うことでしか、自分を保てなかったあの頃と、この男の孤独が重なって見えた。ダレンは続ける。「記者なんだろ? この街の話を記事にするつもりか?」
その質問に、俺の心は揺れた。確かに、これは大スクープだ。忘れられた星、過酷な環境の中で孤独に人形を作り続ける技師……。読者は食いつくだろう。だが、同時に別の感情が湧き上がってくる。この街を世に知らしめたら、どうなる? 好奇心に駆られた連中が押し寄せ、ダレンの静かな孤独さえも踏み荒らすかもしれない。
その夜、俺はダレンの店で一晩過ごした。外の砂嵐はまだ収まらない。ダレンは無口になり、黙々と人形の修理を続けていた。壊れた人形の腕を手に持つ彼の指先は、まるで命を吹き込むような繊細さで動いていた。俺はノートにこの街のことを書き留めながら、頭の中で葛藤していた。
翌朝、砂嵐がようやく静まった。空はまだ灰色に濁っているが、風の唸りは遠ざかっていた。俺は荷物をまとめ、ダレンに別れを告げた。
「記事にはしない、約束する。この街のことは……俺の心の中に留めておく」
ダレンは驚いたように俺を見たが、やがて少し物悲しげに小さく頷いた。
「そうか……気をつけてな、ティム」
俺は街の入り口まで歩き、振り返った。人形たちが変わらぬ笑顔で市場を歩き回っている。だが、今度は彼らの動きに微かな不協和音を感じた。ある人形は同じ場所で何度も同じ仕草を繰り返し、別の者はぎこちなく立ち尽くしている。遠くでダレンの人影が見えた。手を振る俺に、彼も小さく手を振り返した。
地平線の向こうに消えていく街の影を見ながら、俺はノートを鞄の奥にしまった。