第九十二話 完結とエピローグ
管制塔の薄暗い室内に、静寂が満ちていた。
振り返ったクリスは震える手で、目の前の存在を確かめるようにそっと伸ばす。
涙の滲む視界の中で、エマの輪郭がゆっくりと焦点を結び、微笑む顔がそこにあった。
「……びっくりした?」
彼女の声は、昔と変わらぬ温もりを帯びていた。
優しく、そしてどこか懐かしい――失ったと思っていた、あの声。
クリスの喉は詰まり、言葉にならなかった。
代わりに、震える手が彼女の頬に触れる。
その柔らかさ、そこにある確かな温度――幻ではない。
エマは静かに目を閉じ、彼の手にそっと身を寄せた。
「……生きてたのか」
ようやく、声になったその一言に、エマは小さく頷く。
「ロケットに乗ったと思ってたの?人類の最新技術だよ。AIが宇宙まで操作してくれたの。私は何となくそんな気がしてたけど。フフ」
「でも、ロケット発射の衝撃とかは?」
「地下にシェルターがあったの。そこに隠れていたんだけど、熱のせいで一番外側の扉が壊れてしまって、ずっと出られなかったの。でもね……もうダメかもしれないって思った時、クリスの声が聞こえて、頑張って扉を開けたんだ。――どう?世界救えたっしょ。へへへ」
「……バカ野郎。心配させやがって」
その瞬間、クリスの中で張り詰めていたものが崩れ落ちた。
彼は何も言わず、ただ強く彼女を抱きしめる。
失ったと思っていた温もりが、今、確かに彼の腕の中にあった。
この世界は幾度となく回り続けた。
時を超え、命を燃やし、吸血鬼と人間の運命が交差する――
かつて転生という名の宿命に翻弄されながらも、クリスはたどり着いた。
この場所、この瞬間、この温もりこそが、彼にとっての答えだった。
「やっと終わったかな」
クリスがぼそりと呟くと、目の前のエマは微笑みながら言う。
「終わりじゃないよ、クリス。これはただの――始まり」
新しい時代が訪れる。
この世界を救うための旅は終わったが、彼らの物語はまだ続いていく――。
―END―
こうして、クリスとロランの復讐から始まった物語は、ひとつの区切りを迎えることとなる。
しかし、この戦いの果てに彼らがどのような道を歩んだのか――それを知りたいと思う読者も少なくないだろう。
そこで、彼らのその後を少しだけ紐解いてみることにしよう。
クリスは成人を迎えると同時に、新生ビサ王国の王となることを誓った。
それは彼自身の願いであり、これまで奪ってきた命への償いとして、国のために人生を捧げるという強い決意の表れだった。
革命を経て得た圧倒的な支持は、ステティアに留まらず、カドラテル、オファク、ルバモシといった各地に広がり、それらの都市には熱狂的な支持者が生まれるほどだった。
ロランは成人後、クリスの右腕としてビサの軍部に仕える予定となっているが、クロノス教では、新たに軍部所属となったキリやハピ、アダム等から厳しい訓練を受けているという噂が流れている。
また、クリスはクロノス教が政界に入ることを望まなかったため、カトレア、ロータスらは変わらずステティアの教団本部に残り、夫婦でクリスとの交友関係を続けた。
エマやリラはクロノス教を抜け、ビサお抱えの研究者となることが決まる。
その他リリィの消えたクロノス教から離れた者は新体制へと登用されたり、新たな地で平穏に暮らしたりする者もいた。
ライとキッドら革命軍幹部はルバモシへと渡り、かつてのジョージ国王の墓を訪ね、その地で生活を始める。
オスカルはルピナ、ラーラと共にユマへと帰り、国王からそのユマ、又はビサへの貢献を称えられた。
吸血族軍幹部も大方が治療を施され、監視の下新たな世界で生きることを始めた。
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「クリス!もう行くのかい?みんなはまだ寝てるよ」
まだ夜明け前、クリスがクロノス教軍部にある自分の部屋から出て、軽装と共に地上へ出ようとした時、ロランが声を掛けた。
「こうでもしないと、エマが離してくれないから。あと、俺人気者でファンも多いんだぜ。出るなら今の内なのよ」
ロランは茶化すクリスを真顔で無視すると、共に空が白みだしたステティアへと繰り出した。
「まぁ、しょうがない。でも、僕にくらい伝えてくれても良かったのに」
ロランがそう言うと、クリスがガンベルトをバッグから出して答える。
「悪かったよ。ほんとはこんなに早く出るつもりじゃなかったんだけど、昨日のお別れパーティーを思い出すと寂しくなってきてさぁ。手を振りながらお別れとか号泣してできないなって」
それを聞いたロランはケタケタと楽しそうに笑い、クリスの肩を叩いた。
「君から寂しいなんて言葉が出るなんて思わなかった!去り際にいいことを聞いたよ。アハハ」
クリスはガンベルトを腰に装着すると、いつものリボルバーを右の腰に差す。
左手に受けたゼリクからの傷は痛々しく残っていたが、それでも吸血族の回復力はすさまじく、ほとんど元通りに手を使えるようになっていた。
「じゃぁ二年間、大陸の各国を巡りに行ってくるよ。ちゃんと一から政治を学ぶのと、この半吸血症を治しに――治療法があるかは分かんないんだけどね」
クリスはロランの目を見て言い、ロランもクリスの目をしっかりと見て言う。
「治療法、あるといいね。勿論、僕も強くなって、君と一緒に働けるよう頑張る!」
「おっけ。死ぬわけじゃないし、まぁ、気楽に考えよう!……留守の間、皆を頼んだよ」
クリスはそう言うと、朝日の上る方角へと歩き始めた。
東の空がゆっくりと朱色に染まり始める。
冷たい朝霧の中を、クリスは静かに歩を進めた。
足元の土はまだ夜の冷気を含み、踏みしめるたびに微かな湿気が伝わる。
遠くでは、眠りについた街が少しずつ目を覚まし、かすかな風とともに新たな一日を迎えようとしていた。
クリスは背を伸ばし、朝焼けに滲む雲を見上げる。
赤く燃える空の下――この地を、これからしばらく離れるのだ。
ふと、背後に気配を感じて振り返る。
ロランはその場に立ち尽くし、彼を見送るようにじっと見つめていた。
その姿に、クリスはほんの少し、胸の奥が疼くのを感じる。
「行ってくるよ」
軽く手を挙げてそう告げると、ロランは小さく頷いた。
「うん、気をつけてな」
その声は決して大きくはなかったが、不思議なことに、心へと深く深く響いた。
クリスは再び前を向き、歩みを進める。
空はすっかり明るくなり、朝陽が大地を照らし始める。
この先、どんな日々が待っているのか――それはまだ分からない。
だが、彼は迷わず進む。
風がそっと吹き抜け、クリスのコートの裾を揺らす。
旅の始まりにふさわしい、穏やかな朝だった。
あとがき
――ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!
『異世界転生2257』は、こうして一つの物語の終幕を迎えました。
執筆を始めた当初は、こんなに長く続く物語になるとは思ってもいませんでした。
しかし、AIの利用や書き直し等、紆余曲折を経てようやくこの結末にたどり着いたことに、感慨深さを覚えています。
読者の皆様の支えがあったからこそ、こうして完結まで書ききることができました。
この作品が、少しでも皆さんの心に残るものとなったなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
吸血鬼との戦い、復讐に燃えた日々、仲間との絆――クリスとロランの旅を共に歩んでくださったことに、改めて感謝いたします。
物語はここで一区切りとなりますが、登場人物たちはそれぞれの未来へと歩みを進めていきます。
それぞれが選び取った道の先には、新たな物語が広がっていることでしょう。
これからも、どうぞよろしくお願いします!
本当にありがとうございました!




