第九十話 三人目
クリスは研ぎ澄まされた感覚の中で、禍々しいゼリクの気配を捉えた。
その瞬間、夜空から猛スピードで降下するゼリク。彼の鉤爪が銀光を放ちながらクリスを狙う。
しかし、クリスは躊躇なくその攻撃を受け止め、鍛え抜かれた身体を駆使してゼリクの腕を弾き返した。
「成長したな、小僧。我の動きについて来れる者など、そうそういないだろう」
クリスを褒めるゼリクだったが、その声色には余裕が見られた。
そして、クリスもその余裕がどこから生まれているのかを理解する。
それは純粋な吸血族の、“夜”の力への自信からだった。
吸血族は、夜に狩りをするのに適した身体能力を持っている。
夜目の冴える視覚や異常な聴覚などが代表的に挙げられるが、それらの感覚は暗闇にて本領を発揮する。
“常夜”も更けて来た中、辺りを照らすのはオーロラや月が放つ光のみ。
――ゼリクはこれから増々強くなっていくのだ。
それにどんどんと飛来し始めた隕石の数。
大きな隕石が地球に飛来する度、眩い光と轟音が辺りを揺るがした。
「時間がない。だけど…俺はこんなとこで死ぬほど弱くないさ」
クリスはそう一人呟き、今一度ゼリクに対して剣と銃を向けた。
ゼリクが再び肉薄し、ゼロ距離での攻防が繰り広げられる。
且つてクリスが、キリと戦った時とは比べ物にならない程の速度と技術。
皮肉にも、常に死と隣り合わせの過酷な環境が彼をここまで連れてきた。
クリスがゼリクの隙を見て銀弾を放ったが、その軌道はゼリクの耳を掠るだけでうまく避けられた。
さらにゼリクの首目掛けてアンブリエルを振るうが、ゼリクは待ってましたと言わんばかりに、獣化した腕でその剣を掴み、逆にクリスを投げ飛ばした。
クリスは崖際に飛ばされ、強い衝撃と共に背中を強打する。
口からは血が流れ、左肘にはアスファルトの破片が刺さっているが、それでも彼は立ち上がった。
「来なさい」
ゼリクがそう言い捨てると同時に、クリスがゼリクに向かって走り出す。
その瞬間、ゼリクが一瞬でクリスの元まで飛んできて、彼の脇腹に鉤爪を食い込ませた。
熱いとも痛いともいえぬ強烈な感覚がクリスを襲う。
何度この感覚を味わってきたか。
「ガァア!!」
ゼリクが爪を抜くと、クリスの腹から赤黒い液体がどろりと流れ出てくる。
もはや、クリスの繰り出す攻撃全てがゼリクの目前で空を斬る。
そして繰り出される魔王の攻撃に、尽く全身を痛めつけられるだけだった。
魔王の重い蹴りが直撃して電柱に叩きつけられたクリス。
息が切れ、呼吸が不安定になっている。
ゼリクはゆっくりとクリスの下へと近づき、彼の髪を掴んで言った。
「もう、貴様は勝てん。この“常夜”の空の下で、半吸血族の貴様が、古から生き残る純血種の王に勝とうというのがおこがましいのだ」
ゼリクはクリスの頭を強く押さえつけた。その手には圧倒的な力が宿り、彼が意図すれば一瞬でクリスの首をへし折ることができるほどだった。
しかし、クリスの瞳はまだ闘志を失っていなかった。痛みに歯を食いしばりながら、彼はゼリクの腕を掴み、必死に抵抗する。
だが、その力の差は歴然としていた。
「哀れなものよ。何年、この為に人生を費やしてきた?復讐は何も生まないし、暴力では何も解決することができない。やはり我が考えが最も正しいと証明されたようなものだな」
「俺とやってることは変わんねぇだろ。目指す世界がまるで違うけどな」
クリスが敵意に満ちた目で睨み、反抗した。
「フン。見上げた根性よ。もう死ぬしかないというのに」
ゼリクがクリスの首へと力を込めようとしたその時、周囲を眩い光が覆った。
光のほとばしる刹那、ゼリクの四肢に走る激痛。
「何!何が起こったァ!!」
ゼリクが片膝を付き、回復のために肉をうねらせるが、うまく回復ができない。
「――マジでギリギリ」
クリスは、淡々とこの時を待っていた。
それも、起こるかどうか分からない上、ゼリクが目を眩ますかどうかも分からないその瞬間。
しかし、このチャンスに懸けるしかなかった。
“大きな隕石は落下と同時に、辺りをまばゆく照らし、轟音が鳴り響かせる”
隕石落下のその時、より夜目の効くゼリクは閃光で一時的に目が見えなくなり、短時間、耳鳴りと共に聴覚を失う。
もちろんクリスもそうだが、ゼリクより回復するのが速い。
その、半分人間であるクリスと純吸血種であるゼリクの感覚の差。
その間に銀弾をぶち込む。
ゼリクは視界も見えず、周囲の音も聞こえぬまま、ただクリスの攻撃を喰らうしかないのだ。
銀弾が彼の肩を貫き、裂けた傷口から蒸気のような煙が立ち昇る。
純血種である彼にとって、銀弾は忌むべき猛毒の一撃——瞬時に再生できぬほどの痛みが彼を苛んだ。
「貴様…!」
ゼリクは低く唸る。しかし彼の体は思うように動かない。
クリスはその隙を逃さず、跪くゼリクに剣を振り上げた。
彼の右手にはアンブリエル。
「うわぁああああああ!!!!!」
クリスが振り下ろした剣先はゼリクの左腕を貫いたが、彼はその程度で諦める男ではない。
鮮血の滴るアンブリエルを左手で掴み、逆にクリスの左腕を右の手刀で貫いた。
銀の特効性と、獣人の特効性。
互いが互いの左腕を奪い、回復できぬほどの傷を負わせた。
「ガァァァアアア!!こんな痛みは久しぶりだッ!」
ゼリクは左腕を抑え、溢れ出る赤黒い液体を右手で受け止めている。
その激痛に悶えるゼリクとは対照的に、クリスは落ち着いていた。
一度ゼリクから離れ、深呼吸をするクリス。
クリスの感覚が極限まで研ぎすまされ、辺りの音が遠のいていく。
そして、彼は今までの修行を一から思い出し始めた。
“オファクの教え其の一。オファク武術では全身を使うべし”
クリスはアンブリエルを右手で構え、その重厚な金属の重みを肌で感じる。
そこから意識を延長させ、ゼリクの状況に意識の焦点を合わせた。
荒い息遣い。
無意識に左手を庇う右手。
隕石の閃光で能力の落ちた視力。
むせかえるほどの血の匂い。
“其の二。相手の全身も、使うべし”
クリスは次のゼリクの行動を予想する。
筋肉の収縮や、相手の癖。
それだけでない。考えまで読むのだ。
ゼリクはクリスが切りかかった時、必ずその剣を身に受けてから反撃に出るだろう。
今まで攻撃を素手で受け、その不死身の力で回復してきた。
その癖は抜けない筈。
クリスはだらんとぶら下がった左手でハンスの形見を持った。
それもギリギリ持てるか持てないか、例え持てても照準が合わないだろうという握力しか残っていなかったが、クリスの脳内シミュレーションでは、この方法だけが唯一の勝利方法だったからだ。
確実に魂の一撃がゼリクを貫く、唯一の軌道。
「そして其の三。姉御による最後の教え。相手への敬意を忘れるな。敬意を持って、殺させてもらう、ゼリク。ここまで長かった。やっとここまで辿り着いた!!」
クリスがそう叫ぶと同時に、これまで彼の人生を、目標への道のりを共にした仲間たちの顔が浮かぶ。
エアリア。カール、ルーシー、アダム、キッド、キリ、アレックス……。
皆クリスに笑いかけ、幸せそうな表情で彼の頭に現れた。
彼らの暖かい眼差しが、クリスに勇気を与える。
そして、ロラン。彼の鼓動を遥か遠くから感じる。恐らくカシムを倒したのであろう。
落ち着きつつも、その力強い鼓動がクリスに安心を与えた。
ゼリクは剣を構えるクリスを見て翼を広げ、獣化した右手を構えて言った。
「汚い言葉を失礼。――かかって来い人間風情!!!!」
「ゼリク、俺の名は人間風情じゃない。クリス・ブレイブハートという名がちゃんとある!!」
その一言と同時にクリスが間合いを詰め、ゼリクへとアンブリエルを振り下ろした。
ゼリクが左手を庇い、右手の鉤爪でアンブリエルを受けると同時に、彼の右側ががら空きになった。
そこへ添えられた、黒く光る一丁のリボルバー。
まるで鶴が静かに湖畔へと降り立つように、何の音も、何の突っかかりもなく、クリスはその銃身をゼリクの眉間へと運んだ。
禍々しい角の少し下、眉間ゼロ距離に銃口が置かれ、その状況にゼリクが大きく目を見開いた。
彼はこの瞬間、何を思ったのか。
誰を想ったのか。
ただ一つクリスに分かったことは、その表情が穏やかなことだけだった。
「お前じゃない。世界を救うのは、俺だ」
クリスはそう一言ゼリクに告げると、震える左手でリボルバーのトリガーを引いた。
パァァアアアン!!
短い銃声と共に銃弾がはじき出され、その数十秒後、ゼリクが仰向けに倒れた。




