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(β版)  作者: 自彊 やまず
第八章 最終決戦編
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第八十六話 誰かの為だから戦う➀

 クリスとエマはステティアを抜け、ビサ最西端の農業都市ピャネロアに辿り着いた。


 地図によると、ピャネロアにある港からルバモシへ向けて大きな橋が架かっている。

 二百年も前の地図で、地形も変わり、老朽化により今も橋が残っているかは分からなかったが、それでも二人はルバモシへと向かっていた。


「やっとピャネロアね。ロラン達と別れてから一時間、常夜も進んでる」


 エマはクリスの背にしがみつき、彼の耳元で言った。


「そうだな。畑の中を突っ切ろう」


 バイクはピャネロアにある広大な小麦畑の中を進む。

 普段ならば畑の中を進むということはしないが、今は緊急事態。迷惑がどうとか言っていられない状況だった。


 また、この都市には大きな川が流れていた。

 ビサにあるほかの農耕都市、牧畜都市と違って、オアシスに頼らない農業はここだけであり、川べり一面を小麦畑が覆っている。


 そしてその周りを囲うように立つ農家の家々。


 このようにピャネロアには独特な風景が広がっており、見る者を落ち着かせる不思議な空間がそこにはあった。


 しかし、今は常夜。


 そんな田園風景も闇に陰り、ギラギラとのたうつ異様な空の下では、かつての穏やかさはすっかり消え失せていた。


「夜の世界だ」


 エマがポツリと言う。


 二人が乗るバイクのヘッドライトは麦の穂をかき分けるように光の筋を描き、闇に沈む小麦畑を幻想的に照らしていた。

 黄金色の穂は夜風にゆらめき、まるで波のように左右へと揺れながら、その道を開いていく。


 クリスはハンドルを握りしめながら、闇の中を突き進んだ。

 光の範囲外は漆黒の闇に飲み込まれ、風のざわめきだけが耳元をかすめる。

 エマはクリスの背にしがみつきながら、流れていく光景に息をのんだ。

 まるで夜の海を渡る船のように、バイクは穂の間を滑るように走る。


 遠くに見える川の水面は、ヘッドライトの光をかすかに反射し、揺れる星のようにきらめいていた。

 しかし、その静かな美しさとは裏腹に、常夜の空は歪み、禍々しい光がうごめいている。まるでこの幻想的な風景の終わりを予告するかのように。


 バイクは速度を落とさず、広がる闇を裂くように進む。穂の中を駆け抜けるその姿は、一瞬の夢のように、美しく、そして危うい——先に待つ運命を知る者は、まだいなかった。






 二人はピャネロアの北、地図上で橋を示す場所に近づいていた。


 それまで沿って進んでいた川からは離れ、海の音は聞こえてきたが、森の中道なき道を進んでいるバイク。

 車輪が木の根や枝を踏み上げ、車体を揺らした。


「あわわわわ」


「ゆぅれぅるぅうぅうぅうぅう」


 二人が声を出して遊んでいると、ふとクリスが、前方に開けた道があることに気づいた。


「あれ、橋へと続く道じゃないか?」


「そうかも!そろそろルバモシ宇宙センターへと続く連絡橋が見えるはず……」


 クリスが鬱蒼とした森を抜けると、そこには海に面した絶壁と、その上に敷かれる、ひび割れたアスファルトの道路、錆びれたゲートと入場施設、壊れた電柱。

 そしてルバモシ島へと架かる、今にも壊れそうで巨大な連絡橋がその姿を見せた。


「これが…ルバモシ」


 橋の向こうにはルバモシ、その遥か先にはイギリスがかろうじて見え、クリスはその光景に圧倒された。


「すごい。まだ架かっていたなんて。それに、海。初めて来た」


「やっと海に来た。前世?記憶の中では約束してたもんね」


 エマがクリスの後ろで言う。


「まー、エマの体験した記憶じゃないけどな」


 クリスはそう言ったが、どうやらそれはエマの欲しかった言葉ではなかったようだった。

 エマは少し黙り込んだ後、ぽつりと呟く。


「それでも……クリスとは二人で海に来たかったよ?」


 彼女の視線は遠く、橋の向こうに霞んで見えるルバモシの方へと向いていた。

 クリスはエンジンを切り、バイクを降りると、静かに海の風を感じながらエマの隣に立った。


「こうして海を見たかったって気持ちは、本当にずっとあった気がするの」


「――そうか。なら、良かった。連れて来れて良かった」


 エマは嬉しそうにクリスの顔を見ると、再び正面に向き直り、そっと目を閉じ、潮の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 クリスも背伸びをして体をほぐす。

 波の音だけが二人を包み、この瞬間だけは、常夜の空が彼らを明るく照らしているように見えた。


 クリスはポケットに手を突っ込みながら、静かに言った。


「どうする?バイクじゃ無理そうだけど、渡るのか?」


 エマはしばらく考えたあと、微笑んだ。


「もちろん。渡るしかないでしょ。ビビってるの?…ほら、急ぐよ!」




 二人が橋の入り口に差し掛かり、さぁ今からルバモシへと乗り込もうとしたその刹那、クリスは瞬時にある男の気配を感じ取った。

 これまで復讐を誓い、片時もその存在を忘れもしなかった男の気配。


 クリスがすぐさま後ろを振り向いた瞬間、彼はふわりと地上に降り立った。

 背に蝙蝠の様な翼を広げ、もはや人間を超えた存在となり果てた、狐顔の男。


「なるほど。ここがノアへの入り口と言う事か」


 彼は橋を見てそう言うと、クリスの方を向いてニヤリと笑った。


「……ゼリク!!!!!」


 クリスはその名を叫び、瞬時に吸血族の力を開放する。

 彼の目は赤く染まり、筋肉が脈打つ。犬歯は伸び、彼の五感、身体能力が大幅に上昇した。


「フハハハハ。感じるぞ、貴様の中から、我が弟の存在を感じる。どうしてあの時の小僧が生き残っていたのかと思ったが、そう言う仕掛けか。くだらない……クリス君」


 クリスがゼリクと対峙し、彼へと近づこうとしたその時、轟音と共に何かが空を横切った。

 それは眩い光を放ち、尾を引いて空を駆けてゆく。


「隕石、ついに隕石の衝突が、始まったわ!」


 エマがそう叫ぶと、ゼリクは手を天に掲げ、涙を流しながら言った。


「そうだ。常夜だ!常夜だァ!!!何年これを待ったか!」


 クリスは歯を食いしばり、ゼリクに問う。


「いや、それくらいで俺ら人族はくたばらねぇよ。隕石くらいで負けねぇ!」


 ゼリクは右手で顔を覆い、翼を大きく開くと、クリスに返した。


「阿呆めが。隕石は副産物にすぎん。地球が弱った今、何が起こると思う?……そう、宇宙線の急激な増加。つまり、これは30万年前に起こった一度目の常夜と同じ状況。これがどういう意味か分かるだろう?佐藤雄志改めクリス君」


「全人間の吸血鬼化……か」


 クリスとエマは絶望し、その表情を歪めた。


「まぁ、この私にもいくつかの誤算があった。一つはお前たちの存在だ。クリスに関しては、亡国の王子とだけ思っていたのだが、人間支配時代の記憶を持つ人間が四人もいようとはね」


 クリス、エマ、アダム、リリィの存在はカシムによる密偵調査の結果わかったことであり、本来ゼリクが思い描いていた常夜のシナリオには登場しなかった人物達である。


「二つ、それにより起動が可能となった、ノアの存在。古代語を読める者がいないと高を括って後回しにしていたが、まさかここまで来るとは思っていなかったよ。――で、三つ、君が生き残っていることだよ。クリス君。君はラオで死ぬはずだった。その短い命を全うするはずだった。だがしかし、君は今吸血鬼の力を得て私の前に立っている。これも予想外の展開だった」


 クリスはゼリクの姿を見て、なぜ彼がすぐさまラオに現れることができたのか、そしてなぜ彼が人族から、魔王と呼ばれているのかが分かった。


 背に蝙蝠の羽根を移植し、恐らく両手には獣人族の遺伝子も移植してある。

 全ての能力を開放した今、何を取り込んだか彼の額には一本の黒い角が突き出し、まさに魔王という言葉が相応しかった。


 その翼で世界を飛び回り、獣人族由来の鋭敏な感覚で獲物を見極める。

 そして今、ノアの軌道を阻止せんと、クリスの下へと降り立ったというわけだ。


「エマ、すぐに終わらせる。少し隠れててくれ」


 クリスはエマにそう言ったが、彼女は首を横に振った。


「いや、私はノアへ行くわ。一刻も早く世界を救う使命がある」


 隠れているよう言ったクリスだったが、彼女がそう答えることは何となくわかっていた。


 予言の中の“王”とは、恐らくエマのことだと踏んでいたからだ。

 クロノス教から生み出された、世界を救う姫。


 彼女は幾重にも積み重なった仲間たちの屍を乗り越え、“星”であるクリスに守られながらノアを起動させる。

 つまり、ロケットを操縦するのがエマであるということ。

 説明書を見る限り、ノアを展開するロケットは片道切符。


 それが何を意味するのかは明白だった。


「じゃぁ行って来る。クリスは最強だから、絶対勝てる。頑張って」


 クリスは走り去るエマの背に手を伸ばしつつも、その足を止めることはできなかった。

 覚悟を決めているであろう彼女を止めるのは、その意思を蔑ろにするも同然だったからだ。


 それに、魔王ゼリクを倒すことは“クリス・ブレイブハート”にしかできない。


――それでも、クリスはエマを行かせたくなかった。

 世界が滅びようとも、クリスが息絶えようとも、エマにだけは幸せに生きていてほしい。


 クリスは彼女への想いを自覚する。


 彼がエマに戻ってくるよう、叫ぼうとした時、ゼリクの手刀が彼の右肩を掠めた。

 反射的に避けたクリスだったが、それによりエマが橋の先へと消えていってしまう。


「ノアを止めるのは、お前を殺してからでも間に合うだろう。さぁ、銃を持て。勇者気取りのニンゲンよ」






 エマが起動するべく向かった “ノア”、二百年前から放置された装置がちゃんと作動してくれるのか。


 そもそも、ノアを起動させる瞬間も、起動させた後の地球も、未だかつて誰も見たことのない未知の領域。

 進歩した科学は、謎を解き明かしていく代わりに、新たな謎をも作り出す。

 本当に常夜を終わらせることができるのか。


 はたして、彼女に地球は救えるのか。

 それは、神のみぞ知る答えだった。


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