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(β版)  作者: 自彊 やまず
第七章 警察編
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第七十五話 Kingdom Come ➁

 クリスの全身にまとわりついた黒い液体が冷たい風にさらされ、凍てつくような重さを感じながらも、彼は何度も怪物に立ち向かう。


 目の前のエクスは、もうかつての彼ではない。

 叫び声も悲痛な懇願も聞こえなくなり、その巨体を覆う赤黒い繊維は、無機質な脈動を繰り返すだけとなっていた。


「もはや戻れないのか……」


 クリスは呟くと、アンブリエルを握りしめた手に力を込めた。

 彼が目指すべきはただ一つ、

――エクスの中心にある核。その核を破壊しなければ、この異形は止まらない。


 迫りくる触手を薙ぎ、手を、足を、硬質化した筋肉を切り裂いていく。


 そして目前に迫る核。


 しかし、どうあがいてもここで阻まれるのだ。

 斬った触手や手足が復活し、クリスを白の地面へと叩きつける。


 クリスは足を地面にめり込ませながらも、ボロボロになった手でその攻撃を凌ぎ、結局壁まで吹き飛ばされ、最初にいた位置まで戻る。


「もう、五回目から数えてねぇ」


 クリスは口から血の塊を吐き出し、アンブリエルにもたれながら、ゆっくりと立ち上がって言った。


 この戦いに知恵や作戦は無い。


 クリスはそれを分かっていた。

 そんな小賢しい戦いで倒せる相手じゃない。


 純粋な力が圧倒的に相手の方が強く、能力や作戦、根性でその差を埋められないとき。

 それを埋められるのが、これまで積み重ねてきた努力に裏付けられる「自信」と、狂気的な「執念」だけであることを。


 彼は知っていた。

 自信と執念は、相手を飲み込む。


「こっからは気持ちだぞ、クリス!」


 彼は自分に言い聞かせると、もう一度足を前に出そうとする。


 しかし、そこで腰に掛けていた無線機が音を立てた。


「これは、全員に聞こえているのか?まぁいい。俺は、アレクサンダーは、きょうだいを殺し、俺もこの命を全うする」






 シトラスは自分の持つ無線機から聞こえてくる声で目を覚ます。

 近くに倒れていたはずのアオイはいつの間にか消え、警察庁の中には彼女一人になっていた。


「俺は、このまま生きていても、意味がない。だから死ぬ。すごく論理的だろう?そして、姉を殺した。こいつがいるだけで、俺の今までの人生が!人生が!」






「まぁいい。もういんだ。もういいってんだろ!もういいいいいいい!皆に伝えたいことは一つ。俺は最初から人間だった!俺は人間だったんだよおおおおおおおお!」


 その叫び声と同時に、無線機から激しい雑音が鳴り響き、クリスは耳を覆った。

 彼の言葉は狂気と自己否定、そして絶望に満ちていたが、その奥底には何かを求める必死の叫びがあった。


 呆然とするクリスとシトラス。


 しかし、彼らの元へは、サンダーの悲痛な叫びはほとんど届いていなかった。


 聞こえていたのはたった一言だけ。


“姉を殺した”




「「アレック―――――ス!!!」」




 クリスとシトラスの叫びが、冷たい空気を切り裂くように響き渡った。

 だが、その声は届かない。


「俺だ!また俺だ!俺のせいだ!」


 クリスがそう叫び、警察庁の壁を殴った。


「俺があそこで殺しておけば、サンダーを殺して、アレックスに彼のことを知らせなければ」


 苦悩するクリスの心をどす黒い闇が覆っていく。

 ラオ虐殺の後や、エマ融解の時と同じように、一つの感情が頭の中で暴れ出した。


 サンダーへの怒り、ゼリクへの怒り、カシムへの怒り、そして何より自分への怒り。


 クリスの胸を痛みが締め付け、呼吸が浅くなっていく。




―しかし、クリスはあれから変わってきた。成長してきた。

 失ったものが帰ってくることが、過去について悩み続ける意味が、無いことを知った。




 怒りは執念に、そして執念はやがて、使命に。


 クリスは深呼吸し、正面でうねる黒い怪物へと目線を向けた。

 そして首の骨を鳴らし、両手の拳に力を入れた。

 彼は無言で俯く。


 冷静になったかと思われたクリスは、目を瞑ると一瞬で吸血族の力を覚醒させた。

 それまで短かった犬歯が伸び始め、手には欠陥が浮き出て、肌は不気味に青白く変化していく。


「ありがとう、アレックス。君のおかげで、やっと向き合えたよ。王と言う立場と」


 クリスは瞳孔を燃えるような赤に染め上げ、アンブリエルの切っ先をエクスに向けて宣言した。


「俺は、今から王として全ての責任を負う。そして、俺が全てを変える。運命も、俺が全てを変える。運命も、未来も、この世界の在り方さえも――俺が背負う!」


 クリスはアンブリエルを高く掲げ、その刃に宿る青い輝きを曇天に向けた。

 その光は、あたかも沈黙する空へ挑むように広がり、灰色の雲を切り裂くようだった。


「過去の過ちも、失ったものも、全て俺の中に刻み込む」


 彼の声は、吹雪く風を切り裂き、周囲に響き渡る。


「俺がルバモシの王、クリストファー・ブレイブハートだ」




 クリスは全速力でエクスの元へと走り、迫りくる触手を断ち切る。

 巨大な手も、足も、全てはクリスの前に次々と砕け散った。


 再生速度よりも、生成速度よりも早く。


 アンブリエルを振り抜くたびに、赤黒い繊維が焼け焦げ、空間に青い光の軌跡を描いた。

 圧倒的な再生能力に苦戦しながらも、彼はわずかずつエクスの核へと迫っていく。


 クリスが巨大な二対の手を断ち切ると、血飛沫のような液体が辺りに飛び散り、触手のうごめく音が耳をつんざく。


 彼は迷うことなくその中に飛び込み、触手が蛇のように彼の体に巻き付いていく。

 筋肉が締め付ける感覚に息が詰まりそうになるが、クリスの目は鋭く、剣を振りかざしながら一歩一歩前進する。


「ここだろォ!」


と叫ぶ声は、触手のざわめきにかき消されることなく響き渡った。


 中央で蠢く筋肉の塊に剣を突き立てた瞬間、鈍い音と共に筋繊維が裂け、内部から現れるエクスの姿。

 クリスの目がそれを捉えた瞬間、彼の表情には勝利の確信が浮かんだ。


「見つけたぜ、英雄さんよォ!」


 彼の声には疲労と同時に高揚感が混じる。


 しかし、退路を塞ぐように触手が押し寄せ、クリスの体を怪物の中へと飲み込もうとする。

 触手が彼の周囲を覆い尽くし、暗闇が視界を奪う中でも、クリスの思考は揺るがなかった。


 彼は静かに、アダムから受け取ったピストルを構えた。


 周囲の音が遠のき、五感が研ぎ澄まされる。

 世界がスローモーションに包まれ、触手の動きが一瞬止まる。


 その静寂の中で、クリスは冷静に引き金を引いた。


 軽い発砲音が響き、銃弾が筋肉の塊に着弾する音が続く。触手が再び動き出し、クリスを完全に飲み込もうとするが、その瞬間――。

 警察庁全体がまばゆい光に包まれた。


ドカァァァァァァァアアアアアアアアア!!!!!!


 その後すぐに、爆音と衝撃波が辺りを揺るがし、エクスの巨体が突如爆発と共に燃え上がった。

 爆音と共に弾け飛んだ触手の残骸は、まるで血の雨のように四方に飛び散り、地面へと降り注いでいた。

 その中には燃え盛る破片も混じり、黒煙が空を覆い始める。崩れ落ちる巨大な手は鈍い音を立てながら地面に叩きつけられ、瓦礫と共に粉々に砕け散る。


 その光景は、まさに世界の終焉を思わせるような凄惨さであった。高熱を伴った爆風が人々の肌を刺し、辺り一帯が炎のオレンジ色の光に包まれる中で、誰もがただ唖然とし、その場に立ち尽くす。

 風が吹くたびに、灰が宙に舞い上がり、まるで英雄譚に語られる光景の一幕のようだった。




 そんな中、炎の中心から一つの人影が現れた。

 触手は塵となり、黒い煤が舞い上がってパチパチと燃える業火の中で、只コートを靡かせて静かに佇むクリスが、そこにはいた。

 彼の姿が炎の熱気で揺れ、それはまるで神話に出てくる英雄(ヒーロー)のようだった。


 革命軍、警察、カシムの軍――すべての者が彼を見上げ、その姿に息を呑む。

「かっこいい」や「勇ましい」を超えた、「美しい」という印象が人々の心に深く刻まれる。


 彼の姿を見つめる民衆の中から、かすかに「救世主だ……」という声が聞こえた。

 それは誰の言葉かも分からないほど小さいものであったが、その言葉が一瞬の静寂の中で広がり、人々の心にじわじわと浸透していった。

 クリスの存在は、もはやただの一人の戦士を超え、神話的な象徴として刻まれようとしていたのだ。


 周囲に残ったのは燃え落ちる瓦礫と、熱気に包まれた風。

 それでも、彼を見上げる無数の瞳の中に浮かぶのは畏怖と敬意、そして希望の光だった。

 クリスはただ一言も発することなく、その場に立ち尽くし、背後の炎の中で静かに英雄としての姿を刻み続けた。


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