第七話 教団への招待➀
「こちらキリ、ジョンベネックの屋敷内にてベネックのガードと赤髪の獣人が倒れているのを確認。」
「了解、そのまま作戦を続行。敵襲に気を付けて」
屋上へと続く階段から、トランシーバーのようなものを持った、黒髪高身長のキリと名乗る男が降りて来る。
その後ろから数人の、コートを着た男達が意識の無い二人の男を担いで二階の広間に歩いて来た。
キリは運ばれてきた二人の男の内、事前に調べていたハキと言う人物が息絶えているのを確認した後、倒れていた赤髪の少年に応急手当をした。
他の男達が少年の方を外へ運ぶ。
キリは周りを見渡し、ここで何が起こったか推測した。
「この傷は、少年の仕業か?しかし、傷に爪の大きさが合わない…獣化か?」
すると急に、彼の耳へ下の階から悲鳴が聞こえて来た。
中央階段を素早く降りると、そこではクリスが野次馬に来た給仕たちに囲まれ逃げあぐねていた。
キリが背負っている小型クロスボウでクリスを狙う。
「そこの君、大人しく止まるんだ!」
それに気づいたクリスが、人混みをかき分けて出口へと向かった。
「待て!」
キリが咄嗟に矢を放ち、その矢が脛を掠った。想定外の痛みに顔をしかめるクリス。
謎のキリと言う男から逃げられないと考えたクリスは、咄嗟に近くの食料保管室へ逃げ込んだ。
「黒髪クロスボウ!お前はベネックの手下か?それとも警察か?」
部屋の中から大声でクリスが叫ぶと、キリが勢いよくドアを蹴破って入ってきた。
ドアを全身で塞いでいたクリスは窓際まで吹き飛ばされる。
「うーん、多分敵ではないかな」
窓枠に寄りかかるクリスを見つけたキリは、クロスボウをこちらへ構えながらニヤリとして答えた。
「じゃあその弓を構えるのをやめてもらおうか」
そう言うとクリスはダガーを構えて臨戦態勢に入る。狭い部屋で弓は不利と判断したのか、キリもベルトのホルダーからダガーを抜き取り、近接戦へと切り替えた。
「僕の目的は、君が何者なのか調べるために生け捕りにすることだから、心配しなくても殺したりしないよ」
キリはそう言うと、クリスへ距離を詰め、ダガーを弾き落そうと自身のダガーをぶつける。火花が散り、クリスの腕に痺れが走った。
キリがクリスへと猛攻を仕掛けていく。そこで繰り広げられているのは、ゼロ距離で、互いの腕が絡みそうになるほど複雑な攻防。
クリスは上手くキリの攻撃を流していたが、実力は圧倒的にキリの方が上だった。
キリの攻撃に垣間見える格闘技や古武術の動き。クリスは前世でこそ映画やゲームで見覚えがあったが、実際に自分の身で受けきれるわけがなかった。
不意にキリの重い左ジャブがクリスの顔にクリーンヒットする。
そこで一度クリスが壁際まで距離を取って逃げた。
「おやおや、逃げようとしても僕の弓の的。大人しく捕まってください」
「お前、警察じゃないな。もっと戦闘に特化してやがる。特殊部隊か何かか?」
キリがジリジリと距離を狭め、クリスを追い詰める。
しかし、クリスは彼から逃げるための秘策があった。
クリスが懐から出したのは煙幕だった。キリはまだそれを見たことが無かったようだったが、恐れずにクリスへ向かっていく。
「それが何かは知らないが、何かが起きる前に捕まえてやる!」
そこでクリスが煙幕に火をつけ、一瞬で部屋中が煙に覆われた。
クリスは勝利の笑みを浮かべ、あらかじめ確認していた窓の方へ歩き出す。
「じゃあ、あばよ!」
煙でキリの視界が完全に遮られる。
クリスが煙の中で意気揚々と窓へ足をかけると、まだ窓へかけていない方の足を誰かに掴まれた。
「何!!!!」
クリスは大げさなほどに驚く。そこには目を充血させ、涙を流しながらも足を掴むキリがいた。
「舐めるんじゃない。想定外の事態も処理できないようじゃあ半人前だからな!」
キリはそう言うと、そのまま足を持ってクリスを部屋の中へ引きずり込む。強引に引っ張られたクリスは窓枠で顎を打ち、思わず呻き声が出た。
キリの手が足から離れ、地面に片膝を付くクリス。
しかし、クリスの目から光が失われることは無かった。
「だが、ここまでが俺の想定内だとしたらどうする?」
「!?」
クリスは立ち上がり、顎をさすりながらキリの方へ向いて言った。その手には小麦の詰まった麻袋。しかしキリには、煙の中うっすらとしか見えていない。
「あんたならここまで食らいつくと思ったよ。でもこれは俺の勝ちだね」
薄暗い中キリの方へ何かが飛んでくる。キリは向かってくるそれを思わずダガーで切ったが、切ったものは麻袋、それもただの小麦粉が入った麻袋だった。
再び自身の目を覆うキリ。一瞬で小麦粉が宙に舞い、煙の中白い靄が溢れ出てくる。
キリの指の隙間からは、クリスが窓へ腰かけ、かろうじて何かを持っているのだけが見えた。
クリスが右手に持っていたのは食糧庫のランタン。
彼は得意げに笑うと、キリに言い捨てた。
「粉塵爆発っていう現象があるのを知ってっか?俺は漫画で何回も見たんだけどねぇ」
直ぐにクリスがケタケタ笑いながら仰向けに窓から飛び降りると、その瞬間に部屋へと火の付いたランタンが投げられた。
ランタンから炎が零れると同時に、周囲へと巨大な爆発音が響き渡り、うねる炎が部屋を包み込んだ。
クリスによって巻き上げられた小麦粉による粉塵爆発は、部屋の中の温度を一気に上昇させ、食料もろとも部屋の中を焼き尽くしていく。
ドカァァァアァァァアアアン!!!!!
最初からクリスの狙いはこれで、“お手製の煙玉なんてものは軍人に効かない”と分かっていての策だった。
当のクリスは脱出成功し、外の地面に仰向けになって目を閉じた。
「流石にあんな化け物と正面から戦えねぇよ。こっちは素人だぞ」
そう言い、安堵のため息を漏らす。が、不意に誰かが目の前にいる感覚がして目を開けると、そこには3メートル程の、大きな灰色の狼がいた。
あまりにも急な狼の出現で戸惑っていると、その見知らぬ狼が急に喋る。
「残念、僕の勝ちだね。これは流石に想定外かもしれないけど大人しく捕まってもらうよ」
声は先程のキリという男そっくりで、所々の毛が焦げたり火傷を負ったりしている。その狼はクリスを甘噛みで咥えると、そのままベネック邸の外まで連れ出した。
「ま、待て!」
オオカミに嚙まれているクリスは、がっちりと牙の間に掴まれ、どれだけ藻掻こうとも逃げられなかった。
「放せコノヤロー!お前何もんだよ!この、牙を、どけろ!」
「静かになさい。僕はタフなだけで、耐熱性があるわけじゃないんだ。傷が痛む。それに、この国で一番強い獣人にここまで健闘したんだ。自分を褒めてやれ」
「こんの、この、あーーーッ!マジでむかつく!何が”一番強い”だよ!!」
オオカミに連れ去られたクリスは、ベネックの屋敷から少し離れたところへ連れていかれた。
その後すぐに、屋敷の外で待っていたキリの仲間であろう男たちに取り押さえられ、腕に何かを注射される。
抵抗するクリスだったが、腕に注射された怪しい薬の所為か、次第に意識が朧気になってきた。
「クソ!…なんだこの薬!」
周りで話す兵士の様な男達の声が頭の中で反響していたが、朧げな意識の中目が閉じかける。
しかし、クリスはその中で衝撃的なものを目にすることになった。
それは、ある一つの旗だった。
それは町中に掛けられた何十枚もある同じ旗の一つだったが、たまたまクリスはこの瞬間に目にすることになる。
そしてさらに遠のいていく意識。
「ま、まさか。本当に?いや、見間違いのはずだ、いや、まさか、まさか…」
抵抗するも虚しく、彼の意識は完全に闇の中へと落ちていった。
―彼が見た旗には、
”ゼリク元上院議員、大統領に当選”
と書かれていた。
次にクリスが目を覚ましたのはコンクリに囲まれた何もない部屋で、彼は入院患者のような真っ白な服を着せられていた。
立ち上がったクリスの足は冷たいコンクリの地面を踏み、ここが牢獄なのではないかという考えが巡る。
「ここはどこだ!早くここから出せ!」
クリスが鉄製のドアを叩くが、外からの返事は全くない。
ドアが一つあるだけで全く家具も窓もないし、周りの音も聞こえない。こちらの声が外に聞こえているのかさえ分からなかった。
一時間ほど経っただろうか。叫び疲れたクリスが部屋の中央で寝そべっていると、急にそれまでビクともしなかった開かずのドアが開き、入ってきたのは若い女性とサーベルを持った複数の兵士だった。
クリスは立って身構え、いつでも戦えるような態勢をとる。
少しの沈黙の後、最初にその女が口を開いた。
「今から君にいくつかの質問、いや、尋問をするから正直に答えるように」
そう言うと、その女はクリスの周りを歩き始めた。部屋の中で靴が地面を鳴らす音が響く。
「君は何者で、何の組織に属している?」
「はぁ?俺はあの屋敷でたまたま盗みをしていたしがない貧乏人だよ」
クリスが眉一つ動かさず平然と言う。
すると女は溜息を吐き、クリスの正面に立って、ロランのつけていたイヤリングを見せて言った。
「じゃあ質問を変えよう。“君達二人”は何者なんだ?」
さすがのクリスも額に汗が伝う。
この女性が自分たちについてどこまで知っているのか、それに、もしやロランに何かしたのか。
クリスの頭の中が混乱し始め、気分が悪くなりはじめた。
部屋の入り口を固める兵士達の視線も、クリスの心を見透かしているようで居心地が悪い。
「さぁ、答えて。これは最後の警告よ」