第七十四話 Kingdom Come ➀
クリスがエクスに近づくと、エクスの体から黒い繊維が伸びてきて、クリスに向かって迫ってきた。
「なんだこれ、気持ち悪いな」
クリスがその繊維を踏みつけると、それは黒い煤となり、粉々に崩れる。
その瞬間、エクスが突然叫び声を上げた。
「あ゛あああああああああ!」
驚いたクリスは、思わず後ずさった。
それと同時に立ち上がるエクス。
目の焦点は合わず、頭からはだらだらと血が流れていたが、彼は全身の筋肉を脈打たせながら、鬼のような形相でクリスの正面に立ちはだかった。
「オ…の、キン…肉は、脳でコントロールして、イタガ、そのりみったがhズレ…筋繊維がはかい、サイセイ、分裂を、繰り…カエし始めタ」
その言葉にクリスは鳥肌を立たせ、銃を構えた。
「オデを、…してくれ!人のママ、kロしてくれ!!!!!」
エクスが叫ぶと同時に、彼の体を赤黒い繊維が覆い始めた。それは見る見るうちに醜い姿へと変貌し、成長を続けていく。
「こいつは、やべぇ!」
クリスはじりじりと後退するが、かつてエクスだった黒い塊は天井を突き破り、ついに警察庁の屋上からその巨体を世界に広げ始めた。
警察庁の外で戦っていた革命軍や警官たちも戦いの手を止め、現れた異形の存在に唖然とする。
その姿はおぞましく、エクス本体を包む核を中心に、無数の赤黒い触手と手足が蠢いていた。
真っ白に染まる雪景色の中、警察庁の屋上に横たわる、英雄のなれの果て。
一先ず、クリスはアンブリエルを鞘から抜き、目の前で茂っている触手を薙いだ。
ブチブチと言う音を立てて切れる触手だったが、切っても切ってもその触手が再生していく。
クリスがより深く切り込もうとすると、次は大きな手が迫ってきた。
クリスはそれを見て瞬時に身を翻し、間一髪でその攻撃をかわした。
地面に叩きつけられた手は、衝撃で周囲の瓦礫を巻き上げ、雪景色を一瞬で混乱の渦に変えた。
「再生するだけじゃなく、力も増してるのか…!」
クリスは息を整えながら、アンブリエルを握り直した。
彼は触手や巨大な手を切り裂くだけでは埒が明かないと悟り、エクス本体を狙うべきだと考えた。
「核を狙うしかない…!」
クリスは瓦礫の隙間を縫うように走り出し、エクスの中心部に向かって突進した。
しかし、エクスの触手が次々と襲いかかり、クリスの進路を阻む。彼は素早い動きで触手をかわしながら、アンブリエルで次々と切り裂いていく。
その時、エクスの声が響き渡った。
「だァス、ケテくれ!」
クリスはその言葉を聞きながら巨大な足を除け、アキレス健にアンブリエルを突き刺す。
その傷口からは真っ黒な液体が噴き出し、クリスにかかった。
「待ってろボケナス!筋肉痛から解き放ってやるよ!」
「キンニクツウ、デハないヨ」
「例えで言ったんだ!」
サンダーとアレックスの戦闘力はほぼ互角だった。完全に同じ体格、同じ腕力、同じセンス。
感情の有無という点を除いて。
それにより、サンダーの攻撃は異質ともいえるものだった。
自身の体が傷つこうとも動じず、むしろ傷を受けるごとに動きが激しくなる。
「やめろ!それ以上無茶な戦い方をすれば死ぬぞ!」
アレックスの叫びが虚しく戦場に響いた。サンダーの目には焦点がなく、ただ本能のままに動き続けているかのようだった。
血で濡れたダガーを握るその手は、痛みを感じるそぶりも見せず、冷徹に振り下ろされるたびに鋭さを増していく。
しかし、サンダーから返ってくるのは無言の攻撃だけだ。その一撃一撃に、まるで感情が消え去ったかのような機械的な冷たさを感じた。
「弟よ!」
アレックスの瞳に決意が宿る。サンダーの攻撃を紙一重でかわし、その瞬間、隙を突くように一閃する。マスケット銃の先端に付けられたその刃がサンダーに届いたそのとき、サンダーの胸から鮮血が噴き出した。
サンダーの動きが一瞬止まる。だが、それは苦しみの表情ではない。彼の瞳は、どこか遠くを見つめるように虚ろだった。
そして、静かにこう呟いた。
「哀れみとは、不便なものだな…」
サンダーが動こうとした時、アレックスが彼に駆け寄って言った。
「僕は、君を救いたい!」
サンダーは雪の積もった橋に膝を付き、足元に滴る血に降れる。
その血は暖かく、真っ白な雪を情熱的な赤で染め、溶かし続けていた。
アレックスがサンダーの肩に手を置き、語り掛ける。
「まだ間に合う!僕たちと一緒に、平穏な未来を」
「同じだ」
「え?」
「同じだって言ってんだ!」
アレックスに対し、初めて声を荒げたサンダー。
「私には同じ血が流れているのに、何で、何でお前らはそんなに幸せそうなんだ!何でそんなに俺と違うんだ!」
頭を抱え、雪の中うずくまったサンダーは、嗚咽を漏らしながら続けた。
「…俺は、俺は、生きるのが、辛い」
サンダーの声は震え、雪に吸い込まれるように消えていった。アレックスはその言葉に息を呑む。
「かつては僕もそうだった。でも、シトラスやクリス達と出会って、変わった」
アレックスは呟くように問いかけたが、サンダーは答えない。ただ、拳を握りしめ、地面に叩きつけるようにして叫んだ。
「違う!お前は人間として成功作だ。失敗作は俺。もともとそういう仕様なんだろう。俺には痛みも、喜びも、憎しみもない!ただ、空っぽなんだ!お前たちが感じるものが、俺には何一つない!」
その言葉に、アレックスは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
彼は感情を持たないがゆえに、痛みを恐れず、命を惜しまない。だが、それは同時に、彼が何かを守るために戦っているわけでもないということを意味していた。
「…それでも、君は生きているんだ。感情がなくても、君の存在には意味がある!」
アレックスは必死に訴えかけた。
「意味だと?そんなもの、どこにある!」
サンダーは顔を上げ、アレックスを睨みつけた。その瞳には、大きな揺らぎが見えた。
「俺が生きている意味を教えてくれ、アレックス。もしそれが本当にあるのなら…」
サンダーの声は次第に弱まり、最後には雪の中に崩れ落ちた。
アレックスは彼の肩を支えながら、静かに言った。
「一緒に探そう」
しかし、急に前を向いたサンダーは、真っ黒な瞳で言った。
「お前に救えるものなど、ない。だってさ、お前は昔、俺を捨てて逃げた。そうだろ?」
「逃げたんじゃない!…ほら、最初革命軍に入ろうと思ったのも君を救うためさ!」
「違う、違う違う違う違う!今分かった、最初に芽生えた感情は恐れと苦痛。そこに思いやりや優しさなんてものはない!お前もそうだ。俺は誰にも必要とされず、何の意味も持たず、俺は!」
そこまで言うと、サンダーはゆらりと立ち上がり、橋の中央で座っているアレックスの隣から対面へと移った。
まだ昼頃だったが、暗く吹雪始めた中で、サンダーの前髪が緩やかに揺れている。
アレックスから、その目鼻は影になって見えないが、悲しさを纏わせた口元は震えていた。
「お前を殺して、俺も死ぬ」
サンダーはそう一言、ぶっきらぼうに言い放つと、渾身の力を込めてアレックスの腹部へと拳を突き出した。
その瞬間、アレックスの背中に貫かれた真っ赤な拳。
鮮やかな赤は、白の雪に溶け込み、形容しがたい美しさと悲しみを刻み込む。
雪は容赦なく、二人を静かに、終わることなく降り続けた。




