第七十三話 不落の城が落ちる時➂
エクスが勝利を確信し、余裕たっぷりにアダムを見下ろしていたその瞬間、アダムの右手がゆっくりと動き始めた。
痛みを感じない身体の中で、唯一動かせる指先が、隠し持っていたピストルのグリップをしっかりと掴む。
「もう体も動かんか?」とエクスが冷笑を浮かべたその刹那、アダムは血まみれの顔を上げ、鋭い目でエクスを睨みつけた。
「指さえ動けば十分よ」
アダムは残された力を振り絞り、ピストルをエクスに向けて引き金を引いた。
銃声が轟き、エクスの表情が驚愕に変わる。弾丸は正確にエクスの右耳を貫き、彼の動きを一瞬止めた。
その隙を逃さず、アダムは壁を支えにして立ち上がり、再びピストルを構える。
「これで終わりだと思うなよ……まだ俺は立っている!」
エクスは右耳を押さえながら後退し、初めて焦りの色を見せた。アダムの復讐心が、彼を再び戦いの舞台へと引き戻していた。
「こいつぁ、狂ってやがる!」
エクスが怖気づいた瞬間、アダムがもう一度銃弾を放った。
銃弾はエクスのすぐ側を掠め、アダムがすぐさま次の球を装填する。
一瞬怯んだとはいえ、エクスもこれで引き下がるような男ではない。
「殺してやる!お前をズタズタに引き千切ってやる!!」
エクスがアダムに向かって突進し始め、アダムもエクスに銃口を向けた。
エクスは迫り来るアダムの銃弾を読み取り、鋭い身のこなしでそれを弾いた。
金属音が響き、弾丸は壁に当たって跳ね返る。
そのまま勢いを保ったエクスはアダムに飛びかかり、彼を地面に押し倒した。
やはり手負いの凡人如きでは吸血族に勝てない。
エクスはそう思った。
「これで終わりだ、アダム!」
エクスは勝利を確信し、その邪悪な笑みを浮かべる。
しかし、アダムの目には別の物が見えていた。
この戦いはアダムの勝利で終わる。
それをアダムは分かっていた。
何故ならエクスが拳を振り下ろし、アダムの頭を砕かんとするその刹那、警察庁廊下から銃弾を放つクリスの姿が見えているからだ。
あと数秒遅ければアダムは死んでいただろう、まさに奇跡とも言える救いの手。
だが、アダムが見ているのはその救いの手でもない。
自身の体へと無数に絡みつく、真っ黒な手の数々だった。
――ライの手、ランファンの手、リリィの手。今まで殺してきた相手の手。
アダムの心は既に限界だった。
いっそエクスの一撃で死のうと思っていた。
ライやランファンの手は、愛情も、彼らのエゴも、何もかもがぐちゃぐちゃになった最も醜い手。
リリィの手は、アダムの人生を狂わせたマッドサイエンティストの手。
そして、これまで命を奪ってきた吸血族達からの、呪いの手。
それらすべてがアダムを、アダムの人生を拘束し、雁字搦めにしている。
これだけじゃない。生きているだけで全てが煩わしい。苦しい。自分の心に何も詰まっていないことが自分を苦しめる。
――俺を、解放してくれ
パァァァァァアアアン!!!!!
エクスのこめかみを銃弾が貫通し、そのままエクスが地面に倒れる。
「アダム!」
クリスの叫び声が警察庁に響き、彼はすぐさまアダムの下へと駆け付けた。
「助かった、クリス。まぁ、死んでも良かったんだがな」
壁にもたれかかったアダムは素っ気無くそう言ったが、彼はアダムの目を真っ直ぐ見て言った。
「おいおい、まだ死なれちゃ困るぜ。この世界で唯一血のつながった家族と、一回も遊び行かねぇなんて面白くないからな。言っとくけど、クリスにアダムの兄貴は必要だぜ?……俺も最近気づいたけど、兄貴ってむずいんだよな。ハハハ」
そう言われた瞬間、アダムの瞳からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
今までくすんでいた視界に色が付き始め、閉ざしていた冷徹な心が温まる。
アダムは恥ずかしがり、フードを深く被ったが、クリスはそれをイジった。
「お、寂しがりをここに一人はっけーん」
それを聞いたアダムは照れ臭そうにクリスの頭を撫でると、クリスに言った。
「ありがとうな。俺は、人間、人に愛されてないと生きてちゃいけないんだと思ってたけど、どうやら違った。人を愛するために生きていてもいいらしい」
義兄弟による感動の瞬間だったが、クリスが何かを感じ取る。
倒したはずのエクスから、何やら邪悪な気配を感じるのだ。
「アダム、廊下に避難していてくれ。後は俺が決着をつける」
クリスがアダムを担ごうとした時、アダムがスッと一丁のピストルを差し出した。
「これを使え。お前の銃じゃあいつの装甲を貫くことはできない。だが、このピストルには着弾と共に爆発し、奴の装甲を破れる銃弾が一発だけ入っている。俺は念のため持って来たこいつを使ってやれなかったが、お前なら使える」
クリスは頷くと、アダムからその銃を受け取った。
そしてクリスがエクスの方を向くと、彼の体から赤黒い繊維の様なものが現れ、うごめいているのが見えた。
「エクス、お前は俺が、クリスが倒す!」
その頃、サンダーはアレックスと対峙していた。
「のこのこ現れるとは、頭がお悪いようで。兄、いや、姉と呼ぼうか」
片手に布を巻き、片手に手錠をかけたサンダーは、警察庁“旧ベンヌ城”の堀に掛かった橋の中央に立っていた。
橋の石畳は雪に覆われ、足元が滑りやすくなっている。
冷たい海風が吹き抜け、粉雪が舞い上がり、二人の間に一瞬の白い幕を作る。
雪の降りしきる中、海風が軽い粉雪を舞わせていた。
「何をしに来た。僕は僕の居たい場所に居るだけだ。君に関係ないだろう?」
アレックスが白い息を吐きながら言った。
彼女は、自分の過去と向き合わなければならないこの状況、そして正面に立つ、自分の醜い部分を集めたような存在に恐れ、震える肩を両手で抑えていた。
「お前は、痛みを知らない。愛も知らない。…そんな兵器がこんなところで何をしている?何を学習した?どうあがいても、お前は“ヒト”じゃないんだぞ。さぁ、俺と共に兵器へと戻ろう」
サンダーはアレックスに手を差し伸べた。
その手は冷たく、雪の中で青白く見えた。
しかし、アレックスはその手を無視して、マスケット銃を彼の眉間へと狙い構える。銃口からはわずかに蒸気が立ち上り、冷たい空気に溶けていく。
「僕は人を愛す痛みを知っている。そして、これを知った今の自分を否定したくない」
それを聞いたサンダーは手を下ろし、今度は右手でダガーナイフを取り出して言った。
その刃は雪の光を反射し、冷たく鋭い輝きを放っていた。
「そう言うと思ったよ。まぁ、最終的に、今からする私の行動は変わらない。カシム様から命令されているからね、失敗作を殺せと」
アレックスは引き金を引き、銃弾を放った。
銃声が橋の上に響き渡り、雪の静寂を切り裂いた。
しかし、サンダーはその銃弾の動線に合わせてダガーを振り、軌道をずらした。弾丸は橋の石畳に当たり、火花を散らして消えた。
「今から、殺す」
そう言ったかと思うとサンダーがアレックスとの距離を一気に詰め、小さなダガーを躊躇なく振り下ろした。
その動きは風のように速く、アレックスは反射的に身を引いたが、ダガーの刃先が彼女の肩をかすめ、鮮血が雪の上に滴り落ちた。




