第六十八話 潮風に騙され➁
「…ちょっと声が聞きたかったって。らしくないぜ。リラも心配してたし、無理するなよ。…じゃ」
クリスは通話機能のみが残されたスマホをテーブルの上に置き、電源を切った。
サーバーも何もかもが廃れ、インターネットというものが消えた世界でも、人工衛星は今も空を回っているらしい。
地球上に残された旧時代の遺物はごく稀に発見され、その度に過去を知る革命軍や吸血族に回収、利用されてきた。
特に革命軍主要メンバーの中でも5人しか持っていないスマートフォンは、まさに“ロストテクノロジー”と呼ぶにふさわしいものである。
私だって特別なのに。僕だって―
クリスがベッドに置いてあるカバンを開け、中から何かを取り出そうとした時、やっと彼はこちらへ気づいた。
「アレックス、来てたんだ。ごめん、長電話してた」
「やっと三人目」
気絶した警官の襟を掴んで、そのまま階段の裏へとズルズルと引き摺る。
三人目の首を絞めている間、アレックスは昨日の晩のことを考えていた。
まさかこうなるとは思っていなかった。
自分に復讐以外の目標ができるとは。
生れた時からカシムへの怨念と過ごしてきたようなアレックスにとって、初めて感じる胸の高鳴りは、他でも無い彼女自身を驚かせた。
「とにかく先へ進まないと」
アレックスはうつつを抜かしていた自分を叱り、階段に足をかけて、警察庁の二階へと登り始めた。
彼女の任務は内部構造の把握と、できるだけ戦闘員を減らすこと。
職員として偽造身分証を使って警察庁へ侵入したアレックスは、今のところ何の問題もなく広大な敷地の中で任務を遂行していた。
他では類を見ない程巨大な警察庁。
純白で高貴な王宮にも見える警察庁は崖のすぐ隣に建っており、この場所が旧王政国家カドラテルの城、不落のベンヌ城であることは有名だった。
ビサの侵略戦争で一部が損壊することはあったが、現在は修復されて警察庁になっていた。
「お疲れさまです~」
二階に上がったアレックスは、廊下ですれ違った四人の警官に威勢よくあいさつし、そのまま辺りを見回して二階の構造を暗記し始める。
アレックスが一歩前に進む度、真っ赤な絨毯がキュッキュッと音を鳴らした。
それが終わると三階、四階へと上がっていく。
どうやらエクスら最高幹部が普段居るのは、警察庁の最上階、五階らしい。
その為か、どのフロアも事務員や中級警官ばかりだった。
四階で適当に盗んできた書類を片手に、アレックスは素知らぬ顔をして魔の五階へと階段を上り始めた。
しかし、その途中で、上から降りてくる人物の異様な気配を感じた。
それとなくアレックスが上を見上げた時、その顔に驚愕した。
“な、なぜカシムがここに!”
アレックスは焦り、顔が一気に青くなる。
どういうわけか、カシムが赤のローブを身にまとい、片眼鏡を付けて五階から降りて来たのだった。
その中世的な、美男子という言葉がよく似合う顔は、アレックスにとっては憎悪、恐怖の対象でしかなかった。
アレックスが少し顔を伏せ、そのまま黙って隣を通り過ぎようとした時、カシムが急にアレックスの肩を掴む。
「君、名前は?」
カシムがアレックスに問うた。
アレックスは少し顔を反らしながら、恐る恐る答えた。
「僕はジョンです」
カシムは顔をしばらく見つめ、その後ぼそりと呟いた。
「そうか。すまない、僕が前共に暮らしていた人に似ていてね。人違いだ」
カシムはそう言うとアレックスの肩を離し、下の階へと降りて行った。
カシムが通り過ぎたのを確認して、アレックスは再び足を進める。
彼女は何事もなかったかのようにそのまま階段を上ったが、両足が完全に五階へと辿り着いたとき、身体から一気に汗が噴き出し、足がガクガクと震えだした。
「た、助かった」
再びアレックスは下の階を覗き、まだカシムが近くにいるのかどうかを確認した。
今アレックスの思考を支配するのは全て恐怖。
予想外の出来事に、彼女の心臓はせわしなく音を鳴らしていた。
とは言え、いつまでもここにいるわけにはいかないので、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「切り替えよう。すー、はー」
そう言ってアレックスが気を引き締めたのも束の間、誰かがアレックスの背中を叩いた。
「君は誰だ?ここに来られるような階級じゃないだろう?」
アレックスが振り向くとそこには身長二メートルもあろうかという大男が立っており、その男の被る帽子、制服に着いた数々の勲章から、彼こそが警察長官エクスであることが推察された。
咄嗟にアレックスが答える。
「僕は、」
アレックスが情報収集をしている時、アダムとシトラスは既にカドラテルへ郊外へと到着していた。
「ちゃんと話すのは初めてじゃないか?クリス」
クリスは差し出された手を握り、正面に立つアダムという男を見る。
「そうですね。アダムさん」
アダムがクリスをテントへと誘い、先にテントの前で待っていたいたシトラスと共に中へ入る。
アダムはテントの入り口を閉める際、一度旅芸人に扮した義勇軍へと目をやり、これから起こるであろう殺戮について思いを巡らせた。




