第六十一話 これからどうすると?➂
国際病院の中には奇妙な光景が広がっていた。
触ろうとしても触れない人や、勝手に床を掃除するロボット。
ライはこの世のものとは思えない機械達に驚き、それらを恐る恐る指先で触れる。
リリィはズカズカと奥へ進み、何かカードのようなものをかざして扉を開けた。
「ここは、遥か上空に設置された宇宙線発電システムと、トノウエ山に建てられた複数の再生可能エネルギー発電所によって動いています。それに加えて、災害時の為の自己修復機能。まさに日本の技術の粋を集めたシステムと言えるでしょう」
リリィが奥へと進みながら言う。
しかし電気というものを知らないライたちは訳が分からず、そしてこのリリィという人物に関しても謎が深まった。
アダムが丸い自動お掃除ロボットの上に乗ってリリィの後に付いて行く。
「そしてここは総合避難所。ここまで来れば食べ物もありますし、まぁ栽培や狩りをしてもいいんですけど…寝る場所も生活に必要なものも全てあります。何なら、今、ここならこの世界のどこよりもハイテクな生活ができるでしょう」
ライ達がリリィに続いて総合避難所へ入ると、そこには壁一面の生活必需品が備えられていた。
中には、銀色の袋で包まれた謎の物体もたくさん置いてあった。
ハンスが目を丸くし、リリィに問う。
「いや、意味が分からない。なぜこんなにもすごい建物があるのに、誰もいないんだ。君は何者なんだ。ハツデンショとは何なんだ!」
リリィは溜息を付くと、やれやれという風に身振りをして、昔話を始めた。
この世界がいつからあって、それまでどんな歴史が紡がれてきたのか。
それまで使われていた電気とは何なのか。
地震や津波の説明、そしてここがその避難所ということ。
リリィがこれまでどんな人生を送って来たのか。
そしてある一時期に日本へ来て、ロシアからの研究員としてこの病院の職員をすることになったこと。
それは吸血鬼化治療の研究をしており、その中で戦争が激化して皆が日本から避難したこと。
そうして残った病院がこの国際日本病院であり、2258年現在、亡命先として逃げ、そのついでに研究資料を取りに来たこと。
リリィは一切合切をすべて話した。
「安心して。私は半吸血鬼化しているけど、考え方が彼らのように偏っているわけではないわ。健康な生活をしていれば血を欲することもないし、飲みたいとも思わない」
始め、ライはそれらの話を信じることができなかった。
しかし、今病院で実際に目の当たりにしている光景と、リリィの知識量がそれを真実であると言わしめている。
ハンスが地面に座って言った。
「本当に、そんなことが。じゃあ、電気も何もかも、吸血族が意図的に隠した。反乱を起こされないために」
ライとハンスは顔を見合わせ、「たまげた」とだけ言うと、この世界の真実を知ってしまった衝撃で黙ってしまう。
皆が黙り、これからの生活の不安と現代の闇に閉口している時、急にランファンが叫ぶ。
「うおおおおおい!喋ったぞ」
三人がランファンの方を見ると、ランファンに抱えたられたクリスと、アダムがクリスの顔をのぞいていた。
リリィが首を傾げ、ランファンに言う。
「音声認識により人工知能AIは喋れますよ。グルグルアシスタントか何かが反応したのでしょう」
しかしランファンは首を横に振って言う。
「クリスがにぃにって言った!」
予想外の返事にリリィが驚く。
アダムは自分がクリスに呼ばれ、兄になったことにワクワクしていた。
それを聞いたハンスとライは、嬉しくもあるような、悲しくもあるような気持ちになる。
最初にパパママを言わせてあげられなかった悲しさと、新たな主が着実に成長している嬉しさ。
暖かな空気の中、ハンスが場を仕切り直して言った。
「まぁ、取り敢えず二、三年はここにいるつもりだ。皆の健康状態、陛下の成長具合も見て、じっくり計画を立てて行こう」
こうしてこれから十数年、安全なルバモシ王国残党の亡命生活が始まる…
筈だった。
それから約一年間は、リリィは吸血症の治療法を探し、ハンス達は革命の計画とアダム、クリスの教育をした。
しかし残念ながら、どれだけ探しても吸血症の治療法は見つからず、リリィは絶望の淵に立たされる。
研究室の中で一人、シャーレの中の透明な塊を顕微鏡で覗くリリィ。
かつて細胞だったものが、冷凍室から出すと全て形を保てずに溶けていくのを見て絶望する。
もう何度も顕微鏡を覗いているが、その結果は同じだった。
「そんな。治療細胞も死滅している。予想はしていたが、二百年という時の流れには逆らえなかった。新細胞を生成できるだけの設備もないし」
リリィは顕微鏡を避け、そのまま机に突っ伏す。
机には大量のシャーレとタブレットが置いてあり、それぞれのタブレットには様々な化学式が書かれていた。
「クソッ!」
静まり返る研究室。
そうしてリリィが思考を停止していた時、不意にタブレットから通知が鳴った。
それに気づいたリリィがそれを手に取ると、リリィによりロシア語設定された画面の上部に、“記憶反映治療の研究データが未更新です”と表示されている。
リリィはその療法に聞き覚えがあり、内容を記憶の底から掘り返した。
「これは確か、もし記憶喪失になった時のために自分の記憶をデータ化しておいて、記憶喪失後に脳へインプットさせる技術。まだ実用化には程遠く、日本では二例だけしか記憶をデータ化できなかったはずだけど」
彼女はその通知を押すと、佐藤雄志と小瀧夏のデータが表示される。
元化学部の少年、英語を読み書きできる少女、高校生で終わったその人生。
恐らくこのタブレットは二百年間、誰にも気づかれることなく淡々と通知を発し続けていたのだろう。
記憶データの最終更新日が2063年1月になっていた。
そこでリリィが一つの案を思いつく。
自分を治療できない今、ゼリク殺害の復讐を進めるべきでは?と。
この記憶を使えば、二百年前の知識が得られる。
古の本を集めれば、彼等はその言語が分かる。
冷戦時からずっと常にロシア語のみを使っていたリリィにとって、英語を使える人物は喉から手が出るほど欲しい者であった。
「小瀧夏。彼女がそうなのね」
リリィはすぐさまデータを液体へ移し、それを注射器へ入れる。
記憶反映の方法は一つ。注射器を右耳の裏から打ち、脳に直接記憶を見せること。
成功例はゼロだったが、リリィはこれに全てを掛けることにした。
一応佐藤雄志の分も作り、机に二本並べて置く。
さらにその隣にノートを作り、古の知識が武器となりうること、注射器の使い方、小瀧夏と佐藤雄志の特徴。
その上、自分の医療知識と、記憶を反映されたものが吸収した兵器や化学の知識が合わされば、全てが上手くいくはずだと、赤字で、第五紀言語で書いた。
そして、これを書いたのが最大の間違いだった。




