第四話 無情➁
振り下ろされた斧が地面をえぐった。ロランからは土埃でクリスの姿が見えない。
「クリスーーーーー!!」
ロランの顔色が一瞬で青ざめる。盗賊の周りからクリスまでが土煙で覆われ、ロランの位置からは、中の様子がはっきり確認できなかった。
クリスを心配し、慌ててロランが近くへ行こうとすると、何か焦げるような匂いが鼻に入ってきた。
「なんだ、この匂い」
ロランがそれでも煙の中のクリスへ近づこうとしたその刹那、煙の中から見えていた盗賊の頭が地面へと倒れていった。
「ケホッ、コホッ....うおー、初めて煙幕使った…!」
いつもの聞き慣れた声と共に、煙の中からクリスが出てきた。右手には、血で赤く染まったダガーが握られている。
「クリス!無事だったのか。よかった!姿が見えなくなったときはどうしようかと」
「大丈夫だって。俺はこんなとこで死ぬほど弱くないさ」
クリスは余裕そうな笑みを浮かべると、ダガーを肘の裏で挟み、ローブの袖で血を拭った。
「いったい何をしたの?」
馬車へ向かいながらロランが聞いた。
「これは煙幕っつって、煙を出す爆弾を使ったんだよ。んで相手がこちらを見失った隙に、こう、一撃」
クリスが身振り手振りを交えながらロランに状況を伝えた。
「バクダン?」
「そう。煤を使って作った簡単な煙出し機って感じ」
クリスが黒くて丸い物体をロランに見せる。
「お前、すごいな!将来科学者なれるぞ!」
「えへへ、それほどでも」
クリス達が馬車の近くへ戻って来た時、暗闇の少し先を見ると馬車の前に運転手の男がいた。
運転手は松明を持って左右に手を振っている。
どうやら彼も無事なようだった。
しかし様子がおかしい。何やらこちらへ向かって叫んでいる。
「....し..ろ!....うし..!!」
ロランも首をかしげていた。しかし、もう少し近づくと、だんだん彼が何を言っているのかが分かってきた。
「う!し!ろ!」
先に気づいたのは耳の良いロランだった。すかさず振り返ると、先ほどみねうちしたはずの盗賊が、後ろから鉈を持って襲い掛かってきていた。
ロランも応戦するべくマチェットを抜く。
とてもじゃないが避けるような余裕がなかった。
ロランに迫られた選択肢には、選べる択が一つしかなかった。それは彼を殺すこと。
考える暇も無く、ロランは盗賊を十字に切った。
敵の切り口からは、鮮血が噴水のように噴き出た。
翌日、
「いやぁ、昨日は助かったよ。ありがとう。峠を越えるともう砂漠が広がっているから、朝食を食べてから水浴びをしてくるといい」
朝日を背に運転手の男が言う。
煌々とした朝日は、昨日までの冷徹な夜を振り払うように辺りへ光を満たしていった。
クリスとロランが起きると、彼はすでに朝食の用意をしていた。干し肉と野草が鉄鍋でぐつぐつと煮られており、何らかの香辛料を使っているのか、辺りにスパイシーな香りが漂っていた。
「僕は先に水浴びしてくるよ」
ロランが靴を履きながら言った。
「早く帰ってこないと全部食うぞ~」
クリスが冗談半分に茶化す。ロランは適当に返事をして、沢へ向かっていった。
少し山道を逸れると綺麗な沢があった。
沢には何の不純物もない、透き通るように清らかな水が流れている。
ロランは服を脱ぎ、冷たい水を少しずつその細い肩からかけていく。最初は冷たかったが、慣れてくると頭から水を被って汗を流していった。
右腕にこびりついた血も洗い流す。首についた血も洗い流す。
「はぁ、はぁ」
急に昨日の盗賊が死んだ瞬間がフラッシュバックして胃液が逆流してきた。喉のあたりに不快なものがこみ上げるのが分かる。
手に人間を切り裂いた時の感覚が蘇った。筋繊維を断ち切り、骨に到達した感覚。
手に震えが広がり、背筋に悪寒が走った。
「ぅああぁ」
声にならない叫び声が出る。
「落ち着けロラン、落ち着け自分、落ち着いて」
自分に言い聞かせて、もう一度川の水で顔を洗う。
ロランが水浴びを終え、服を着てしばらく川のほとりでうつむいていると、道の方から運転手の男が歩いてきた。
「どうした、俺の飯が食えんか?口に合わんのか?」
「いや、…そうじゃないです」
「殺しは、初めてか?」
「……はい」
「そんなことだろうと思ったよ。君はもう片方の子と比べて強い心を持ち合わせていないように思える。そんなんじゃやっていけんぞぉ」
運転手の男はクリスの隣に座り、タバコに火を付けて、ロランと同じように沢の方へ向いた。
ロランは座ったまま川面を見つめる。川の流れに逆らおうと泳ぐ魚たちの背が、眩く銀色に輝いていた。
「君は、ここで帰るのも手だぞ」
男が沢を見たまま言った。
「いや、帰りません。相棒の為にも、自分の為にも、ここを乗り越えます」
ロランがそう言うと、男は意外そうにロランの方を見る。
男はさらにロランへ言った。
「本当か?ここから先は闇だ。昨日の夜と同じ世界が毎日続くぞ。それでも、行くんか?」
「…僕は、一度決めたことを曲げるような男じゃないです。…心配させてしまいましたね、ありがとうございます。戻りましょう!」
ロランがそう言って立とうとすると、運転手の男は手でそれを止め、ロランに何か小さなものを渡してきた。
それは小さな布の切れ端であり、その布の中心には金色で三角形が描かれていた。
「これ、やるよ。ま、お守りとでも、思ってくれ」
「…?これが何かはよくわからないけど、ありがとう」
「いいさいいさ、これは俺のためでもあるからな。それに、俺もそんな時期があったよ。君を見てると応援したくなる」
「は、はぁ。さっきからよくわからないことばかり言っているがあんたは何者なんだ?」
「ただの運転者さ。さあっ、飯食うぞ。行った行った」
それから、峠を越えてからの旅路は過酷を極めた。見渡す限りの砂漠と砂嵐。時に巨大トカゲに襲われたり、水が尽きかけたりすることがあった。それでも協力して砂漠を進んで来た。
そしてついに迎えた旅の20日目。
「おいクリス!向こうに何かでかい建物があるぞ」
「本当だ!あれは何だ?」
「小僧共!あれはステティアの外壁。砂嵐から町を守るためにある。もうすぐあそこへ着くぞ」
外壁へ近づくとよりその大きさを感じられた。それはまるでこちらへ倒れてくるのではないかと錯覚するほどの迫力があった。
外壁に取り付けられた大きな門には5人の門番がいて、馬車がギリギリ通れるほどの幅だけ開いている。門番は馬車の幌の文字を見ると、何も言わずに門を通してくれた。
「「すげぇ!!」」
やっとたどり着いたステティアにはクリスとロランが見たことのない景色が広がっていた。石畳の道路を走っていく自転車、コートを着た身分の高そうな男女。
最も目を引いたのはその街並みだった。下町はレンガ造りの家屋が多いが、少し中心部へ近づくと、大きな鉄製のパイプや錆びついた歯車のついた、黄金色に輝く建物達が林立していた。
また更にその奥、最も北。海に面した工場地帯には、高さ200mはあろうかという煙突がいくつも並んでいた。
「すごい....これが最先端蒸気機関都市、ビサの首都ステティアか!」
クリスが馬車の後ろから顔を出すと、かすかに煙臭い、工業都市独特の匂いが鼻を抜けていった。