第四十一話 思春期なんですよ。彼は
ルーシーは自身の書斎でガラケーに耳を当てていた。
「えぇ。クリス君は生きているわ。中々タフね、彼」
「俺の弟だぞ?強いに決まってる。―おっとリーダーに呼ばれたよ。それじゃ」
「待って、アダム。いつ来るの?」
「さぁね。おっちゃんがどうするか決めるまで分かんない」
「―そう。それじゃ、気を付けて」
ルーシーは暫くガラケーを口に当てて何か考え事をしていたが、書斎のドアがノックされると、瞬時に机上の物を引き出しの中に入れてから答えた。
「はいはーい」
クリスは砂漠の中心、辺りには何もない砂の海原でジィジと二人、座禅を組んで座っていた。
呼吸を整え、意識を集中させる。
かつてエアリアと共に修行した時のように、周囲に根を張っていく感覚で、先へ、先へと意識を広げていく。
隣ではジィジが既に生命を探知し、クリスがそれを見つけるのを待っていた。
「これは…オニスナサソリ…かな?」
「アホ。確信するまで調べんかい」
「特徴的な前脚、砂にカモフラージュしやすい茶色、捕食者に飲み込まれても吐き出されるように進化してきたトゲ、そして狩りをするため尾についている毒針。この毒は暗殺者用の神経毒に使われる。使い方は原液を頭部に、もしくは心臓付近に一滴。これが半径1キロ以内で一番大きな生物」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー」
「マジで?」
「マジ」
「正解じゃ」
「よっしゃぁ!」
クリスは拳を握りしめ、立ち上がって喜んだ。
「どう?ジィジ?これで上級者だろ。三つ目の試験は突破ってことでいいね?」
ジィジはそれを聞いて顔を顰め、同じく立ち上がってクリスに言った。
「じゃ、捕まえに行くぞ。お前さんのダガーに毒を塗る。場所は勿論、今も探知しているな?」
「いーや、ジィジ、今日は疲れたし、休憩しよう。ね?ジィジも水飲んだがいいよ。昭和の野球部じゃないんだから。ね?」
互いに真顔で見つめ合う二人。
「……」
「……」
「……」
「……あー!もう!悪かったよ。もっかい探知するよジィジ」
「は~疲れた」
クリスが大きく息を吐き出し、脱いだ上着を肩に掛けて歩く。
惨劇からはしばらくの時が経ち、ラオ中心街の復興も進んだ。オファクの民達は復興に協力し、ラオの民もオファクに物資を運び、今では相互間に強固な協力関係ができているほどであった。
夕方、本日の訓練が終わり、クリスがジィジと共に洞窟の入り口まで戻って来た時だった。
「待て!君は何者だ!こら!」
二人の耳に、村の門の方から衛兵の叫び声が聞こえてきた。
クリスがそちらを向くと、門から駆けて来たのはリラだった。
「クリス!探したぞ!ラオの者にオファクの場所を聞いて、やっと辿り着いた」
リラは息を切らしているが、息を整える時間が惜しいとでも言わんばかりに、矢継ぎ早にクリスへ質問を投げかける。
「エマを見なかったか?ラオの街にあるアーティファクトを見に行ったきり帰ってきていないんだ。もう三日も立っている。もし見てなくても、どっか心当たりとか、無いか?」
戸惑うジィジと衛兵をよそに、クリスはリラの問いに答えた。
「いや、見ていない。何の音沙汰もなく消えるわけがないし、何かあったとしか思えないよ」
「そんな。やっぱり吸血族に掴まったとか。エマ…無事であってくれ!」
今にも泣き崩れそうなリラを前に、クリスは黒い手袋を填めて言った。
「俺も探す。先に探しててくれ、俺は準備があるから、後で追いかける」
クリスのその言葉を聞き、リラはジィジと衛兵に礼をした後、またラオに向かって走っていった。
ジィジと衛兵は何のことかさっぱりだったが、クリスから説明を聞くと、ジィジが苦い顔をして言った。
「そうか。吸血族による人攫いなら、もう手遅れかも知らん。既に血を抜かれておるか、内臓まで食べられておるか」
クリスはそれを聞いて青ざめたが、すぐに衛兵の男がそれをフォローした。
「いや、まだ分かりませんよ、クリスさん。もしこれがカシム一派の報復であるなら、情報を聞き出そうと、彼女を生かすはずです」
そこでクリスには思い当たる節があった。
確かに少し前、リラと協力してザザとジーナを倒すことはできたが、ラオで起きていた一連の反新体制側による事件が彼らの活動のみであったとは考えにくい。
多くの事件はザザら旧ブルート一派が行っていたのだろう、復興も滞りなく進み、人攫いも減った。
しかし、元々ここへ進出しようとしているのはカシム一派なのだ。であれば、ザザが死んだ後も吸血族の工作があってもおかしくない。
「…俺のせいだ」
「何じゃと?」
クリスがぼそりと言った言葉をジィジが聞き返すと、彼は鬼の形相でラオ市街の方を睨んだ。
「俺が仕留め損ねた所為だ。悪党どもを一人ずつ襲い、首を掻き切ってやるまでこの戦いは終わらないってんだ。そうだ、俺が甘かったんだ。クソ!!!」
クリスはすぐに洞窟へと走り、自身の装備を身に着けた。
腰にハンスの形見であるリボルバーを帯び、オファクの伝統模様が入ったローブに身を包んで、背中に短剣を背負う。
彼の鍛え上げられた肉体は暗い色のローブに包まれ、まるで幽霊のような風貌になった。
目は赤く血走り、息は荒く乱れている。
クリスは族長部屋になっている洞窟を出て、夜に備えランタンを持って外に立っているジィジの下へ走った。
オファクの空を夕焼けが染め、赤く光る太陽が遠く地平線に沈みかけていた。風が静かに吹き、木々の葉がささやくように揺れている。
「おぉ、クリス。エマ君が無事だと良いが、正直生きている確率は低いじゃろう。君も気を付けろ。相手は一人どころじゃす―」
クリスはジィジの言葉を遮り、興奮した様子で言った。
「これから、少しばかり吸血族の力を借りる。もし何かあった時はジィジに頼むよ」
ジィジはぽかんと口を開け、何をするのかと思ったが、クリスは急に短剣を抜き出すと、その刃を自分の腕に這わせ、一筋の傷を作った。
それと同時に傷口から血が流れ始め、それが砂の上に落ちて赤い水溜まりを作り始める。
二人を取り囲んで夜が始まり、周囲が紺とも黒とも言えない色に覆われていく。
どこからともなくフクロウの声が聞こえ、辺りはすっかり闇に飲み込まれてしまった。
腕の傷から血が流れていくと同時にクリスの目が赤黒く染まり、同じくして犬歯が伸び始めた。
手には欠陥が浮き出て、肌は不気味に青白く変化していく。
「クリス!あまり力を出しすぎるな!戻ってこれんくなるぞ!吸血族は本来獣人族とも人族とも交われん種族。人族が吸血衝動に駆られるのはあまりにも未知数じゃ!」
そう語るジィジを横目に、より腕から血を流し、失血することでクリスは自身の吸血衝動を極限までに高めていた。
ジィジの持っていたランタンが地面に落ち、ガラスが割れると同時に、クリスの周囲へ火が燃え広がる。
火に照らし出されたクリスの顔はまさに鬼の様で、吸血族のように冷徹な表情を見せながらも、内に秘めたる熱い激高の衝動が瞳孔に現れていた。
クリスは深呼吸をすると、ゆっくりと目を閉じる。
程なくして、ジィジは全身に悪寒を感じた。
何か狂気的なものが地の底から這い上がってくるような感覚に囚われ、思わず足がすくんだ。
「まだ遠い!!」
「クリス、まさか!」
ジィジはクリスがしようとしていることに気付き、驚いた。
「まさかクリス、ここからオファク武術の生命探知でエマを探すつもりか!無茶な、ラオまでどれだけの距離があると思ってる。それに、街まで意識が届いても、そこじゃ生命が多すぎて探知しきれんぞ!」
しかし、クリスは既にジィジの声が聞こえていなかった。
クリスは元々、生命探知をするつもりなどない。
意識の中では狩りをするつもりなのだ。
エマの血を餌として、クリスが彼女をハントする。
吸血族特有の強力な吸血衝動を使って自身の能力を拡張していた。
本能と理性の戦い、猟奇的とも思える方法で彼女を救うつもりだった。
クリスは、自分のせいで誰かが傷つく、それが彼の一番嫌いなことであった。
それを阻止するためならば、手段は択ばない。
いつもの訓練通りに意識を広げ、感覚を研ぎ澄ます。
「まだ足りない!集中しろ俺!」
クリスが叫び、自身の拳に力を入れると同時に、周囲に散らばった炎が揺らめいた。
砂は彼を中心に砂紋を作り、同心円状に冷たい風が広がっていった。
「何ちゅう力じゃ。クリスの内側で作用している力が外界に溢れ出しておる!盲目のワシでも、赤く光るオーラが見えておるぞ」
神々しさすら覚えるその不思議な光景に、ジィジは只立ち尽くすことしかできなかった。
「いた。彼女だ」
クリスはそう一言呟くと集中を解き、流れる血もそのままに門近くの厩で寝ていた馬を叩き起こし、その馬に乗って颯爽と村を飛び出して行った。
一人残されたジィジは地面にへたり込み、クリスの掛けて行った方向を向いて言った。
「あやつは、化け物じゃ。能力がと言う話ではない。その精神的不安定さが自身や周りに危害を与えると分かっておらんことが問題なのじゃ!」




