第三十八話 死んでも死にきれない➂
「なるほど、クリスさんはある教団の戦闘員。ゼリクに恨みがあって、今はラオで奮闘していると」
「おまえ、えらいな。クリス。わたしがほめてやる」
オスカルはクリスから話を聞くと、やっとクリスを信頼したのか刀をテーブルに置いた。
彼はクリスよりも少し身長が高いくらいの男で、クリスより二個上とのことだった。
その自身に満ち溢れた目や、笑うと無邪気に見える八重歯が少年のように見えるが、中身は大人びていて、心には落ち着いた柔らかさを持っていた。
また、容姿端麗な彼は礼儀作法にも気を使っており、身分の高さを感じさせる。
一方、獣人の少女ラーラはフードを被って既にベッドへ寝転んでいた。
「こんなボロ屋で申し訳ない」
クリスがそう言い、コップに入った水を彼の前に置いた。
ここはジィジが元々使っていたラオの隠れ家であり、クリスは彼からそれを譲り受けて、オファクでの訓練期間身を潜めていた。
「この少女は?」
クリスがラーラについて尋ねると、オスカルは首を振って言った。
「実は、僕も分からないんだ。この子は国境を超えたあたりから付いて来ているんだけど、フードも取らん、自分のことも語らん。でも、彼女もビサに追われてる…っぽい?」
クリスがラーラを見ると、彼女はぐっすりと寝ていた。疲れていたのか、クリスの枕を抱きかかえて寝ている。
クリスが席を立ってラーラに掛布団を被せ、オスカルの座っているダイニングテーブルに戻ってきてから、オスカルが口を開いた。
「今度は僕が話す番だな」
オスカルは一口水を飲み、喉を湿らせてから喋り出した。
「僕は宗教国家ユマの上流階級出身、オスカル・デ・ガルシア・ユマラビアロ。僕の父はいつしかの大戦で名を挙げ、その功績を認められて預言者ユマ王12世の第15王女を与えられた。その子供が僕であり、ガルシア領次期当主オスカル。因みに言うと、僕に王位継承権は無い」
「お、おぉ。何か、あの、敬っとく?」
「ハハハ。そう身構えないでほしい。僕はあくまで一貴族であり、ユマでは平民と大して変わらない身分。僕たちの国は王族、司教、平民の順で身分差があるからね」
「で、そんなお坊ちゃまがこんな地獄みたいな国に何を?」
オスカルは椅子に座り直し、気まずそうに口を開いた。
「すまない。ここから先は話せないんだ。でも、明日ラオで行われる取引を護衛してくれれば、この先を教えてあげるよ。しかも、おそらく君に超大事な話。どう?」
クリスはしばらく黙り、机の角を見て考える。
ラオにカシムの魔の手が伸びてきている中、そんな時間的余裕はあるのか、それに国外から密入国してきた奴はビサに追われて当然だろうという考察。
―となると、ただ騙されて護衛させられるだけでは?
とクリスは考えた。
しかし、一つ不可解なことがあった。
なぜ彼らがノコノコと吸血族の根城に来たのか。いくら育ちが良くても、密入国するような人物が簡単にクリスを信用するわけがない。
「護衛依頼の返事をする前に、一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「なぜ俺を信用したんだ?吸血鬼、それもそこそこに強い吸血鬼の家まで来て、殺されると思わなかったのか?」
「なるほど。いや、最初は警戒していたんだが、君の首にかかったネックレスを見て分かったよ。君がクロノス教団の一員だとね」
そう言うと、オスカルはネックレスに点いた装飾を指さした。
クリスはピンと来ていないようだったが、オスカルは構わず続けた。
「実は、僕が明日会う人物がクロノスの要人なんだ。それも、稀代の天才エマ。彼女は無線という技術を発明し、数々のアーティファクトに革命をもたらした。明日は、その彼女に大事な話があってここまで来た」
「なるほど、俺がクロノスだからむしろ協力してくれると踏んだのか」
クリスは首にかかったネックレスを取り、テーブルの上に置いた。
入団時に義務付けられたこのネックレスは、おそらく洗脳やクロノスの支配を進めるためのものなのだろうが、宗教を信じないクリスにとっては無効であり、現在クロノスとも浪人ともつかない立場にあるクリスには必要なかった。
「オーケー。協力する。教団に無線があるのは知っている。そのエマと言う人物がいるのも本当だろう。と言うわけで、俺が護衛に当らせてもらう。で、俺はその大事な話とやらを聞くことにするよ」
「契約成立だな」
オスカルがそう言うと、二人は強く握手を交わした。
翌日、クリス、ラーラ、オスカルの三人は、ラオ中心都市の北端にある廃れた時計台へと来ていた。
北端はブルート一派の強い支配下だったこともあり、昔からあまり人がいなかったが、革命が実行された今ではさらに人が減り、指名手配犯が集まるには持ってこいの場所だった。
時計台はかなり古いアーティファクトでできており、周囲から人がいなくなった今でもキリキリと音を立てて動いている。
曇った空と廃れた町が灰色に染まり、どんよりとした空気が流れていた。
その下にある広場で三人は待っていたが、暫くしてもエマは来なかった。
「おかしい。エマの身に何かあったのか?」
オスカルがそう話して周囲を見て回ろうと思った刹那、クリスの首にスッと銀の刃が添えられた。
一瞬にして空気が変わり、喉を刺すような緊張感が周囲に走る。
クリスが手を挙げ、オスカルとラーラが一歩下がると、オスカルはクリスの首にダガーナイフを突きつけた女へと叫んだ。
「待て!彼は仲間だ。クリスという人で、吸血族だがクロノス教団に居ると聞いた」
「おまえがえまか。おちつけ!」
ラーラも叫ぶ。
それを聞いたエマは、クリスの喉元に突きつけた刃に力を籠め、ハスキーな声でオスカルに問うた。
「オスカルは従者と二人で来ると聞いた。そうなるとこの状況では、オスカルが掴まり、そこから情報を聞き出したビサ側の人間がオスカルに成りすまし、私を捕まえるためにここへ来たと考えるのが妥当でしょう?」
それを聞いたオスカルは額に汗を流し、自分を証明できるものがないか辺りを見回した。
クリスはエマに拘束されていたが、実は拘束される前から後方にあるエマの気配を既に感じ取っていた。
しかし、ここでエマという人物を拘束しても、逆にオスカル偽物説の疑念が深まってしまうと推測し、あえて掴まったのだった。
「でも、これじゃ埒が明かないね」
クリスはそう呟くと、エマの握っていたダガーナイフを軽々と取り上げ、そのまま逆にエマの喉へと突きつける。
エマはクリスの目から見て、驚くほどの美人だった。目の下にクマがあり、どことなく影のある、愁いを帯びた顔だが、クリスにはそれさえ魅力的に見えた。
エマは声を上げる間もなく捕らえられたことに驚き、それと同時にこの状況へ焦った。
「慌てるなクリス!エマならわかってくれるはずや!」
一瞬で立場が逆転したかに思えたエマとクリスだったが、時計台の裏から一人の女獣人が出てきて、ゆっくりとクリスの頭にクロスボウを向けた。
クリスは自身の気配読みに誤りがあったことに驚き、さらにその獣人の隠密技術に関心した。
「リラ!待って、まだ話は終わってないわ」
「ガルル」
リラが唸り、獣化しているのか、その金色の目を光らせた。
エマはかなり焦っていた。このクリスと言う男に拘束されていることよりも、自身が危うい状況にあることでリラが暴走しかねないのかが心配だった。
丁度場が膠着し、次に動き出すのは誰なのかといったとき、オスカルが懐から一つの手紙を取り出して言った。
「これや!この君との手紙に押された指紋と僕の指紋が一致するはずや。ここで血判を押してみせる!」
そう言ったオスカルは指先にペンを刺して切り、手紙に押された指紋の横へ血判を押してからリラの方へ投げた。
リラはクロスボウをクリスに向けたままその紙を持ち上げると、入念に指紋を見比べた。
緊張の一瞬が過ぎた後、リラがぶっきらぼうに言った。
「合ってたよ。彼がオスカルだ」




