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(β版)  作者: 自彊 やまず
第四章 クリス編
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第三十六話 死んでも死にきれない➀

 ゼリクがラオで虐殺を行ってから一か月。


 クリスは、ラオ市内のとある病院で目が覚めた。

 ずっと寝ていたせいか顔が浮腫み、瞼は重く垂れていた。腕を見ると手首には点滴が付けられ、その下方には包帯でぐるぐる巻きにさた足が横たわっていた。


「起きた?よく回復したね。流石に無理と思ってたけど」


 クリスの側で本を読んでいたルーシーが、起きたてほやほやのクリスに声をかけた。


「うぅっ。い、痛いッ!」


 クリスが上半身を起こそうとすると、すぐに自身の四肢へと激痛が走った。


「待て待て。やっと生えきったとこだから安静にしてないと」


 ルーシーがクリスの背を支えると、彼の右手に水入りのコップを持たせる。

 クリスは一度、極度に乾燥した喉にぬるい水を行き渡らせ、もう一度、残りの水を口の中に注ぎ込んだ。


「生えた?」


 口に水を含ませたクリスの脳内で、生えるという言葉が駆け巡るがさっぱり何のことか分からない。

 彼は銀のコップをベッド横のテーブルに置き、痛みの残る両手を見つめた。そして記憶を戻そうと頭を抱えると、ルーシーが事の経緯を詳しく説明しだした。


「君はブルートの屋敷でゼリクに四肢を切られたんだ。その他の人達は全員死亡。その後、かろうじてゼリクの気配を感じ取ったロラン君が君を助けた。君は生きているだけでも奇跡だよ」


 そう言われた瞬間、クリスにその時の映像がフラッシュバックした。


「あ、かは、か、は」


 クリスの顔色がどんどん悪くなり、口から空気だけが漏れ出始めた。喉が締め付けられ、視界が曇り出した。ラオの屋敷で起きた一連の出来事が記憶に戻り、四肢に激痛が走り出す。


 ルーシーはさらに続けた。


「そして君は唯一の治療方法として吸血鬼であるブルートの血を輸血され、その回復力で四肢を生やしたんだ。まぁ、暫くはリハビリしないとだけどね」


 クリスは両手を見つめ、それからむせび泣き始めた。


「あ、あ。し、しんだ。みんなしんだのか。俺達も大勢殺したし、味方も殺された。ほんとうにこの革命には意味があったのか!誰か、誰か教えてくれ!本当にこれだけ人が死なないといけなかったのか!」


「他の患者さんの迷惑なので静かにしてください」


 丁度クリスの部屋の前を通り過ぎた看護師がドアを開け、冷静にクリスを注意した。


 急にルーシーが本にしおりを挟んで、音もなく椅子から立った。


「まぁ、クリス君。辛いだろうけど、頑張って回復してくれ。回復したら教団を辞めてもらっても構わない。でも、それまでは心配だからこのアーティファクトを使って私たちに生きてるか報告してほしい」


 クリスは語り掛けられても、布団を掴んだまま虚空を見つめてる。

 ルーシーが部屋を出ようとした時、ドアの前で思い出したようにして、一つクリスに言った。


「あと、教団には君のことは死んだと伝えてある。ロラン君は真実を知ってるけどね。詳しくは言えないが、教団に君の生存を伝えるのはお勧めしないぞー。じゃ、また次合う時まで」


 ルーシーが病室から出て行くと、部屋の中は重苦しい静寂に包まれた。






 それから欠かさず毎日、クリスのリハビリ生活が始まった。看護師が来ても全く喋ることなく、黙々と手すり伝いに歩く日々。

 挙句の果て、クリスは毎日読んでいる本への集中を乱されると、すぐさま脳内で血に染まった景色が映し出された。何度も脳裏によみがえる地獄。地獄、地獄……


 その後しばらくは、クリスが笑顔を見せることは無かった。






 ある日、一人の男がクリスの元を訪ねた。


「久しぶりじゃな。ルーシー君に話を聞いてここに来たが、その様子を見ると随分苦しんでおるようじゃのう…。ともあれ、前回の戦の時はありがとうな。犠牲はあったものの、オファクの状況は良くなった」


 クリスが病室の扉の方を向くと、そこにいたのはオファクの族長であるジィジだった。

 生気を失ったクリスが、俯きながらジィジに言う。


「……目の前であんなことが起きたのに、全くの無傷の方がおかしいですよ。何もかもが俺のせいだ。俺が周りを不幸にしていくんだ」


 ジィジがベッドに直接腰掛けた。


「そうじゃな。ワシもそういう時期があった。村長になって、すぐピピンがラオの村に来て、彼をブルートに差し出す最終的な命令を下したのがワシ。ピピンがラオの人々の前で処刑される光景を見た後、しばらくはその夢を見たわ」


 クリスがジィジの方を見る。


「まぁ、何が正解かは、やってみらんとわからんのだ。あの時はワシの一族全員人質じゃった。どっちをどう選んでも後悔はある。だから、ワシはワシのせんにゃいかんことをしたまでよ」


 そこまで話してから一度ため息をつくと、ジィジは持ってきたバックの中をガサゴソと漁り始めた。


「ま、今度元気になったらオファクに来い」


 ジィジは麻のバックの中から、クリスの使っていたガントレットと、オファク族伝統の青い紋様の入ったローブをベッドに置いて言った。


「自分が何をするべきか、何をしたいかを大切にな」


 そう言うとジィジは立ち、部屋を出て行こうとする。

 西日が窓から差し込み、部屋全体をオレンジ色に染めあげていた。

 ジィジが部屋を出る前にクリスが礼を言う。


「ありがとう」


 それを聞いたジィジは、クリスの方を向くと手を挙げ、ふと思い出したように言った。


「それと、エアリアと仲良くやってくれてありがとうな。あいつはいつもラオのみんなのために働くっちゅうて、なかなか友達を作れんかった。いや、酒癖の所為かも知らんけどのう。それでも最後にはおぬしと仲良うなれて、良い思い出ができたと思うぞ」


 そう言うと、寂しげな背中をした族長はゆっくりと扉を開けて部屋を出て行った。

 一人残されたクリスは、置き土産の服を手に取る。そこから匂う、村独特のお香の匂いがオファク村での出来事を思い出させた。


 歓迎してくれた村人達、火を囲んだ夜、そして門まで見送りに来てくれた朝。

 共に作戦を考えた野営地、最後まで屋敷で戦った時、オファクの武術を教えてくれた砂漠でのひと時。

 前世では両親にほとんど放置され、現世では養父を殺されたクリスにとって、姉のような、それでいて友達のようなエアリアは大切な人の一人だった。


 エアリアとはもう二度と会えないことを思い出したクリスは涙を浮かべた。目の前がぼやけ、もらったローブが涙に濡れた。






―悲しみは、やがて怒りや勇気へと変わっていく。




―ゼリクへの怒り、自分が世界を変えるのだという使命感、誰でもない俺がするのだという強い意志。




―自分の目的を達成するべく、そしてエアリアの意志を継ぐべく新たな決意を固める。




「こんなところで何してんだクリス!!俺はベッドで横になってる場合じゃないだろォ!」



―ゼリクを倒し、ビサの国に平等をもたらし、みんなが支えあって暮らせるような世界を作る。


―再びクリスの目に火が宿った。


―今までより禍々しい赤い目が、復讐を遂行し、世界を救うべく武者震いを始めた。


「俺は、俺の野望を必ず達成して見せる!待っていろゼリク!!すぐにお前の首を取ってやる!!!」






 「お願いします!ジィジさんにオファクの武術を教えてもらいたいんです!」


 クリスが地面に頭を付けて言った。

 ラオでの虐殺から三か月。クリスはやっと、松葉杖を使いさえすれば一人で歩けるようになっていた。


「ワシは教えとうない。人を殺すための技術なんかを習得したって、誰も幸せにならんぞ」


 ジィジが壁の方を向いて拒むが、クリスも頑なに引き下がらない。

 オファク村の客室に通されたクリスは、手彫りの洞穴の中、ヒカリゴケに照らされた床へ座って、ジィジに弟子入りを申し出ていた。


「それに、人を呪わば穴二つじゃないけどの、オファク武術を習ったって結局その身を亡ぼすのが落ちじゃ」


 ジィジが諭すようにクリスに言うが、当のクリスは聞く耳を持たなかった。

 クリスは頭を、床に敷いてある分厚い民族模様の絨毯がへこむ程に地面へと押し付け、オファク村のローブを着て頼み込んでいた。


「だから俺が習うんです!俺以外の、誰か一人でもこんなことしなくていいように!」


 クリスは良しと言われるまで頭を上げないつもりらしい。


「こんの分からずや!!わしゃあなぁ、お前の為を!…


―全く。その半回復の足でここまで三時間。よく盗賊に襲われんやったわい。帰りはワシの村の者に送ってもらうからの。とりあえず、最初はこの隣の部屋にある書物、全部読んでもらうぞ」


 そう言うと、ジィジは隠された隣の部屋へと、その扉を開けた。

 それを聞いた途端クリスの顔が明るくなり、地面に額を付けたまま、渾身の大声で言った。


「ありがとうございます!」






 それからさらに数か月。ジィジとのオファクでの訓練で毎日が過ぎていく。

 もはやクリスの四肢は完全に回復し、人間だった頃よりも高い運動能力を発揮していた。


「違う!クリス!足の付け根の筋肉はそういう切り方じゃ切れんぞ。もっとこう!斜めに上へと裂くようにじゃ」


 ジィジが実際に藁人形の足元を、木の杖でなぞって見せる。

 それを見たクリスが実際にダガーで藁を薙ぎ、そのまま藁人形のこめかみに銃を突きつけた。


「その銃とやらの使い方もうまくなってきたの。肘を曲げて銃の衝撃を吸収するやり方も見事」


 ジィジがクリスの肩に手を置いて言い、タオルを手渡した。


「ありがとう、ジィジ。人だった頃より動きが格段に速くなってる。動体視力、嗅覚も気持ち悪いくらい成長してるよ」


 クリスが汗を拭き、右手に巻いた包帯を外すと、鍛錬によって硬くなった手のひらが、潰れた豆によって真っ赤になっていた。


「今日もずっと訓練しっぱなしじゃのぉ。そろそろ休憩がてら、次のステップについて話そうかの」


 ジィジがベンチに座り、クリスもその隣に座った。


 だだっ広い砂漠の中、小さなオアシスのほとりに作られた訓練場。剣や井戸も、全てクリスがオファク村から背負って持って来たものだった。

 クリスはやがてこの訓練場にも愛着が湧き、ここに居ると、虐殺で負った心の傷が和らぐような気がした。


「これは、お主の訓練というより、ワシからの頼みにも近いんじゃが、最近、ラオ近郊でカシム直属組織が暴れとるらしい。新しくラオの町長達によって出来た、革命軍派の議会を壊そうと企んでおる」


 クリスがベンチの横からひょうたんで作られた水筒を取り、ゴクゴクと喉を鳴らして水を飲む。


「で、旧体制派貴族達が奴らの後押しをして、カシム一派はラオで少しずつ力をつけてきておるわけじゃが、こ奴らの根城を少し蹴散らしてきてほしい。情けはいらん」


 クリスは親指を立て、ジィジに向かってウインクした。いくら周囲の気配が察知できる盲目の老人でも、ウインクは分からなかったらしい、彼はそのまま話を続けた。


「もう何人かオファクでも行方不明者が出ておるからの。これは盗賊の人攫いなんかじゃない。自分たちがこの町を支配しようと企むやつらの仕業じゃ」


「あぁ、もうそんな奴が出て来てんのか。あれからまだ数か月ちょっとだぞ」


 クリスが水を飲み干し、忌々しそうにつぶやいた。


「おそらく、元々カシムはブルートの領地が欲しかったんじゃろう。彼奴はラオの近くにいるという噂を聞くが、案外本当なんかも知らん。この手回しの速さは何と狡猾たるや」


「…よし!わかったよ、ジィジ。やってくる」


 クリスはひょうたんで作られた水筒をぽいと投げると、ベンチから勢いよく立った。


「相手はアーティファクトを使うことで有名じゃ。オファク武術特有の対生物の戦い方では一筋縄ではいかん。大丈夫かの」


「大丈夫。ジィジが思ってるより俺は強くなった。精神的にも、身体的にも。ま、帰りにでも貴族街で探りを入れてみるよ」


 クリスはリボルバーを腰のホルダーに入れ、ダガーを胸の革紐に付けると、中腰になってジィジの方を振り向いた。


「さ、爺様。今日は疲れたろ。おんぶするから乗って」


「バカモン!!!!!ワシはまだまだ若い!馬鹿にするのも大概にしろ」


 ジィジはそう言うと杖でクリスの頭を叩いた。


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