第三十二話 紳士貴族➁
路地裏で気を失ったロランが目を覚ますと、そこは宿屋の一室だった。
格安だからなのか、宿の床は木製でささくれ立っており、正座させられた足に鈍い痛みを感じた。
右には口と手足を縛られたオリバー、左には同じように縛られてまだ眠るアロンがいる。
後頭部にズキズキとした痛みを感じながら、薄暗く、殺風景な部屋の中を見渡すと、シングルベッドの上に腰掛ける男が一人。
スーツを着て、ワイン片手に外を眺めていた。オールバックにされた髪が厳つい顔によく似合っていた。
「やっと起きたか」
その男が、夜景の見える窓に反射した三人を見て言う。
ここはおそらく三階だろうか。窓の正面には、寝静まりほとんど明かりの消えたロルテンの街並みが見えていた。
スーツの男が徐に立ち上がり、三人の方へ近づく。男はオリバーの口から布を取ると、不気味な笑みを浮かべて聞いた。
「君たちは…何者?」
男の目が赤くギラリと光る。オリバーは男を睨み返した。
「君に教える義理はない」
オリバーがそう言うと、男は口に手を当てて笑い出した。
「クックックッ。バカだなぁ君は。今抵抗したって痛めつけられるだけだぞ?」
それを聞いてもオリバーは抵抗する意思を見せた。
「僕らを解放し」
バキィッ!!!
オリバーが口を開いた瞬間、男の革靴が顎を蹴り上げた。
口からは血が流れ、顎は青く内出血した。
「おぉ。舌までは切れなかったか。残念」
男は痛みに悶えるオリバーを見ながら、そう吐き捨てた。
「じゃぁ、我々が先に自己紹介しよう。我々は保守党に雇われた暗殺組織の者だ。君たちは革新党直属の警備隊かな?それとも俺達に用があって殺しをしに来た子達かな?」
オリバーは口の中に溜まった血をペッと吐き捨てると、血みどろの歯を見せて言い返した。
「どっちもだ。まさか既にバトゥのSPまでそっち側にいるとはね。誤算だったよ。でも大したことないね、君達。蹴りや打撃が弱いんじゃないの。教えてあげようか?僕が」
そう言っている間も、オリバーはズボンのポケットに隠してあったカミソリ刃で、腕に巻かれた縄を外そうとしていた。
「ほう。挑発しても無駄だ。間違っても君たちの縄をほどいたりしないし、殺しもしないよ。しっかりと情報をもらってから殺らせてもらうからね♡」
男はオリバーに顔を近づけて言った。
アロンがここで起き、状況が飲めずにきょろきょろと辺りを見回した。
男は再びベッドに座るとワイングラスを手の中で揺らし、その色にうっとりする。
そしてその匂いを嗅ぎ、恍惚に顔を緩ませた。
「いいワインだ。グラスを回すと、この中に芳醇な匂いが広がるよ」
男が言った。
さらにそれを見てオリバーが言った。
「君、上流階級の出じゃないだろう?ワイングラスをくるくると回すのはその見た目や匂い、仕草に満足するためじゃない。ワインの酸化を進めてまろやかな味わいにするため。卑しい本性を隠すのに、一丁前に金持ちの真似事をするのはよした方がいいぞ。分不相応だ」
それを聞いた男は、何の動揺もせずに言い返す。
「あぁそうさ俺は底辺の生活を送ってきた。妾との子だった俺は生まれて三か月で吸血貴族の親父に捨てられ、たどり着いた先はこの暗殺組織。幼い頃から徹底的に殺人の仕方、獲物の追い詰め方を教わった。まぁ、俺は殺しの為に生まれて来たようなもんだ。…んなもんで、自分の名前すら無いんだぜ。面白いだろ」
段々とオリバーの手に巻いてある縄がカミソリに切られ、ボロボロになっていく。
オリバーは後もう少し手動けるようになると確信していた。
そしてさらに時間を稼ぐ為、オリバーはさらに男を挑発した。
「そうか、なら何故貴族に反対するバトゥ議員を攫おうとした?君の父親の有利に働くじゃないか。親孝行をして、悔しくないのか?」
男はハハハと笑って言う。
「今更そんなことどうでもいいに決まってるだろう?今俺はこの組織でもそこそこの位置にいる。俺は人間の王じゃなくても、ネズミ達の王で十分なんだよ。卑しい身分に“相応”な現実を見てる」
男は再びベッドから立ち上がり、ワインをテーブルに置いてオリバーの方へ歩いて来た。
「喋りすぎたな。さて、尋問を続けるぞー」
男がそう言ったところでオリバーの手を縛る縄がギリギリ切れ、今まさに男に飛び掛かろうとしたとき、部屋にもう一人吸血種が入って来た。
「アニキィ。こいつらの身元割れましたよ。どっかで見たと思ったら、この獣人の奴、ラオ列車爆破事件の犯人ですぜ。しかもこの眼鏡は元メロヴィガ家の後継ぎでオリバーって奴、十年位前に行方不明になってたやつっす」
そう言われた途端、ロランとオリバーの額に汗が浮かんだ。
「ほぅ。じゃ、この獣人は政府に突き出して金をもらい、眼鏡の坊主と凶暴なガキは裏社会で売りさばくか」
オリバーは手が自由になったが、まだ足は縛られている。一人を相手にするのは可能かもしれないが、二人を相手にするとなれば話は別だった。
“名無し”の男が屈み、オリバーに顔を近づけて言った。
「そうかぁ、お前も貴族の出だったのか。気が合いそうだったのにな。残念」
「黙れ、君と僕は違う。僕は上流階級に嫌気がさして逃げ出して来た。そして遂に自分の手でこの居場所を見つけたんだ。この地獄へと勝手に流れ着いて、勝手に満足している君とは違う!!」
スーツの男は溜息を吐くと、ニヤリとして言った。
「そうですかそうですか。まぁ、今からお前は殺されるから、俺には関係ないけどな」
男はそう言うと、再びオリバーの頭を蹴った。
ガッ!!!
オリバーの歯が折れ、口からコロリと落ちてくる。頬からも血が出て、オリバーの意識が朦朧としだした。
それを見てロランが全力で藻掻くが、腕に巻かれた縄はびくともしなかった。
「ヘッヘッヘッ。お前の出荷先はもう決まった。タラフィーカ家行きだ。元貴族のお前なら知ってるんじゃないか?」
男がそう言い、ポケットからナイフを出した。
それを聞いたオリバーが、名無しの男を睨んで言う。
「あぁ。人間剥製の好きな老人のとこだろ?しかも敵対する貴族の人間しか剥製にしないとか」
「そう。つまり、今から俺はお前を殺せるってこと。殺して、金貰って、酒を飲む。最高じゃないか?」
オリバーはそれでも名無しに屈さず、目に光を宿して言った。
「あぁあぁあぁあぁ。そーいうとこだよ、そういうとこ!僕が貴族を嫌いな理由。あいつらは人の命や人生を何だと思ってやがんだ。僕のクソ親も吸血貴族たちに人の生き血を上納してたよ。あー気持ち悪い。僕そういうのが一番嫌いなんだよね。サイコキラーとか、根っから純粋なクソ野郎とかじゃなくて、欲に目がくらんで、そいつらの心の弱さから生まれてくる“悪”。クソごみ共なんだよ!」
「あ、そう。最後の一言はそれで終わりかな?安心しろ、苦しませながら逝かせてやるよ!」
名無しが思い切り足に力を込め、渾身の蹴りでオリバーの頭を横から蹴り壊そうとしたとき、それをオリバーが左手で止めた。
「良い蹴りだな」
名無しはオリバーの手が自由なことに動揺する。
「お前、い、いつの間に!」
「いつの間にだろうな。君には少しくたばってもらうよ」
そう言うとオリバーは持っている名無しの右足を捻じり、名無しが痛がって屈んだところに頭突きをくらわす。
「ぎゃあああっ!痛えぇっ」
名無しは顔を抑えて床を転げまわる。
ここでロランが「逆転か?」と思ったとき、刹那に男の部下がオリバーの首にナイフを突きつけた。
「アニキィ!大丈夫ですかぁ!」
名無しが部下の方へ「大丈夫」という風に手をかざしてそれに返す。
「残念。流石に二人は相手できなかったみたいだな、オリバー君」
名無しが血の出ている鼻を抑えながら、起き上がって言った。
「よくやった。お前、昇給だ」
部下はニタァっと笑うと、首元に付きつけたナイフをそのまま名無しに渡した。
「持つべきは優秀な部下だな。ハァ...。死ね、このクソカス」
名無しが遂にオリバーの首を切ろうとしたとき、急に部屋のドアが勢いよく開いて、そのドアの前にいた部下が数メートル吹っ飛ばされた。
「な、なな何!?」
名無しが焦っていると、ドアの奥から、全身真っ黒の服に身を包んだ男が部屋に入って来て言った。
「いいや。持つべきは信頼できる仲間。だろう?オリバー」
「ルピナ!」
オリバーがその名前を叫ぶと同時に、ルピナの膝蹴りが名無しの顔に直撃した。
名無しは部屋の隅まで吹っ飛ばされ、完全に伸びてしまう。
「俺が何でここにいるか気になるだろうけど、話は後。取り合えずこっから出るぞ」
ルピナがそう言いながら全員の縄をほどくと、ベッドの脇に置いてあった各自の武器を取って部屋を出る。
ルピナ曰く、途中でバトゥ議員を見つけたが既に息絶えていたという。
作戦失敗の報告をしなくてはと頭を押さえるオリバーを先頭に、彼等は外に向けて走り出した。
古い、木でできた階段を下りて行き、狭い一階に出ると残りの偽SPが丁度帰ってきたところだった。
「おい!あのガキ共、逃げ出してるぞ!まだ女も知らねーガキ共に手柄取られてたまるかよ!」
灰色のスーツを着た男達が慌ててナイフを取り出すと、静まり返っていた宿が騒然とし始めた。
「相手は三人。楽勝だな」
アロンが顎に手を当ててそう言うと、如意棒を2メートルほどの長さに伸ばした。
「寝てて活躍できなかったからなぁ。ここは俺の独壇場にさせてもらうぜ?」




