第二話 転生と始まり➁
孤児院での一件から数日、クリスとロランは行き場をなくした。
人狼であるロランを雇ってくれるような場所は炭鉱くらいしかなかったが、その劣悪な労働環境にロランは耐えられなかった。
毎日の監督からの暴力、終わりのない勤務時間、新しい服さえ買えないほどの賃金。
ロランがクリスの職場へ来て、助けを求める頃には瘦せこけて別人と化していた。
それ以来、二人は元いた仕事場を離れ、裏の世界へと飲み込まれていく。
「今日のやつもひどいね」
ロランが鼻を抑えながら言った。それにクリスが反応する。
「死体一個隠密に処理するだけで50000シルバー。それに見合ってるさ」
「わざわざクリスまでしなくてもいいのに。この仕事は僕だけで十分だよ」
「ばか、一緒に金稼いでステティアまで行くんだよ。うんたらかんたらも文殊の豚っていうだろ」
そう言って暗殺業者から送られてきた死体を麻袋に詰めるクリス。
ステティアとは共和制国家ビサの首都であり、今彼らのいる町からは西へ約200キロ。首都だけあってビサ最大の町であり、最新の蒸気機関技術が集められていた。
そして共和制国家ビサは人、人狼種、吸血種から構成される多民族国家である。しかしその実態は上流階級層を吸血種が占め、最下層や被迫害階級には人狼種がいる格差社会だった。
また、ゼリクについては一つの情報だけを掴んでいた。
それはゼリクが吸血鬼協会の代表であり、今クリス達が働いている裏稼業組織のバックアップをしていることだった。
クリスもただ仕事を変えたのではなく、彼に近づくための戦略としてこの組織に入ったのである。
クリスの最終目標はゼリクの殺害である。今まで平和な生活を送ってきた少年には難しい目標だが、クリスには秘策があった。それはクリスの前世の記憶である。
クリスの前世は日本人だった。
中学生まではいたって普通の男の子だったが、高校入学と共に、肺に重大な腫瘍が見つかり入院を余儀なくさせられる。
このようにして彼の青春は、真っ白で無機質な病室の中だけで消費されていった。
そんな退屈な毎日でも、彼には唯一の楽しみがあった。それは隣の病室にいる少女との会話だった。
彼女との最初の出会いは廊下だった。
「君はいつから入院?よろしくね!歳はいくつ?」
初対面ながらも積極的に話しかけてくる彼女に、クリスも最初は戸惑っていたものの、会うたびに少しずつ仲良くなっていった。
彼女はクリスの一つ年上。幼い頃から入院しており、いつか海水浴をするのが夢だと聞いた。
次第に互いのことが分かってきて。一緒に漫画や映画を観たり、ゲームをしたりた。
その時彼女が好きだったのがホラーゲームやホラー映画で、まさかクリスもその時の知識を転生してから使うとは夢にも思わなかった。
前世でのドラキュラや人狼に関する知識がこの世界でも当てはまるのだ。
もちろん全てが当てはまるわけではないが、吸血鬼や人狼に関して前世での知識と合致していることが多々あった。
しかし、隣の部屋にいた少女との別れはあっけなかった。
高校二年の夏、彼女は先に天へ昇る。
そしてクリスもそれを追うようにして死んでしまったはずだったが、気づくとこの世界に生を受けていた。
ある日、クリスとロランは真夜中の山奥で箱を燃やしていた。
彼等には箱の中身が何なのかは知らされていなかったが、おそらく死体か凶器、もしくは二つともだろうと簡単に予測できた。
火の粉を散らす炎が、真っ暗な山の中でギラギラと燃えている。
「なぁ、ロラン、ロランはいい。ステティアに来なくて」
クリスがそう言うと、揺らめく炎を木の棒でつついていたロランが、俯くクリスの方を見た。
「どうした?急に」
クリスもロランの方を見る。ロランの顔には炎の影が映り、温厚な彼の性格に反して彼の表情に情熱的な動きを見せていた。
「それ、今日の傷?」
クリスがロランの右腕を指さすと、ロランは咄嗟に右腕にある丸い、小さな火傷の跡を隠した。
「いや、気づかなかったな」
ロランは苦笑いしてクリスから目を背ける。
慌てて向けた視線の先にはつい先週燃やした箱の炭が残っており、彼は意味もなくそれを見つめた。
「俺さ、お前のこと嫌いなんだよね」
急にクリスがそう言うと、ロランは驚いて彼に視線を戻す。
「え?」
クリスは弱まってきた火の勢いを見て、燃える箱に息を吹きかけた。
すると火は空気を吸って燃え上がり、夜の冷たい世界に小さな火柱を打ち上げた。
ぽかんと口を開けたロランを横目に、クリスは続けた。
「いいよ、お前。もういい。どっか行けよ。ウスノロだからさ」
「何言ってんだよクリス、そんなこと思ってないだろ?僕は嘘を見抜くのが得意なんだ。何?びっくりさせようとしてるのかい?じゃあ失敗だね」
ロランは自信満々にそう言い返したが、クリスの表情はピクリとも動かず、徐々にロランを不安にさせていく。
クリスは変わらず炎を見つめ、感情を出さずに淡々と言った。
「いや、邪魔だから」
「いやじゃないよ。本当のことを言って、クリス」
不安になっていたロランだったが、それでも彼の自信は揺らがなかった。
「僕ら物心ついた時から一緒にいるんだよ。そのくらいの嘘わかるさ。何が言いたいんだよ」
炎は揺れ、今度はクリスの表情に影を落とすが、その勢いも段々と弱くなってきている。
二人の佇む森にはパチパチという焚火の音だけがこだまし、肌寒い夜にも少しだけの暖かさを感じさせた。
「へへへ」
クリスはロランの方を向き、不器用に笑った。
「なぁ、そろそろ帰ろうぜ、ロラン。こっからフサルト村まで結構あるし、途中砂漠もあるしな」
クリスは今までの話が無かったかのように振る舞い始めたが、勿論ロランはそれを止めて真意を問いただす。
「おい!何が言いたかったんだよ!僕たちは何でも言い合える仲じゃなかったのか」
今度はクリスがロランから顔を背け、小さくなった火の勢いを見つめた。
「クリス!」
ロランが思わずクリスの肩を掴むと、クリスはそれを振りほどいてロランの顔を殴る。
ロランの頬に鈍痛が走り、クリスは頬を押さえるロランを睨んだ。
「クリス、この野郎」
今度はロランが顔を上げると、クリスの顔目掛けて思い切り拳を振る。
強烈な一撃を受けたクリスの顔は歪み、クリスもまた頬を押さえた。
ロランの握りこぶしには爪が食い込み、その掌にはうっすらと淡い赤色をした血を滲ませていた。
「何で避けなかったんだい」
ロランがそう問うと、クリスは申し訳なさそうな顔をしてそれに返した。
「俺だけ殴ってんのはアンフェアだから」
それを聞いたロランは、思わず声を出して笑いをこぼす。
「何がしたかったんだよ、一人で」
ロランがクリスに問う。
「いや、ステティアにいってゼリク殺すってさ、バカのやることじゃん。ロランはそんなこと考えてないだろうし、結局俺一人でいいところを、ロランにも付き合わせてしまってるから」
「いや、クリ―」
「しかもさ、獣人なのに組織入ったら、その右腕みたいなことになるだろ。無理だって。ロランが耐えれても、俺は耐えられない。自分が苦しい目に合うより耐えられない」
ロランは右腕に付いた火傷の跡をさすり、その痛みを感じながらクリスの話を聞く。
炎はとっくに燃え尽き、夜の森の中で月明かりに照らされた二人は、互いをおぼろに見ているだけだった。
「僕は、クリスのことを本当の兄だと思ってるよ」
ロランはクリスの方を向いて語り出す。
「だから、僕はクリスの力になりたい。僕の方が強いからね。クリスはすごく不器用だし。それに、ゼリクを倒したら少しは獣人の地位も上がるかもって思うじゃん。そういうのもあるんだよ」
ロランは血のにじんだ右の拳をより握りしめ、クリスに言う。
「僕もステティアに行くよ」
クリスは無言で頷き、言った。
「ごめん。不甲斐ない兄貴でごめん、兄貴って言うか、親友って言うか、そもそも同い年だし、…まぁ、いいや。ごめんな…帰ろう」
微かに残っていた火種が消え、森に夜が舞い戻って来た。
そこには二人の会話もなく、炎の燃える音もなく、フクロウの鳴く声と、月明かりに照らされた薄暗い山道がうっすらと見えているだけ。
そして、上空で美しい星々が瞬いているだけだった。
果たしてハンスはクリスが転生者であることを知っていたのか、それとも、彼にも何か特別な事情があったのか?
クリスの過去と、この世界の未来を切り開くべく、これからの彼は数々の困難に立ち向かうことになる。
しかし、そんなことも今のクリスが知るはずもなかった。
そしてこの物語は、クリスだけが成長する物語ではない。ロランと共に、仲間と共に、皆が成長していく、それぞれの英雄譚なのだ。