第二十三話 第二次ラオの乱➁
ハピはランケの繰り出したダガーを避けると顔面目掛けて拳を叩き込む。さらにそれをランケが避けて、もう一度ダガーを突き出した。
ハピがそれをギリギリで避けるが、ダガーは微かに喉へ当たり、切り傷から血が流れた。
「やるねぇぇ。俺達吸血族のスピードと渡り合える奴は中々いないぜぇえ」
「上から目線でむかつくっぴ。その口、二度と喋れないように歯全部飛ばすっぴよ」
ランケはハピの挑発にニヤリと笑い、ハピを指さして言った。
「言うねぇ。かかってこいよぉ!」
今度はハピが距離を詰めた。彼らの体のすぐ近くでいくつもの駆け引きが行われ、手を抜くような隙は一切ない。
本命の攻撃から相手の意識を反らすためにフェイクを仕掛けたり、それを見越した上でカウンターを狙ったり。そういった彼等の高等技術は、これまで長く続いて来たラオの内戦の中で、高度に洗練されてきた技術だった。
ハピはロランとの練習では足技を使っていたが、彼女が実戦で使うのはパンチ。ジャブとフックを中心にとてつもない速さの殴打がランケに繰り出される。
しかし、ここで決定的に違うのが彼らの種族だった。ハピは獣人の力により“目“が良いのであって、実際に吸血鬼レベルのスピードで動けるわけではない。
つまり、ハピはランケの攻撃を防御することができても、彼女の攻撃は、ランケにとってのろい攻撃に過ぎなかった。
ハピの殴打を全て避け、今度はランケが攻撃を始める。
左手に持ったダガーを器用に右左と持ち替えながらハピを確実に追い詰めていく。ハピの視力を以てしても両手で入れ替わっていくダガーは全て追いきれなかった。
その技術は、まさに一級奇術師によるマジックのような滑らかさだった。
「お前の攻撃はのろいぃぃぃぃぃい!俺は吸血鬼の中でも若くて、速い方なんだぜ?生まれてこの方、敵の攻撃を一度もブロックしたことがない程の俺様がぁ、お前程度に負けるわけがねぇんだよぉォォ!!」
ハピが右手でランケの左手を狙うが、ランケの左手がそれ以上のスピードでダガーを刺しに来る。
それをハピが受け流そうと体勢を変えたが、気づいたときには既にランケの左手にダガーは無かった。
「まずいっぴ!」
左脇腹近くにランケの右手とダガー。ハピは体を捻ってギリギリそれを避けたが、ランケの蹴りがもろに腹部を突き刺した。
「カハッッ」
ガシャーン!!!!!
ランケの渾身の蹴りがハピを後方にあった鉄格子の扉に叩きつけ、その勢いで扉が壊れ、ハピはそのまま牢屋のレンガ壁まで吹っ飛んだ。
「そうそう、獣人共はそんな風に牢屋に入ってればいいんだよぉぉぉ!」
ランケはスーツの襟を正し、身をかがめて鉄格子のドアをくぐった。
ハピは口から血を流して立つ。まだハピの闘志は燃え尽きていないようだった。
「貴様はぁ、ここで始末させてもらうぜぇ」
「それはどうかわかんないっぴ。まだ、本気出してないっぴよ!」
ハピがそう言うと目が黄色くなり、耳の毛も今までよりさらに逆立つ。
「これ以上視力を上げても無駄だボケナスゥ!」
ランケがハピの首を目掛けて、右横からダガーを繰り出す。
ハピはそれを左手受けながら、ランケの顎目掛けてアッパーを出した。しかし、ダガーは目指していた首を逸れ、がら空きになった左肩に深々と刺さった。
ハピの右アッパーはダガーを刺されたことでうまく決まらず、ランケはその拳を軽く避けた。
「ぐっっっ」
思わずハピの口から嗚咽が漏れる。
「ハピ!大丈夫なのか!これ以上、ハピを、やめてくれ!吸血鬼!この、この、くそ野郎!!!」
ポタポタとハピの血が地面へ滴り、その音がさらにジョセフを心配にさせる。
「お前らいいなぁ、愛の物語だなんてぇ。だがなぁ、こういう物語はヒロインが死んじまうバッドエンドタイプもあるだろう?ねぇ?そういう事だ彼氏さんよぉぉおおお!」
ランケが、戦闘態勢のまま俯いたハピの左頬に渾身の一撃をくらわせ、ゴッという鈍い音と共に拳が頬にめり込んだ―
「ひゃっほう!決まったぁぁ!」
「ハピ!」
―はずだった。
ランケはそのままハピが倒れるのを待ったが、ハピは両手を顔の前に構えたまま倒れない。
「おいぃ、今、顔にパンチ当ったろ?し、しぶといなぁ。ま、まぁもう一発殴れば」
そしてランケがもう一度拳を振りかぶった時、ハピがすかさずランケの腹にストレートを叩き込む。
ランケはこれも余裕で避けられる。と、弱った獣人のパンチを舐めていた。
が、ランケの考えとは裏腹に、パンチは重い衝撃と共に腹へクリーンヒットする。
「おぇぇええッ」
ランケは約百年ぶりに攻撃を食らった。
「お、遅ぇのに、避けらんねぇ!牢屋の中じゃ、狭すぎて避けらんねぇ!」
牢屋は、棟の中にたくさんの獣人を収容するために大量に作られており、必然的に各部屋が狭くなっていた 。
そのためパンチを避けようとすると、牢壁が大柄なランケの動きを制限してしまっていた。
右に避ければレンガの壁、後ろに下がれば鉄格子。
ドアからハピに背を向けて逃げようとしても、狭い入口が簡単には外に出ることを許さなかった。
ランケの額から冷や汗が垂れる。重いパンチ、ゼロ距離の殴打、こっちは武器なし。
焦ったランケはやはり牢屋から出ようとするが、すかさずそこにハピのストレートが炸裂した。
「痛いっ!痛いよッ!」
ランケの肋骨が何本か折れた。むろんハピは獣人であるため、ランケが吸血鬼であることによる驚異的な回復力を帳消しにできる。
「教えといてやるっぴ。お前のストレートが効かなかったのは“スリッピングアウェイ”をしたからっぴ。この戦いが終わって生きてたら書物を読んで勉強するといいっぴ。」
「んだよそれぇ!しらねぇよ!」
もう一度ランケが牢屋から出ようとするも、ハピが三度目のストレートを当てる。
パァァァァアアアアン!!!!!
「やめてぇっっ!」
ストレートは肩に当り、ランケのストレートよりもはるかに重い音を立てた。
「逃がさないっぴよ。守りかた、いや、受け流し方を知っているハピと、今まで攻撃をしっかりと受けて捌いたことのないお前の、牢屋デスマッチの、始まりっぴ!!!」
ハピはランケに、ゆっくりでも、重い、不可避の殴打を出し続ける。ランケも隙を見て殴り返そうとするが、突き出した拳は全て片手で流された。
「私の肩がちぎれるのが先か、お前の歯が無くなるのが先か、とことんやってやるっぴ!」
ハピの右肩に刺さったダガーからは血が噴き出すが、同時にランケの顔も痣だらけになっていく。
拳は確実に、一発一発、ランケの骨を砕いていった。
「や、やめろォォォォォォオオオオオ!!!」
さらに途中からはハピの一方的な攻撃のみが繰り広げられ、何分も殴り合った末、最後にハピの渾身のクロスカウンターが決まった。
ランケの歯はすべて抜け落ち、白目をむいて床に倒れる。
「ジョーイが受けた苦しみ、これでも足りないくらいっぴ」
ハピが顔を近づけて確認したが、ランケの意識は飛び、完全にKO状態だった。
「これで決着っぴ...ね。あ、こいつ、牢屋の鍵持ってるっぴ。これでジョーイを、自由に...」
鍵をジョセフの牢屋の南京錠に差し込んだところでハピが倒れた。遂に出血量の限界が来たらしい。
肩にダガーが刺さっただけではあまり血が出ていなかったが、激しく動いたことで傷が広がり、肩からは滝のように血が流れていた。
「ハピ、ハピ!大丈夫か!」
ジョセフは手探りで南京錠を開け、外に出てハピを抱きかかえる。ハピの体は血に濡れ、生温く、鉄臭い液体がジョセフの手に触れた。
心臓は動いているが、ハピの呼吸が浅い。
「ああ、こんなに血が!待って、僕が止血するから大丈夫。大丈夫だよね。ハピ!ハピ?大丈夫だろう?」
ハピからの返事はない。
目の見えないジョセフはハピに何が起こっているのか分からないが、ハピの命が危ういことだけは分かった。
「ハピ!返事ができなかったら何か合図でもいい、頼む!」
ジョセフはハピの手を握り、合図を待つ。
少しすると、ハピは無言でそっとジョセフに口づけをした。
浅い呼吸がジョセフの顔に触れる。
ジョセフの目から涙が溢れ、七年ぶりに触れたハピの温もりが、寂しく、荒んでいた彼の心を溶かしていく。
しかしハピは、すぐに力なくジョセフの腕に倒れた。
「待て待て待て待て!死ぬんじゃないだろうな!やめてくれハピ!生きてここから出るぞ!」
ジョセフがハピを抱きしめ、鼓動を確認する。
「だ、だいじょうぶっぴ。多分、少し寝るだけだっぴ」
ハピは小さな小さな声で、心配するジョセフの耳元で囁いた。




