第二十話 それぞれの想い➁
まだ少し薄暗い明け方、眩い朝日の当たった砂丘には大きな影ができ、まるで地球とは思えないような幻想的な景色が広がっていた。
その砂丘の太陽から裏側、影の部分でエアリアとクリスが胡坐をかいて座っていた。
「よし、大分明るくなったな」
エアリアが鋼鉄のようなライ麦パンを齧りながら言う。
クリスも銃の手入れをしながらパンを齧った。
「そろそろ行きますか?」
「そうだね。狩りへ行こう」
二人は防砂ゴーグルを掛け荷物をまとめる。
計画では明後日が開戦の日。その前に皆で酒を酌み交わすため、食べ物の調達を命じられた二人。
調達係は誰でもよかったのだが、エアリアが“オファク流の戦闘術を教えるのにちょうどいい”ということで、渋るクリスを布団の中から引っ張り出してきたのだった。
二人は砂丘の頂上に登って辺りを見回した。見渡す限り砂と岩の世界。
―レッスンは突然始まった。
「まず、オファクの教え其の一。オファクでは全身を使う!」
エアリアが人差し指を立ててクリスに言った。
「え、どういうことですか?」
クリスが朝日を手で遮りながら問うた。
「えーと、オファクの武術ではすべての感覚を使うの。全身の触覚で風を捉え、聴覚で敵の動きや位置を推察する。時には嗅覚も使って敵と戦うのよ。まぁ、取り敢えずやってみることね」
そう言うと、エアリアが目を瞑り、全身の感覚を研ぎ澄ませた。この広大な砂漠にターゲットとなるような生物が何匹いるだろうか。
厳しい環境の中、生き残ってきた数少ない砂漠生物を探すのは至難の業である。
クリスは一ミリも理解っていなかったが、ともかく感覚を研ぎ澄ませてみた。
「いたわ。北西七百メートル先にサラマンダーウサギがいる」
エアリアがそう言い放ったが、クリスにはさっぱり分からない。嗅覚はまだしも、風をとらえるとは何のこっちゃといった風だった。
「心配しないで。一朝一夕に獲得できるような技術じゃない」
エアリアが目を開け、眉間にしわを寄せてウサギを探すクリスに言った。
「コツはね、感覚を少しずつ広げていくことよ。まるで樹木が根を張っていくように。ゆっくり、じんわりと。この世界と一体化して」
クリスはそれを聞き、解けかけていた集中力を戻し、再び感覚を研ぎ澄ませた。
アドバイスを聞いて肩の力が抜け、クリスの感覚がクリアになってくる。今度は少しずつ、着実に、砂漠の奥へと意識を送った。
暫く続けていると、段々目を瞑っていても周りに何があるのか分かるようになってきた。
「東の少し先から、サボテンの花の匂いがします。それで、えーっと、南で今、馬のいななきが聞こえました。行商人ですかね」
「いいぞ。少しずつ出来てきてるじゃないか。物凄い才能を感じる。今はまだほんの何百メートル先のことだけど、訓練すればもっと遠くまで感じられるようになるよ」
クリスがそこまでできるようになると、二人は砂丘を降り、エアリアが見つけたウサギのいる場所へ向かって歩き出した。
そして次の教えは、大分高くなった太陽の、焼けつくような光の下でクリスに伝授された。
「じゃぁ、歩きながら戦闘術の心得、其の二。相手の全身も、使うべし!」
またもや意味不明な説明にクリスの表情が険しくなる。
その横で、エアリアが義手についた小型クロスボウへ矢をつがえた。
しばらく歩くと、遠くにサラマンダーウサギが見えてきた。穴を掘って生活しているらしい。穴からは、体のサイズに対して不釣り合いなほど大きな耳が、チラチラと見え隠れしていた。
「いたぞ。今回は教えの其の二をうまく使って仕留めるからよく見ておけ」
エアリアが体勢を低くして、なるだけウサギに近づく。
あと五十メートルというところで、エアリアに気づいたのか、サラマンダーウサギがこちらを向いて固まった。
そこでエアリアは義手を構える。そしてすぐに、ウサギとは遠い、その頭上五十センチほどの場所を狙って、静かに矢を放った。
本来なら見当違いの方向に進み、当たらないはずの矢。しかしウサギが飛んで来る矢に反応し、飛び上がったところで見事首に矢が刺さった。
「すげぇ!」
クリスが目を丸くして驚く。エアリアがドヤ顔でクリスの方へ振り向いた。
「相手の全身を使うってのはね、相手の体よく見るってこと。例えば、足を伸ばしたままジャンプはできないだろう?そんなことを全て意識するんだ。すると、こんな風に未来が見える」
二人がウサギへと近づいてみると、矢は見事に首の中央を貫いていた。
「まぁ、これは知識みたいなとこだから、またおいおい教えてあげる」
「あざます。これは、すごいっすね」
クリスがウサギを担ぎながら言った。
「そして其の三!姉御による最後の教え!相手への敬意を忘れるなだ。相手がどんな屑だろうとも、どんなに弓術が下手くとも、相手への“レスペクタ“を忘れるな!」
「あれだけ奴隷を嫌っていたジャガーが奴隷を従えて帰ってくるとはな」
ジャガーとロランは中央都市の一角にある屋敷に来ていた。最奥部にでっぷりと太った男、その前にジャガーとロランが跪く。
彼らのいる大広間にはシャンデリアが掛けられ、薄暗い空間の中にはフレグランスなお香の香りが漂っていた。
「申し訳ありませんでした。私が奴隷制に反発し、家を出てから五年。外界に行き見聞を広げてまいりましたが、私が間違っていたことに気が付きました。あ奴らは奴隷になって当然の畜生共でございます」
ジャガーがロランの首輪を引っ張って言った。
「それでいいんだ、成長したな。だが、後継ぎにはもう養子を迎えてある。帰れ」
執事が大男の目配せを受け、後方にある大扉を開けた。大きな戸が軋む音が部屋に響き渡る。
「門番にこっち側のスパイだと言って入れてもらったことは認める。よく頭が回ったな。だが、手詰まりだ。私は貴様をもう息子だと思っていない」
ジャガーの父らしき男が、頬杖をついて吐き捨てた。
「そうですか。残念です。少しでも人間のような心が残っていれば情状酌量の余地がありましたが、これでは何の感情も湧きませんね」
ジャガーがそう言った瞬間、鉄の足枷をつけられていたはずのロランが肥満男へ飛び掛かった。
「何だっ!衛兵!助けろ!」
彼は咄嗟に座っていた椅子の裏に隠れると、掴みか会ってきたロランから防御態勢を取る。
ロランは肥満男を襲わず、気配を察知して一度後方を振り返った。
「カァプ様!今お助けいたします!」
その一言で、外にいた執事と十数人ほどの衛兵が部屋に雪崩れ込んだ。
しかし、彼らがジャガーとロランを止めに入るも、二人によって簡単にねじ伏せられてしまった。
戦闘経験のない執事や屋敷仕えの衛兵など、彼らの前では敵ではない。
こうして広間の中央には、あっという間に伸びた衛兵たちが積み上げられた。
倒れた衛兵や執事たちの上を歩きながら、ジャガーとロランが会話する。
「ロラン君、大丈夫ですか。さっきは乱暴に扱ってしまい、申し訳ございません。」
「いや、痛くなかったですよ。大丈夫です。作戦の第一段階は成功しそうですね」
ロランがマチェットの峰についた血を振り払い、首輪を外しながらカァプへ近づいた。二人に踏まれた執事が苦しそうに呻く。
「さぁ、御父上の処刑の時間ですよ。この屋敷は只今から数日間、ラオ攻略の足掛かりにさせていただきます!」
ジャガーが短剣をもってカァプに近づく。
「この、貴様ら、人間以下の分際で!」
玉座を模した大きな椅子の後ろでカァプが抵抗した。まだまだ何か言い足りないようだ。
「そもそもな、お前のことは嫌いだったんだよ!妾との間に生まれた子で、半分はゴミの血が流れているんだからな!お前の母親が流行り病で死んだときは清々したよ!身分をわきまえろこのカス!」
ジャガーが椅子に回り込んでカァプの襟を掴む。
「この期に及んでよく口が回りますね。あなたの言ったことで唯一正しいのは、私の血の半分はゴミということだけですかね」
ジャガーが強引に、カァプを玉座の正面に引きずり出した。
「まぁ、その半分は父親から受け継いだ方の血ですけどね!」
「貴様‼」
スッとカァプの首に短剣が当てられると、喉のあたりから真っ赤な血が垂れてくる。カァプが「ヒィ」と情けない声を出した。
「落ち着け、な?何が正しいか考えろ!お前らはこのラオにとって―」
ジャガーは髪の毛を掴み、ひと思いに力を込めて皮膚を切り裂いた。彼の玉座が鮮血に染められる。
「貴族支配からの脱出の第一歩。これでうまくいきましたね。後は内側から門を開くだけですよ。ロラン君」
その時、ロランはジャガーとクリスを重ねていた。彼らが簡単に人を殺せる理由は何だ。一人の人生を奪うことに対して躊躇いがない。
復讐はこんなにも人を変えてしまうのか。ここに来るまではジャガーも優しい参謀だったじゃないか。クリスだってそう。昔はもっと優しい心の持ち主だったはず。
何が、彼等を変えてしまうのか。
「ロラン君?大丈夫ですか、どうかしましたか」
ジャガーが俯いたロランを覗き込んだ。
「いえ、大丈夫です」
ロランはそう一言だけ、答えた。




