第十九話 それぞれの想い➀
ハピは拳を構え、ロランとの間合いを見極めた。ハピの真っ赤なマントが風になびき、バタバタと音が鳴る。
「今度は本気でいくっぴ。覚醒能力使うっぴよ」
そう言うとハピは全身の毛を逆立たせた。キリのように、完全な人狼への見た目の変化はないが、明らかにハピの雰囲気が変わった。
「私はアラビアオオカミの獣人。覚醒時はスピードと視力が格段に上昇するっぴよ」
ハピが一気にロランへ間合いを詰めた。ロランはそれを避けてもう一度間合いを取ろうとしたが、想定以上の速度で距離を縮められる。
しかし、戦闘スキルではロランも負けていなかった。ロランにはスピードこそないものの、これまで実戦で培ってきた経験という能力があった。
あえてハピと距離を取るために下げた右足をそのまま動かさず、左わき腹をわざと無防備にする。そうするとおそらくハピはそこを狙ってくるだろう。
案の定ハピが脇腹めがけて拳を叩き込むが、ロランはそれを想定済み。
ロランはそこを左手でガードしながらハピの首に手刀を添える。が、ハピは一連の動きを“じっくり”と観察していた。
ハピの視力上昇は遠視が可能になるというのも能力の一つだが、それは動体視力が良くなるという意味でもあった。
すかさずハピが繰り出そうとしていた拳を減速させ、同時に首元の手刀を払いのける。
ロランは手刀を防がれたことで策が付き、ハピも一旦防衛態勢に入った。
そこで一度両者は後方に下がった。特にロランはこれに対応されると思わず、慌てて間合いを引いた。
「やるっぴね。でも今度は策にはまらないっぴよ」
「そうですか?全力でいかせてもらいますっ!」
二人がもう一度刃を交えようとしたとき、本部テントの方から二人を呼ぶ声がした。
「ハピさん、ロラン君、ご飯ですよ~」
ジャガーがわざわざ呼びに来てくれたのだ。
「あ、ありがとうございます!すぐに行きます!」
ロランがお辞儀しながら言った。
クリスとエアリアは宴の翌日に帰ることになった。革命軍幹部であるエアリアには、まだまだやらなければならない任務が山積みになっているからだ。
「ありがとうございます。族長」
エアリアが族長に感謝を伝える。朝、まだ日が昇って間もない時間。空気はひんやりとして澄み渡っていた。
「いいんじゃ。もう任務でもないし敬語もやめい」
「うん。まぁ、流石に前線には出ないと思うけど、健康だけには気を付けてね」
「分かったるわ。お主こそ気を付けいよ」
丁度そこに護衛がラクダを二匹連れてきた。背には鞍が付けられており、丁寧に水の入った革袋まで付けられている。
「これでお帰りください」
クリスとエアリアはラクダに跨った。朝の冷えた身体に、ラクダの背中はじんわりと暖かかった。
「またね、ジイジ」
「ありがとうございました、族長」
二人は礼を言うと、眩い地平線の先へと消えていった。
二人が見えなくなって、族長が村へと戻るとき、彼はボソっと従者に呟いた。
「わしゃあの小僧が気に入ったわい。なかなかの肝を持っとるわ」
ジイジはエアリアの成長と有望な若手の登場を喜ばしく思っていたが、それと同時に、戦争が彼らのような若者を傷つけないかが心配だった。
ロラン、ルーシー、カール、ジャガー、ハピが食卓を囲む。昼食は干し肉と少しのジャガイモスープのみ。反乱軍の貧しさが如実に分かる食事だった。
「ロラン君、列車で襲ってきた男、フードリヒが誰の手下だったか分かったわ。おそらく彼は三大老の中でも、今回のターゲットとは違う男、カシムの手下よ。ゼリク直属というわけではないみたい」
ルーシーがボソボソしたジャガイモをスプーンですくいながら言った。
「そうなんですね。ゼリク直属じゃなくてあの強さとは。ブルート戦は覚悟がいりますね」
ロランが顔を険しくして言う。すると今度はジャガーが口を開いた。
「大丈夫ですよ。ロラン君。全員で生きて帰れるような作戦を立てますから」
そう言ったジャガーは、食事中も紙にメモをしているようだった。
紙には作戦がびっしり書かれ、その一つ一つが緻密に計算されたものである。ロランはそれを見つめながら、ジャガーの頭の良さに改めて感心した。
「ジャガーは頼りになるっぴ」
そんな会話をしていると、ハピが最初に食べ終わり、すぐに訓練場へと向かった。
ハピが完全にいなくなると、ロランが皆に聞く。
「ハピさんって何歳なんですかね?身長は高いけど童顔で、言葉は幼くて。ミステリアスです」
「こらっ、こっそり女性の年齢を聞くのは失礼だよロラン君」
ルーシーが頬を膨らませて言った。
「いや!いやいやいや、年が聞きたかったんじゃないんです!強いので相当な経験を積まれたのかと」
ロランが大慌てで訂正するが、ルーシーからの痛い視線は止まらなかった。
「彼女は32歳だよロラン君」
するとカールがぽつりと言った。
「ハピは俺の友達の彼女だった。いや、今も彼女かな。その友達は獣人で、七年前にある日突然中央都市へ連れていかれた。それからそいつがどうなったかは今でもわからない。でも多分、人身売買の犠牲になっただろうね」
ラオが荒れてからというもの、周辺都市では人攫いが横行していた。特に獣人の臓器は、常人のそれよりも強いという特長故に、高値で扱われることが多かったのだ。
「彼女は彼氏の名前をタトゥーにするほど愛していたんだけど、遂に帰ってこなかったよ。俺はそんな彼女達をもう待たせたくない。このゴミくずみたいな現状を全て吹き飛ばしたいんだ。絶対に、この戦いに勝つ」
カールは自分に言い聞かせるように小さな声で語った。そんなカールの声は微かに震えながらも、決意に満ちていた。
「うぅうっぅぅううううううう」
その横でロランは号泣する。ハピの過去に涙腺が耐えられなかったのか、ハンカチで顔を覆って泣いていた。
ルーシーとジャガーはカールの覚悟を知り、気持ちを新たにする。過去の悲しみを乗り越え、未来に向かって進むために。
「ハビざぁああん、とっぐん、頑張りばず!」
ロランはずるずると鼻をすすって、昼食もほどほどにそのまま訓練場へ駆けて行った。
―皆が動き出してから一週間が経過。クリスとエアリアは変わらず援軍を探し、断られたり承諾してもらったりしながらながら旅をし、やっと野営地まで帰ってきた。
「お疲れ、二人共」
カールとルーシーが二人を出迎える。暫く離れていた野営地は、二人が出た時よりも慌ただしくなっていた。様々な物資が運ばれ、弓部隊の訓練も行われている。
「ただいま。いくつかの町に応援を請けてもらったよ」
エアリアがメモを見ながら言った。
「テントで聞こう。さ、入って入って」
ルーシーがテントの中へ招く。そこでクリスがカールに聞いた。
「ロランは訓練してたんすか?」
「そうだ。彼はどんどん強くなっている。それに、んー、まぁ、期待しててくれ」
カールはニヤリとしてそう答えた。
その頃、ジャガーは中央都市の北門にいた。黒いマントとフードに身を包み、左手には剣。ジャガーの後ろにはボロボロの服を着た青年が立っている。
東門は北門と打って変わってまるで人気がなく、家屋は荒れ、草木は一本も無かった。ハエの集った、大きなラクダの死骸が戦場を連想させた。
「おい!開けてくれ!私は現リーコ家当主の息子ジャガーだ!反乱軍の情報を持って帰った」
門番が高い櫓の上からジャガーを見つめる。暫くすると門が開き、少数の兵士がボウガンを構えて外に出て来た。
「手を上げろ、そいつは誰だ!」
兵士はジャガーの後ろに立つ人物を指さす。
「こいつ?こいつは奴隷だ。外で仕入れて来た。文句があるのか?」
ジャガーは後ろに立つ人物のフードを払いのける。そこには赤髪、獣人の青年がいた。
「顔を覚えとけ、こいつの名前はロランだ。近々お使いに行かせるかも知らんからな」
ロランは兵士をキッと睨み、毛を逆立たせる。首にはリードがついており、額には殴られたような傷があった。
一度二人を隅々まで見ると、兵士は無言で開門を許可し、中へと招き入れた。




