第一話 転生と始まり➀
今は吸血鬼支配時代。もう長らく人間の大統領は誕生していない。
さらに世界の半分は砂漠で、発達した技術は蒸気機関技術。
そんなファンタジーな世界に転生したのは、名をクリスという少年だった。
彼に前世の記憶があるとはいえ断片的で、前の自分の名前すら覚えていない。
少しだけ覚えているのは、強烈な胸の痛みにより夜の交差点で死んだことと、前世で関わりのあった、ある少女のことだけだった。
クリスは、生まれた時から前世の記憶を持っていたわけではなかった。しかし、5歳を迎えた頃から、少しずつ前世の記憶が甦り始めた。
しかし今はそれを気にすることなく、この世界の住人として平凡に生きていたのだった。
また、今世でクリスは捨て子だった。父母の顔も分からない。
小さい時からハンス爺が園長を務める孤児院に住んでいるが、13才まで引き取り手がなかったクリスとその親友ロランは、来年から独り立ちして働かないといけなかった。
ちなみにロランは獣人である。赤髪にケモ耳、茶眼の男の子。
獣人差別主義の根深いこの世界で、ロラン他、獣人の子達の面倒も見ているハンス爺はまさに聖母といっても過言ではなかった。
「クリス!もうそろそろ帰らないと怒られるよ!」
「ロラン待って、もう少しで釣れるってば」
一日の中で、暖かな日は落ち切って、間もなく静寂の闇が訪れようとする時刻。
二人は小さな溜め池のほとりで釣りをしていた。
なけなしの金で買ったボロ竿に、土から掘ったミミズを餌にして、大物がいると噂のいつもの溜め池まで、孤児院から歩いて来た。
「しょうがないさ。爺ちゃんへの誕生日プレゼントはもう買ってあるだろ。それだけでも十分さ」
「うるさいなぁ、黙ってろ」
すると、今まで鳴りを潜めていた竿先がぴくぴくと動き出す。
クリスは全神経を集中させ、竿にぐっと力を入れた。
「言ったろ?」
ロランがあっけにとられているうちに、ボロボロの竿が折れそうに軋みながら曲がり始めた。どうやら大物のようだ。
安い竿にリールなんてものはない。クリスは力を振り絞って竿を引き、上体を反らす。
少し格闘すると、水面付近に魚の顔が見えてきた。
やはり大物だ。
見たことのないその大きさと、夕日を反射して銀色に光るウロコがクリスを興奮させる。
あともう少し!クリスはより一層力を入れた。
「つ、釣れそう!」
そう言ってクリスがニヤリと笑った瞬間、
ブチッッ
不快な音と共に糸が切れた。魚はそそくさと池の底に帰る。
「おい!嘘だろ?最悪だ!」
池のほとりに膝まづいて悔しがるクリスに、ロランは釣り具を片付けながら声を掛けた。
「やっぱり帰るのが正解だったろ?来年働き始めてから渡せばいいさ、今年は魚以外にしよう」
そう言って早速帰り始めるロラン。クリスは渋々諦めて、急いでロランの後を追った。
孤児院から溜め池までは少し距離があった。でもむしろ、クリスとロランはその長い帰り道で、互いの将来について語り合うのが楽しかった。
「それでクリス、そのカガクシャってのは何をするんだ?」
「よくぞ聞いてくれた。科学者ってのはなあ、新しい技術を開発するすごい人なんだぞ!」
もちろんクリスは転生者であるから、新しい技術の種も仕掛けも知っているが。
特に今日はクリスの夢について盛り上がった。
「―でさ、―でさ、それがすげーんだ」
冷たくて心地よい夜風がクリスの金髪をなびかせた。黄昏時のこの時間はクリスにとって一番幸せな時間。
何の変哲もない小道を歩く時間が、ロランと夢について語り合うだけで特別な時間になった。
しばらく歩くと孤児院の明かりが見えてきた。今日は何故か、いつもよりまぶしく見える気がした。
するとロランが、クリスの前に躍り出て言った。
「今から孤児院まで走って先についた方が勝ちな。よーいどん!」
ロランはクリスを置いて走っていく。
「おいっ、ずるいぞ!」
クリスも負けじと走り始める。しかしロランは人狼という特性上運動能力が高く、只の人間であるクリスよりも、はるかに足が速かった。
クリスが先を行くロランを追いかけていると、急に少し先でロランが止まった。
クリスがロランに追いつき、息を整えていると、ロランが急に彼の肩を叩いた。
そして震える声でロランが言う。
「孤児院、燃えてない?」
それを聞いて見上げたクリスの瞳には、街はずれにある孤児院が炎をまとう様が映された。
二人の首筋に冷や汗が伝った。互いに顔を見合わせると、二人は一目散に孤児院へ向けて走り出した。
二人は足がちぎれそうになるくらい無我夢中で足を動かす。
すぐに孤児院へ着くと、木材が焦げる匂いと、そこらを埋め尽くす煙に二人の肺が拒絶反応を起こした。
それでも二人はむせながら孤児院の中へ入るが、どうやら孤児院の皆は逃げた後のようで、そこには燃え盛る廊下だけが残っていた。
しかし、奥から何か声が聞こえてくる。誰かが逃げ遅れているのかもしれない。
クリスとロランはその誰かを助けるべく奥へと進んだ。
声は院長室から聞こえてきていた。二人は互いに見合わせ、焦げた木製のドアを開けて部屋へ入った。煙で痛い目を抑えながらロランが言う。
「大丈夫ですかー?」
ロランは助けを求める返事を予想していたが、その返答は思っていた声と違っていた。
「おやおや、何も知らないガキが爺さんを助けに来たようだ」
クリスとロランが声の方へ目を向けると、そこには三人の男がいた。三人ともスーツで、まるで今ここが火事でないかのように平然と立っている。
そしてその足元には、いつものセーターを着たハンスがうずくまっていた。
「早く!早く爺ちゃんを助けて!」
クリスが叫ぶ。
「何を勘違いしている?私たち吸血鬼協会はこの男を処罰しに来たのだよ。こんなに人狼がいる孤児院を政府に隠していたのは、犯罪だよねぇ?……まぁ、この男への用はそれだけではないのだががね」
すると三人の中でも、一際大きな体格の男がハンスを蹴り上げた。老体が飛び上がり、そのまま壁に叩きつけられる。
しかし彼は一言も発しなった。彼には意識がないらしい。
「やめろおおお!」
ロランが叫ぶ。
「残念。彼はもう息絶えているよ」
と、狐顔で、一番後ろに立つ男が言う。彼はさらに続けざまに言った。
「君たちは私に見つかって幸運だね、本来は目撃者を消すところだけど。こう見えて実は私、子供が好きなんだ。ささ、逃げなさい。カシム、ブルート、帰るぞ」
彼らが身を翻して窓から出ようとしたその時、クリスが一番手前の男に掴みかかった。
「このクソ野郎ども、爺ちゃんをかえせええええ」
その瞬間、クリスは目にも見えぬ速さで首を掴まれた。掴んだのは狐顔の男であり、その怪力にクリスの表情が一瞬で苦痛に支配される。
彼は不気味ににやけながら言った。
「小僧、私の名はクソ野郎じゃない。ゼリクという名がちゃんとある。フフフ、また強くなってから挑戦しに来るといい。今のままじゃ勝てぬぞ?」
ゼリクがそう言い終わると、クリスは首を掴んだまま廊下まで投げ飛ばされた。
小さなクリスの体が廊下の壁にぶつかると、鈍い音と共に全身を痛みが襲った。
燃える館と、狂気に満ちた三人の吸血鬼の影が二人を覆う。
すぐにロランがクリスの元へ駆け寄った。
「クリス!」
駆け付けたロランに支えられ、ゆっくりと立ち上がるクリス。
憎しみに顔を歪ませたクリスは、ロランと共に再び部屋へと足を踏み入れ、今一度拳を握りしめた。
今の彼の頭の中に、“諦める”の3文字は無い。
しかし、二人がもう一度部屋の中を見ると、そこにはもう誰もいなかった。
「ハンス爺!ハンス爺!」
クリスとロランがハンスの元へ向かおうとするが、炎を纏った柱が目の前に倒れて来た。
慌ててそれを避けて逃げる二人。
「クリス、もう無理だ!出よう!」
ロランの提案にクリスも渋々頷き、出口へと目的地を変える。
二人は何とか炎の中を走って孤児院の外へ出るが、クリスよりも煙を多く吸ってしまったロランは、丁度外に出てすぐのところで地面に倒れた。
その小さな体を担ぐクリス。
その時クリスの胸の中では、復讐の炎が燃え始める。それはさながら勢いを増して燃え盛る、ハンスの孤児院のようであった。
翌日早朝、クリスは一人で孤児院に来ていた。
孤児院は焼け、残っているのは炭だけ。
他の孤児と先生たちは町の病院に保護されたが、やはりハンスは助からなかった。
孤児院には近くの街から数人警察や記者が来ていたが、誰も片田舎であった火事のことなど気にしていないようだった。
クリスは孤児院跡に足を踏み入れ、焦げ臭さの漂う消し炭の上を歩く。
ハンスは既に埋葬されたようだったが、クリスは昨日の夜ここで何が起こったのかを知りたかった。
しかし、クリスは暫く黒焦げになった地面を歩いていたが、ゼリクと言う男に関する情報は何も得られなかった。
情報収集を諦めて病院へ戻ろうとした時、クリスがふと地面を見ると、そこに何か取っ手のようなものが出ているのに気づいた。
「なんだろう、これ」
クリスは慎重にそれを引っ張り上げた。
すると隠し棚の扉が静かに開き、彼の目の前に現れたのは古びたブリキの箱だった。
クリスはその箱をそっと取り出し、心臓が脈打つのを感じながら、箱の中身を確かめるために蓋を開けた。
「これは…銃?」
中に入っていたのは、錆びついた一丁のリボルバーと、一通の手紙だった。
彼は驚きと好奇心が入り混じった表情で、そっとリボルバーを手に取った。その重みと冷たさが手のひらに伝わってくる。
次に、慎重に手紙を取り出し、封を切ると、古いインクで書かれた文字が現れた。
“ クリス、君にこの銃を託そう。今まで何も話してこなかったが、君にはこの地球を統べる血筋と、能力がある。まぁ、詳しくは今度話そう。今まで黙っていてすまなかった。
ともかく、これで成人だな。これを書いている今、私は君がどこにいるかは分からない。もしかしたらまだフサルト村にいるかもしれないし、遠くで働いているかもしれない。
そこでだ、これだけは覚えておきなさい。この世界は君に冷たいだろう。誰かが常に君の側にいるわけじゃないし、辛い時支えてくれる人なんてなかなかいない。
たとえそうだったとしても、私が君の側に居ても、居なくても、常に私は君の味方でいるよ。
そしてそれは15歳の誕生日プレゼントだ。受け取っておきなさい。君なら使い方がわかるだろう?狩りに使うんだぞ。
―ハンス”
手紙を読んだクリスの目からは、自然と涙がこぼれ落ちていた。
手が震え、紙が徐々に濡れていく。
「爺ちゃん…今日は爺ちゃんが誕生日だよ」