第十二話 こっから来るってわかってんねん③
吸血鬼の男がクリスの頭上でサーベルを振り上げ、その額に躊躇なく刃を振り下ろした。
クリスには吸血鬼の動きが速すぎて目で追うことができていないが、吸血鬼を目で追えているロランはクリスの方へ叫ぶ。
「クリース!!!!!」
と、その時、頭上から何か大きなものが落ちてきた。
それはクリスを襲っている吸血鬼の頭を押さえ、そのまま地面に叩きつけた。
吸血鬼は全身を地面に埋め込まれ、抵抗することもできずに気を失った。
ウォォォォオオオオオオオオオオオン!
上から降ってきたそれは耳をつんざくような遠吠えを発し、ゆっくりと四人の方へ向いてそのまま逃げるよう促した。
その姿は野生の狼というより、まさに怪物狼男そのものであり、肥大化した腕と鋭い鉤爪、青色の瞳孔が周囲の吸血鬼達を震え上がらせた。
「キリさん!助かります」
ロータスが人狼の方を向いて言った。
「こ、これがキリ!?」
クリスはその見た目が今までの獣化したキリとは違うことに驚く。
「キリさんはハイイロオオカミの獣人だから人狼の姿にもなれるのよ。そんなことより早く逃げないと。私たちは足手まといになってしまうわ」
カトレアはそう言うと右手に伸びる路地を指さした。
「早く!」
四人はキリに援護してもらいながら路地へ逃げ込み、全力で基地の方向へ走った。
「我々吸血鬼部隊が、あんなものに遭遇するとは聞いていないぞ!」
クロノス教徒の刺客を追撃しようと、サーベルを持って路地へ入った吸血鬼が吹っ飛ばされて出てきた。
さらにその路地から、のそのそと例の人狼が出て来る。
そのツヤのあるたてがみと、ピンと張った狼の耳、ギラリと並んだ牙、血まみれになった黒い鼻が、彼が狼の王であることを物語っている。
「所詮相手は一人!あいつだけでもゼリク様へ首を持って帰るぞ!」
吸血鬼達が一斉にキリへ襲い掛かるが、キリはそれをものともせずに、全てを右手で薙ぎ払った。
二人の吸血鬼が壁にめり込み、意識を失う。
後続の吸血鬼達は突然出て来た化け物に恐れおののき、足が震えていた。
「そっちガ来ないなら、こちらから行くゾ!!!」
そのままキリは吸血鬼達の中へ突っ込んでいった。
普通の獣人なら袋叩きに合うはずだが、キリはその大柄な体格故、吸血鬼達を吹き飛ばしていく。
あるものは鉤爪に切り裂かれ、あるものは体を真っ二つに折られて死んでいった。吸血鬼の再生能力も、狼男の前では意味を為さない。
後ろで控えていた吸血鬼がクロスボウで矢を放つが、キリは吸血鬼を持って盾代わりにし、彼には一本も矢が刺ささらなかった。
「やめろ!味方に当たる!矢を止めろ!!」
今度は持っていた吸血鬼を四方へ投げ、街灯ごと敵を粉砕していく。もはや吸血鬼達には、キリに対して為す術がなかった。
「て、撤退しろぉぉお!こいつは規格外の獣人だ!」
次々と吸血鬼が撤退していき、蜘蛛の子を散らすように街へ逃げていく。
キリは最後まで殿を務めている吸血鬼を噛みちぎり、逃げようとする暗殺者たちを、その鋭い爪で薙ぎ払った。
キリがしばらく夢中で戦っていると、いつの間にか辺りの吸血鬼は一人もいなくなり、空には朝日が昇り始めていた。
ボロボロになった巨体を庇いながら、朝日に目を眩ませる。
「僕の勝ちということで、よろしいかな」
キリは口元についた血を拭って、そう吐き捨てた。
静かな作戦室でフジとカトレアが話している。壁に掛けられた時計が鳴り、朝を告げた。窓一つない地下基地にとって、部屋に掛けられた時計は日の光と同じ役割を担っていた。
「いえ、内通者までは分かっていません。」
「そうか、ご苦労だった。」
カトレアの報告にフジが頷き、労いの言葉をかけた。
「では、一度休憩させていただきます。」
カトレアがそう言って部屋へ戻ろうとしたとき、急にバタンと作戦室のドアが開く。
そこには傷だらけになったキリがいた。
強力な人狼とはいえ、流石に全ての攻撃を受けることはできなかったようで、背には矢も刺さっている。
「失礼します、総長。只今帰還いたしました。」
「お疲れ、キリ君。後始末助かったよ。治療してもらって、ゆっくり休むといい。」
「ありがとうございます。総長。内通者の件で少し話があるのですが」
キリがそう言うと、フジはアイコンタクトをしてカトレアを下がらせた。
そして、小声でキリに聞いた。
「何か掴んだのか?」
キリはカトレアが退出したのを確認すると、ローブのポケットから何か紙を取り出した。
紙は血で濡れ、それを取り出したキリの手もボロボロだった。
「逃げようとしていた吸血鬼の一人に武器を持っていないものがいまして、おそらくそれが伝令兵だろうと踏んで調べてみました。すると案の定、こんなものを」
キリはその羊皮紙を机の上に広げた。
そこにはバーチという名前と共に今回の作戦が丸ごと書かれていた。
「バ、バーチ!!」
フジはその名前に驚き、目を丸くさせる。
「これはどういうことかリリィ様に聞かにゃならんな。キリ、君を信用して言うが、この件、他言無用はしないこと。後日一緒に本部へ来てもらう」
フジがキリの手を掴み、鷹の様な眼差しで彼に言った。
「分かりました。リリィ様にお会いできることは、非常に光栄でございます」
「…そうか。ご苦労。今日は休みなさい」
キリが作戦室を出た後、フジは静かに机に向かい、一枚の紙を取り出した。手元のペンを取り、慎重にその先端をインクに浸した。彼の表情は真剣で、何か重要なことを書き記す決意が感じられた。
フジは一呼吸置いてから、ゆっくりと文字を綴り始めた。ペンの走る音が静かな部屋に響く。彼が何を書いているのか、その内容は誰にもわからない。ただ、一つ確かなのは、その手紙が何か重大な意味を持っているということだった。
「くそっ、キリに助けてもらってばかりじゃねーか」
「いいじゃん。彼は僕の尊敬する人物の一人だよ。僕もあんな風に強くなりたい」
キリが報告を終える頃、クリスとロランは、クリスの部屋に集まって反省会をしていた。
最初は寝られなかった固い布団も、今では彼等にとって居心地の良いものになってきていた。
二人は味の薄いパンを齧り、ジャガイモとベーコンの入った薄味のスープを啜る。
クリスの口はもう日本食の味を忘れていたが、今の食事よりもはるかに美味しかったということは分かる。彼には、どうしてもこの食事だけは慣れないようだった。
「あ、ゼリクの居場所は分からなかったけど、ブルートの居場所は分かったらしいよ」
ロランが思い出したらしく、クリスに言った。
「マジ?ブルートって、孤児院でゼリクの横にいたやつだろ?」
「そう。ブルートはステティアから南西1000キロの砂漠都市にいるらしい」
「なるほど、じゃあ次は遠征になりそうだな。俺がこの手で叩っ潰してやる」
二人はその後も暫く話し続けていたが、初仕事の疲労が次第に体を重く感じさせ、やがてまぶたが重くなってきた。
互いに眠気と戦いながらも、次第に会話は途切れがちになり、ふと気づけば、クリスはベッドに、ロランはソファにそれぞれ伏していた。
心地よい疲労感に包まれながら、二人は静かに眠りに落ちていった。その夜の静寂が、彼らの疲れた体と心を優しく癒していた。
次なる戦いに備えて、束の間の安らぎを感じながら。
「バーチ様!もうそろそろでございます!出発の準備をいたしましょう」
「そうだの。広報部勅令使として一刻も早くリリィ様の御言葉を伝えねばの」
部下らしき人物に支えられて立ち上がったのは70近い老人で、その傍らには金で装飾された豪華な馬車がある。
「最近は便利だのぉ。蒸気機関技術の発達により鳥型の情報伝達機械が発明され、どこへ手紙を送るのも簡単じゃの」
そう言うと、間もなくして金色に輝く機械仕掛けの鳩が飛んできた。老人はそれを取ると馬車へ乗り込む。
鳥型機械の胸についたネジを巻いて蓋を開き、中から手紙を取り出した。
「バーチ様、それでは出発いたします」
「よいぞ」
バーチは揺れる馬車の中で、老眼鏡を掛けてから手紙を読んだ。
「ふむぅ。そういうことになったかのぉ。やはり転生者は侮れんっちゅうことかのぉ」
老人は手紙をしまうと外を見つめ、手紙の内容を反芻しながら次の一手を模索していた。




