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焼きたてのパンと屋台のお菓子(1)

「お腹がすきませんか。目の前の通りのパン屋で焼きたてのパンを買ってきましょうか」


 私は皇后に提案した。とにかく休戦するのだ。美味しいものを食べて、仲直りのチャンスを伺おう。


「あら、確かに良い匂いだわ……買ってきてくれるかしら?」


 皇后は戸惑ったように私に言った。うなずいた私が部屋を出て行く時に小さな声で遠慮がちに声をかけてきた。


「初めてなのよ。初めて街のパンを食べるのよ。人々がどんなパンを食べているのかを知ることができるのはとても嬉しいことなの。普段は私は特別なものしか食べてはならないから」


 皇后の言葉に私はハッとした。


 ――菓子パンと屋台で何か美味しそうなお菓子があれば、それも買ってきてあげましょう。


 私は弾む気持ちで宿屋を出て、早朝の街のパン屋に向かった。昨晩ラファエルにもらったお金が少しだけあった。この国の通貨だ。私は一応、ジークベインリードハルトの言葉も話せる。異国での初めての買い物に私は心臓がドキドキした。焼きたてのパンの芳しい香りにうっとりとしてしまう。早くこの香りを皇后にもお裾分けしたい。


 私にとっても、ジークベインリードハルトのパン屋と屋台で買い物をするのは生まれて初めてだった。


 最近流行り始めたコーヒー店もあったけれども、昨晩皇后は倒れたばかりなので、私は買わないでおこうと決めた。


 無事にパンと菓子パンを買い、ついでに屋台で小さな甘いお菓子も買って、私は急いで宿屋に戻った。今日は私はかなり素敵なドレスを着ていた。コルセットは着けていない。皇后のお世話をするにあたって、身綺麗にしたものの、動きやすい格好をしていた。この旅の間はずっと特殊な乗馬服を着ていたので、久しぶりのドレスだった。


 息を弾ませて急いで部屋に戻ると、私は皇后の前に買ってきたばかりのパンとお菓子の入ったかごを置いた。


「まあ!」


 皇后の体をゆっくりと私は起こした。皇后は目の前に置かれた焼きたてのパンとお菓子を見ると、感嘆の声を上げた


「街のパン屋で売られているパンですわ。どれをお食べになりますか?」


 私は宿屋のキッチンに急ぎ、食事の前に使う手を洗うボールを急いで準備した。部屋に戻ると、皇后の前にベッドテーブルを置いた。キッチンでお皿も拝借してきていて、その上にパンと菓子を綺麗に並べた。


「最高だわ。初めての街のパン屋のパンを食べるの」


 皇后はそう言いながら、ボールの水で手を洗って、そっと菓子パンを手に取った。


「あぁ、美味しいわ。宮殿の料理人にも今度作ってもらうことにするわ!」


 皇后は食べているうちに、元気が出てきたようだった。


「今日の午後は、7つ目の宝石を取ってこようと思います。申し訳ないのですが、午後の付き添いは侍女に交代させていただきますね」


 私がそっと声をかけると、パンを口に頬張ったまま、皇后は私の方を見て目を輝かせた。


「あなたたち、解けたのね!」

「えぇ、おそらく謎は解けましたわ」

「素晴らしい!」


 皇后は打って変わって上機嫌になった。私は水差しからコップに水を用意して、皇后に渡した。


「ハイルヴェルフェ城でエレオノーラとお会いしました。俗語で書かれた物語を見ました」

「全部読んだのかしら?」

「いえ、謎解きに夢中で読む時間はなかったのです。今度訪ねた時に読むつもりですわ」

「わかったわ。あなたはラファエルの妻ではなく、私の付き人の方がしっくりするわね。で、そのシグネットリングは何かしら?」


 皇后は、私がお金を入れていた袋から偶然転がり出たシグネットリングに気づいて尋ねてきた。


「エレオノーラにいただいたものです」

「それは、ロレード商会のシグネットリングよ。全権限を使える程の威力があるものだわ」

「そうなんですね」


「あなた、ロレード商会の長女から相当な信頼を得たわけね。それはすごいわ。それはそうと、コンラート地方北部にはもう雪が降っているわよ。急がないと冬将軍が本格的に訪れる前までに領地につけないわ。あなたはコンラート地方のリシェール伯爵領で何をするつもり?」


 皇后はパンを食べながら私への質問を続けた。


「そうですね、まずは毛織物の交易ですわ。川を使った交易を今より盛んにします。農業はヴィッターガッハ家の次期当主からノウハウを得て、葡萄を育てますわ。三圃制で小麦や大麦を育てるのにも力を入れます。宝石商人を集めて研磨する方法を極めたいとも思います。鉱山の運営にも力を入れたいです。つまり、私はコンラート地方を発展させる試みができることにワクワクしているのです」


 皇后は私のが楽しそうに話す様子をじっと見つめていた。いつの間にかパンを食べる手が止まっていた。


「な……何か妙なことを言いましたでしょうか……?」


 私は皇后の視線に気づいて戸惑って話すことをやめた。話し過ぎたのかもしれない。


「なるほどね。隣国の陛下があなたをラファエルの妻に選んだ理由が今、なんとなく分かりかけたわ。実際に、あなたはラファエルと共にここまで辿り着いてもいるわね……」



 皇后は独り言のようにつぶやいた。いつの間にか、菓子パンと菓子を全て食べ終わってしまわれたようだ。


「お気に召したようでしたら、いくつかまた買ってきましょうか?」


 私は皇后に申し出た。皇后は私の言葉にふと顔を上げて、自分が全て食べてしまったことに気づいて笑い出した。


「あら、私ったら全部食べちゃったのね。そうね……屋台のお菓子をあと3つぐらい買い足してくれると嬉しいわ。初めて食べたのだけれど、美味しいわ。街の人はこんなに美味しいものを食べているのね!」


 私は皇后の無邪気な様子に思わず微笑んでしまった。顔を見合わせて悪巧みをするように笑い合った。


「いいですよ。買ってきますわ!お待ちください」


 私はそう告げて、部屋を静かに出た。どうやら、お菓子と焼きたてのパンのおかげで休戦に成功したようだ。


 私は急いで通りに走り出て、屋台に群がる人々のところまで行った。買って戻ろうとした時だ。後ろから私は肩をつかまれて、低い声が鋭く告げるのを聞いた。男が私のすぐ後ろに迫っていた。


「騒ぐな。そのまままっすぐに歩け」


 油断をしていた私は、敵が私に近寄ってきていたことに気づかなかった。軽はずみな行動をしていたことを私はその時に悟った。敵が姿を現さないのをいいことに敵の存在をすっかり忘れていたのだ。


  ――ここはジークベインリードハルトだったわ。後継者争いを起こしている真っ只中の国の街で、私は無自覚に一人で歩いてきてしまったわ。




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