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19/62

8年前の皇后の宝石回収ルート

 今でこそ、陛下のはからいで素敵な辺境伯の夫と結婚できた私だが、私の生家のエヴルー家は没落した貧しい伯爵家だった。


 金策に疲れた時にはよく森に行った。食べられる木の実や植物を採ってまわるのはとても楽しかった。洗濯もするし、掃除や炊事もするし、私は屋敷と庭がただ大きいだけの若い娘だった。もちろん、ちょっとした裁縫もできるし、簡単なものなら自分で仕立てることもできる。


 何年も前に庭の一角を畑に変えた。そして食べるための穀物や野菜を育てていた。そうなのだ。土地さえあれば人間は食べるものを育てることができるのだ。森の小川で魚も釣った。


 没落令嬢でいるのは、毎日がサバイバルだった。


 夏のゴーニュの森の野原には、青紫色のスカビオサの花が咲いていた。青いリンドウの花や青紫色のヤグルマギク、黄色いタンジーの花びらが緑の野に咲くさまに心が和んだ。


 私には素敵な姉がいたし、優しい母もいて、執事のピーターもいてくれた。彼は年老いる前はキビキビと私たちと一緒に動き回ってくれた。娘時代はダンスのステップを踏むように、森の中でスキップをしては一緒に笑い合ってくれる姉がいてくれた。私たち二人に食べられる草や食べてはいけないものを教えたのは執事のピーターだった。私たちが幼い頃から彼はいつも私たちについてきてくれた。執事のピーターは姉と私の二人だけで森に入ることは決して許してくれなかったのだ。


 畑のことも、以前いてくれた庭師と執事のピーターが教えてくれた。私は没落した伯爵家の娘だったけれども、人には恵まれていた。



  私は今、ベルタの美しい城に別れを告げて、夫と侍女と騎士と共にまた船に乗り込んでいた。今日も素晴らしく晴れていた。銀色に輝く美しい水面を突き進む船の看板に立って、ぶどう畑が広がる丘陵をぼんやりと見つめていた。


 心の中では、私が遠くに残してきた金策に明け暮れた毎日と、エヴルー家での生活を懐かしく思い出していた。私は今まで恋をしたことがなかった。他の女性の存在によって、こんなにも心がかき乱される経験は今まで一度もしたことがなかったのだ。


 世の中は、恋さえなければ嫉妬とは無縁なのだろうか。貧しかったエヴルー家の生活で味わったこともなかった心の葛藤に、私は戸惑っていた。


 ――恋さえなければ嫉妬とは無縁なのかしら?いえ。そんなことはないわ。虚栄心は相変わらず衣装のことで頭を悩ませるわ。食べるものがない毎日を送った私からしたら、ドレスが一番の悩みというのは贅沢な悩みだけれど。


 私は首を振って自分を戒めた。


 ――過去がどうであれ、今、私が目の前に直面しているのは生き抜くための旅だわ。今日だって、まだ見ぬ敵によって何かが仕掛けられてくるかもしれないわ。しっかりするのよ、ロザーラ。


 私が身震いして地図をもう一度確認していると、騎士の一人が話しかけてきた。


「奥様、昨晩はありがとうございました」

「あ……キノコのことね。たまたま気づいただけですよ。気づくことができて幸運でしたわ」



「今晩はどこに泊まるのでしょうか」

「今晩は……そう言えばまだ考えていなかったわ。どこにしましょうかね。これから考えるわ」


 私はにっこりとして彼に答えた。彼の名前は確かフィリップだったと思う。


 昨日は、私たちは夜までにどこの街を目指すかをラファエルと決めていた。つまり、最初から全員が目的地を知っていた。別れた陸路を進む騎士団にも、その日の夜にどこまで私たちが進むかを共有していたはずだ。


 ――それを敵に利用されたとしたら?あらかじめどこの街に泊まるかが敵に知られていたとしたら?


 私は一緒にいるメンバーを疑いたくはなかったけれども、昨日の毒キノコの件ではメンバーを疑わざるを得ない状況だった。


 私たちが陸路ではなく水路に変えたと敵は知っている。ただ、陸路の敵と水路の敵が同一という可能性は確実ではない。私が死に至った時の敵は陸路で襲ってきた。今回の水路では、ラファエルも含めて全員が狙われたように思う。ならばだ。『皇帝の孫』を狙う敵は複数いると考えるのが妥当だ。『皇帝の孫の花嫁』をターゲットとするものは確実にいる。それは前回の陸路で明確だった。敵は別々に複数グループで存在しているとしたら……


 ――泊まるところは城に限定すべきかもしれないわ。街の宿屋は危険だわ。ラファエルのおばあ様が手紙に書いてきたという、他の街の城も地図で確認して、ラファエルと私だけでこっそり今晩の宿泊地を決めましょう。


 私は心に決めた。敵は城までは入っては来れないはずだ。その城の持ち主がラファエルの命を狙っていない限りは。


 私はラファエルの姿を見つけて、何気ない様子を保って近づいた。


「あなた、少し相談したいことがあるの」

「わかった。他の者に聞かれたくないことだな?」

「ええ」


 ラファエルはすぐさま理解して、私の手を握って口付けをしてきた。耳元で小さな声でささやく。


「どうした?」

「疑いたくはないけれど、一緒に来てくれているメンバーの中に敵への内通者がいるかもしれないわ。毒キノコの件は、最初からベルタの街を目指すと私たちが決めていたのを知っていたのを、誰かに利用されたのかもしれない。だから、これから先の宿泊地は全てあなたのおばあ様が書いてきた街の城に限定すべきじゃないかと思うの。敵が近づけないようにするために、城壁の中に泊まるのよ」


 ラファエルは私の瞳をのぞきこんだ。


「わかった。こっちに来て。地図を見ながら話そう」


 ラファエルが小さな声でそっとささやき、私はラファエルに夢中といった様子で(実際にそうなのだけれども)、ラファエルに寄り添うようにピッタリと近づいてついて行った。


 今日通る河川の領域は曲がりくねっているために昨日の船より小さくなっている。看板では着飾った貴婦人や貴族が話し込んでいる。積荷の商談を熱心にしあっている商人たちの姿もあるけれども、全体的に昨日よりは旅客は少ない。手漕ぎの男性たちは汗をかきながら漕いでいた。その様子を私はチラリと確認しながら、ラファエルと看板を歩いた。


 川の両岸には美しい景色が広がり、愛をささやくにはぴったりの旅だった。立派な城が点在しているのを眺めているだけでもため息ものだ。


 海を進む帆を大きく広げた交易専門の船とは違って、川を進む船は小型ではあるのだ。私とラファエルは周囲に人があまりいない場所にやってきて、体をくっつけあって岸に向かって地図を広げた。


 ラファエルが私の腰に手を回していて、はたから見たら愛をささやいているように見えるだろう。


 だが、小声でラファエルが私にささやいるのは街の名前だった。


「銀に輝く街と呼ばれるシャティヨン渓谷のブロワのエーリヒ城、ゴーニャのフラン城、もっと先の……」


 私は地図を見ながら頭の中に素早く入れて行った。


「その城の全てに宝石が預けられているのではないかしら?」

「そうかもしれない」

「小ぶりな宝石だったわ。集めたら何かになるのかしら?」

「ふふっおばあ様はイタズラ好きだったからな。あり得る話だ」


 私とラファエルは顔を見合わせた。


「行き先を決めるのは私たちではなく、8年前のおばあ様ね」

「そうしてみるか?」


 ラファエルと私は宝石を集める旅に思わず心が浮き立った。


「それならば、どこに行くかは私たちが決めるわけではないし、8年前のおばあ様の行動を知っている人はおばあ様の側近のごく僅かな者だけだと思うし、そもそも私たち二人が皇后様に導かれて旅をしていると思いつく人はいないと思うわ……」


「そうだろうな」


「私たちがどこに行くかは、8年前の旅の手紙が決めているのね」

「これなら敵には予測つかない可能性がある。このことは君と私だけの秘密にしよう。港に着いたら突然降りるとする。私と君は目的地を誰にも明かさない」


「花嫁の私と新郎のあなたのロマンティックな旅行にもなってくるわ……」


 私は死のルートを回避する目的に、思わぬ美しい宝石収集と魅惑の城めぐりの目的が合わさって、身悶えするほどの刺激的な旅になりそうな予感に思わずラファエルの胸によりかかった。


「ため息が出るほど予測がつかない旅だな。君と一緒だと思いがけない方向に行くな」


 ラファエルがそっと私にささやいた。


「ええ」

「決まりだな」


 大陸を横断する旅は、馬車と馬でひたすら旅を続ける前回と違って、今回は宝石収集と川沿いの城巡り、しかも大国ジークベインリードハルトの皇后の後を追う孫の新婚旅行の様相を伴ってきて、私はため息が出た。


 ――畑で穀物や野菜を作って、森で食べられる木の実や植物を採集して、時には魚釣りをしながら洗濯と家事に追われる毎日を送っていた私からすると、想像もつかない旅だわ……


 私たちは、誰にもこれから立ち寄る街と城を明かさないと決めた。いきなり訪ねていくのだから、歓迎されるかどうかは大きな賭けでもある。

 

「さあ、早速次の城の街に着くぞ。シャティヨン渓谷の始めにあるブロワで降りる。エーリヒ城主に挨拶をしよう」

「お昼ご飯をいただけるかしら?」


 ラファエルはイタズラっぽく笑って肩をすくめた。


「さあ。行ってみないことには分からない。おばあ様が宝石を全部の城に預けているかも行ってみればわかるよ」

「そうね」


 私とラファエルは、離れて後ろに控えていたベアトリスとジュリア、騎士の皆に合図をした。皆が近づいてやってくると小声で告げた。


「次の港街でお昼ご飯を食べよう」


 ラファエルがそういうと、ジュリアとベアトリスは満面の笑みを浮かべた。


「美しい街と聞きますわっ!」

「ええ、憧れですわ」

「そうね、賑やかで豊かな街と聞くわ。私も楽しみよ」


 私たちの喜びにつられて騎士のみんなの顔にも笑みが溢れた。私はその様子をじっくりと眺めた。フィリップスも一瞬突然の下船に驚いた様子を見せたけれども、楽しみだというように喜んでいるようだ。


 ――みんな驚いたようだわ。今のところは変な動きをする人はいないように見えるわ。



 ラファエルが「下船する」と船頭に伝えた。ブロワも美しい街並みを誇る豊かな街だ。賑やかに人で賑わっているのが見える。


 けれども、下船した私たちが遭遇したのは思っても見ない光景だった。


「ラファエルー!!」


 私の目の前に、手を振りながら大きな胸を揺らして走ってくるプラチナブロンドの令嬢が現れた。長いドレスをゆらめかして走ってきたのはレティシア嬢だった。


「偶然ね、本当に!またお会いできてびっくりだわ!」


 驚くラファエルの元へ、胸に飛び込まんばかりの勢いで駆け寄ってきたレティシアの視界に、横に立つ私の姿は全く映っていないようだった。


「おぉっ!レティシア、偶然だな」


 ラファエルは驚きながらも、レティシアに挨拶のキスのために頬を寄せている。


 ――なぜ?彼女は神出鬼没なのかしら。幸福や幸せのワクワクの絶頂から、こんなにいとも簡単に私の気持ちはグレーな境地に落下しまうのはなぜ?


 私は唇を噛み締めた。ラファエルとレティシアの二人だけの世界になり、急に自分がのけものになったような気分だ。


 ブロワの街は我が国でも有数の美しい街だ。ただの偶然と思い込んでいるラファエルに、レティシアは賭けで私たちがここに立ち寄ると先読みしたのではないかと私は疑った。そもそもレティシアには全く別の陸路のルートを伝えたはずだ。レティシアは偶然美しい川辺のブロワの街を訪れただけで、偶然タイミングよく私たちに港で遭遇したのだろうか。


 もう、私の気持ちは説明つかないモヤモヤでいっぱいだ。


 ――彼女は一体敵なのでしょうか?死神さま。恋敵であることは間違いないですわ。ラファエルを手中におさめるために私の命を狙ってはいないのでしょうか。


 私は唇を噛み締めたけれども、息を殺して落ちつこうとした。


 淡いピンクのバラが港の端に咲いていた。屋台の間の野にはパンジー・ビオラが可憐な花びらが見えた。淡いピンクのバラもかすみそうなレティシアの美貌に私は圧倒された。



 



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