敵は、皇帝の孫の花嫁の貧乏の前に崩れる
天気はとても良かった。
休憩前も含めて馬車で7時間進むと、賑やかな船着場に着いた。辺境伯であるラファエルですら、自分の領地に向かう船旅は初めてだと言う。
ここで私たちは作戦を立てて2つのグループに別れた。
予定していた大陸横断陸路は、大国ジークベインリードハルト最大勢力の商人ロレード家が進めている6カ国を貫く大街道と繋がるものだ。主要都市を総なめにして進む経路なので、大聖堂や修道院が要所要所で軒を連ねる魅惑の大都市を横断することになる。それはそれで、わくわくするような大陸横断の旅だろう。
騎士43名は元々の大陸横断経路で進む。前回の旅路で私が死に至った経路だ。敵が潜んでいることは明白であるため、今回私はこの旅路は選ばないことにした。
ラファエル、私、ベアトリス、ジュリアと騎士12名は、国内きっての風光明媚な景勝地で知られる水路を進むことにした。長くて大きな川であるリーデンマルク川は、数々の伝説で知られる、フランリヨンドきっての美しい川だった。
2つのグループがそれぞれの旅路を進んで、両者が落ち合う街はセルドと決めた。前回私が死に至ったのは、1つ目の山地を超えた次の街であるヴィエナヒト。合流地点はそれよりさらに奥地の2つ目の山地を超えた先にあるセルドの街ということになる。
私は、辺境伯のリシェール伯爵の領土があるコンラート地方まで何がなんでもたどり着いて、領土を闊歩するかっこいい夫の姿を見ようと心に決めていた。
リーデンマルク川のほとりに着くと、最近少しずつ盛んになりつつある貨物輸送船の乗組員ばかりでなく、華やかな旅客も多かった。澄み渡る青空のもと、色とりどりの艶やかな服装の貴婦人を伴う紳士や商人たちが次々に船に乗り込んでいく。心ときめく光景だった。想像していたよりとても大きく立派な船ばかりだ。
ここから先は、立派な城や大きな修道院が川沿いに点在するフランリヨンド最高の景勝地でもあり、私の期待は一気に高まった。私たちは、今晩の宿泊先として城壁に囲まれた美しい街であるベルタを目指すと決めていた。
ベルタには立派な大聖堂と修道院があると聞く。没落令嬢の私にとっては、人生初めての旅だ。思いがけず船旅ができることになり、私は気分が高揚していた。
船着場からは、向こう岸の緩やかな丘にはぶどう畑が広がっているのが見えた。眺めているだけで贅沢なため息が漏れて出てしまう。
「なんて美しい眺めなのでしょう」
「そうだな。陛下の国は本当に美しいな」
私とラファエルは寄り添って向こう岸を眺めていた。なだらかな傾斜の丘には、美しい街並みに挟まれるように点在するぶどう畑が広がっている。
「ロザーラ、ありがとう。美しい景色が見られそうだ」
「いえ。私のわがままを聞いてくださりましてありがとうございます」
私たちの隣でベアトリスとジュリアも「素晴らしいですわ」と口にして興奮していた。二人とも船旅は初めてだという。私と同じだ。
リーデンマルク川は見かけによらず、浅瀬や危険な暗礁場所がところどころにある。必ず腕の良い船頭が率いていて、かつ経験豊富な乗組員がいる船に乗る必要があった。早速ラファエルは船頭と交渉に当たっていた。
この川沿いに城を建てられるのは、力のある貴族たちだ。没落令嬢の私には今までは全く縁がないものでもあった。けれども、今日は川沿いの美しいベルタの街に泊まれるとあって、私は自分で提案したことではあったけれども、とても嬉しかった。
――あぁ、お姉様とお母様も連れてきたかったわ。美しい街に二人とも興奮したに違いないわ。
――最初の旅では月あかりの元で焚き火をしたり、乗馬を楽しんだりして、それも楽しかったわ。今度は川沿いの美しい景色を楽しめる。さらに川沿いの美しい街に泊まれる。私はとても恵まれているわ。もちろんそれは死ななければの話だけれども。
華やかな船旅への期待で、一瞬、自分がわざわざ船旅を選んだ理由を忘れそうになっていた。
ラファエルが何人かの船頭と交渉して、大きな船に乗れることになった。
「よし、この船で決まりだ」
ラファエルにそう告げられて、私たちは立派な船に乗り込んだ。見渡す限り恋敵のレティシアの姿も見えないし、私は大満足だった。
風が優しく頬を撫でる。なだらかなぶどう畑の合間に立派な城が次々に出現する川沿いの眺めはとてもロマンティックだった。幸せだった。ラファエルの長い髪が風になびき、彼が風を受けて船の看板に立つ姿に、私は胸をときめかせた。
「交易のことだが」
ラファエルの姿に見惚れていると、彼が不意に私に話しかけてきた。
「女性が好むものを馬鹿にしてはなりませんわ。生地の交易はきっと大きな富を生むと思います。食事に使う香辛料もそうですわ」
「領地に帰ったら、考えてみるよ。君の意見をもっと聞きたい。私の領地にもリーデンマルク川は流れてきているが、交易のことには今まで気づかなかった。前向きに検討しよう」
「ありがとうございます、あなた」
私は貧乏で資金力の無い没落令嬢だったけれども、ラファエルの元許嫁のレティシアとは違って、違う視点でラファエルに貢献できるのかもしれない。
私は隣に立つラファエルに胸をときめかせながら、自分で自分を励ましていた。
胸をえぐるほどの嫉妬心は、時には思いもよらない考えをもたらしてくれる。
「奥様、あのお城は本当に絵のように美しゅうございますわ」
「そうね、ジュリア」
一緒についてきてくれた侍女2人も、騎士12名も船旅を楽しんでくれていた。
やがて夕暮れ前になり、高い城壁で囲まれたベルタの街についた。私たちは下船して今晩の宿を探すことにした。日がとっぷりと暮れた頃、小さなこじんまりとした宿屋にようやく空き部屋が見つかった。さっぱりとして小綺麗な宿屋だった。
宿屋の部屋に荷物を下ろすと、私たちは早速宿屋に提供された料理を楽しんだ。お酒も少しいただいた。
けれどもどういうわけなのか。事件は起きたのだ。敵は私たちの行動を追っていた。
それは皆が料理に満足していた最後に、もう1品料理が出されたことで発覚した。マッシュルームが中に入っている美味しそうな肉料理だった。
手を伸ばしかけた騎士を私は止めた。
「だめよっ!みんな手を出さないでくださるかしら?」
私は少し酔ってはいたけれども、すぐにその肉料理に入っているマッシュルームが毒キノコであることに気づいた。卑怯な手を敵が使ったことに私は気づいた。
「料理人を連れてくるわ。みんな食べてはだめよ!」
私は走るように宿屋のキッチンに向かい、そこで真っ青な顔をした料理人を見つけた。まだ若い彼を引きずるように皆のところに連れて行こうとした。料理人は抵抗して逃げようとした。
「待って!ちゃんと話すなら、あなたを罰したりはしないから」
私がそう言った瞬間に、ラファエルと騎士が同時にキッチンに飛び込んできた。
「大丈夫か?」
私はラファエルに聞かれてうなずいた。
「彼から話が聞きたいの。なぜ毒キノコを料理に入れたのか。彼は理由を知っているわ」
「毒キノコだと?」
騎士団とラファエルは慌てて聞き返しながら、青ざめている料理人の腕をつかんだ。
まだ若い料理人で、宿屋の食堂に料理人を連れて行くと彼は泣き出した。
「すみません。金を渡されたんです」
料理人の声は震えていた。
「誰にだ?」
ラファエルは厳しく冷たい声で料理人に聞き返した。
「し……知らない人にさっき頼まれたんです。その人は、金ときのこを渡してすぐにいなくなりました。大きな頭巾をかぶっていて顔はよく見えなませんでした。俺には病気のおっかあがいて……申し訳ありませんでした。つい金に目が眩んでしまいました。お許しください」
泣きながら謝る若い料理人に私は静かに話した。
「分かりました。あの毒キノコは食べた後は数時間ほどは幻覚が見えて、体がうまく動かなくなります。死にはしないけれど、体がうまく動かなくなるところを狙うつもりだったのかもしれません」
私はそう言いながら、小さな声でつぶやいた。
「私は森に食料を自分でとりにいかなければならない令嬢だったので、問題を起こしてしまうキノコならすぐに見分けられます。どうやら、『皇帝の孫』を狙っている人がいるようですわ」
私はラファエルに言った。
「『皇帝の孫の花嫁』か、『皇帝の孫とその花嫁の両方』か。とにかく私たちは狙われているようですわ」
私の言葉に、ベアトリスとジュリアは声にならない悲鳴をあげて後ずさった。騎士団の皆は憤りを感じている様子だった。私はじっくりと彼らの様子を見つめた。
――ルートを変えたのに、なぜこうも簡単に狙われたのかしら?彼らの仲間が間に合うまでの時間稼ぎに毒キノコを使おうとしたのかしら?この騎士団の12名の中か、侍女2名の中に敵の内通者がいる可能性はないのかしら……。
「ラファエル、今回のことは未然に防げて大丈夫でした。料理人を許してあげませんか」
「許す?」
私はまだ怒りを含んだ顔で料理人を睨みつけているラファエルに告げた。
「ええ。彼は多分もうしないと思いますわ」
私はそうラファエルに言うと、料理人の方を静かに向いた。
「あなたと同じく私も貧乏でした。毒キノコかどうかなんて、食糧に困って森で食料を調達する生活を送った者ならすぐに分かることよ。あなたに毒キノコを渡した人間は間違いなく大金持ちよ。貧乏を経験してそこから這いあがろうとした経験を持つ人をなめている考えだから」
私は若い料理人に諭すように話し始めた。
「病気のお母さんの治療費を渡すわ。これからは二度とこんなことをしてはダメです。私が結局見抜いたから、何も起こらなかっただけです。あなたは二度とお金に目がくらんで悪さをしようとしてはならないわ」
「ごめんなさいっ!」
料理人は泣き崩れた。私はラファエルに目配せをした。ラファエルは仕方ないと言った様子で肩をすくめた。
「宿屋は変えましょうか。皇帝の孫がここにいると知られたようですから」
「そうだな。そうしよう」
私たちは酔いが一気に覚めた状態になり、冷たい夜気の中、小綺麗な宿屋を出た。
「城主に頼もうと思う」
ラファエルは短い言葉でそう囁くと私の手をとり、夜の暗いベルタの街をずんずんと歩き始めた。
港に着いた時に見えていた巨大な城に泊まるのかと、私は黙って手を引かれるがままにラファエルに従って歩いた。侍女2人と騎士12人もついてきた。
城の門番はラファエルがそっと取り出してみせた紋章を見て慌てふためいた。すぐに伝令が城主に走ったのか、城門は大きな音をぎしぎし言いながら開き、誰かがすっ飛ぶように走ってくる音がした。
「これはこれは!リシェール伯爵ラファエル・ジークベインリード様!」
太った中年の男性は、豪華なガウンを着たまま息せき切って走ってきたのか、荒い息を吐きながら大きな声で叫んだ。
「ようこそ我が城へ!ぜひこの城をお使いください!」
「ありがとうございます。感謝します」
ラファエルは静かに頷いて礼を告げた。私も慌ててお礼を述べた。
「こちらは?噂の奥様でございますね?まあ、美しい!」
太った中年の男性は人の良さそうな満面の笑みで私に歓迎の仕草を見せた。悪い気はしなかった。敵に罠を仕掛けられそうになったところで、ベルタの豪華な城に歓迎されたのだ。私たちは心からほっとした状況だった。
こうして、結婚三日目の夜は、リーデンマルク川沿いの大きな美しい城で過ごすことになった。月と星が輝く静かな夜だった。
大陸横断の旅は始まったばかりだ。