ルート変更
私は死に至った旅で見た、美しく大きな川を行き交う船を覚えている。橋があるけれども、流れが穏やかなところで船で向こう岸まで渡ることもできた。前回、渡し船に乗りながら遠くに見えたアーチを描く大きな橋を思い出しながら、私は馬車の中で考え込んでいた。川はリーデンマルク川だ。
私たちは、前回通りならばこれから追い剥ぎに遭うのだ。彼らはリーデンマルク川の手前の大きな森に潜んでいた。
――襲われても、おそらく今回も追い剥ぎには勝つわ。この道を避けると、大きな川を渡るのが1日遅れるでしょう。
前回は渡し船でリーデンマルク川を渡った。さっきまでは、今回は橋の上を渡るぐらいしかルートを変えられないと思っていた。
馬車はがたことと揺れながら進んでいて、私は膝の上に広げた地図をぼんやりと眺めていた。地図上のリーデンマルク川の流れを指で追う。橋を渡る地点に、私はペンで目印をつけた。そして、おそらく追い剥ぎが前回出てきた地点に目印をつけた。
――この川は長いわ。渡るのに船を使うのではなく、別の場所から物を運び込むのに船を使えるかもしれない。
私は何気なくリーデンマルク川の上流と下流を見つめていた。
――リーデンマルク川は山地を越える……待って……前回私は一つ目の山地と二つ目の山地の間の街ヴィエナヒトで襲われて死んだわ。
――山を越えるのではなく、リーデンマルク川で山地を迂回するとしたらどうかしら?そうすれば、前回と違うルートを辿ることができるわ……
もう一度追い剥ぎが出てくるであろう地点を見つめた。追い剥ぎをかわして、川の広い地点に出て、そこから船を使って移動したら?
――陸路ではなく水路を使って移動したら、待ち伏せる敵をかわせるかもしれない。
ここまで馬車に揺られて考えていた私は、ふと今朝の朝食の席での事を思い出した。
朝食の席で美しいレティシアが花が開花するような艶やかな笑顔を振り撒いて、ラファエルに話しかけていた。ラファエルとレティシアが大国ジークベインリードハルトの言葉で笑い合っているのを眺めているのは実に不愉快だった。けれども、私はラファエルが幼馴染に久しぶりに会ったのだからと思ってひたすら心が荒れ狂うのを我慢していた。
ファラエルは、美しいレティシアに私が嫉妬するとは全く思ってもいないようだ。
――そんなことがあるのかしら。よく分からないわ。私の嫉妬心が変なのかしら?幼馴染というものは、特別枠だとしても、結婚して三日目の私がとやかく考えるはずがないとラファエルは思ってしまっている。彼女は美しすぎるわ。そして明らかにラファエルを好いているわ。
間違いなく、レティシアはわざとやっている。彼女が時折私の方をチラッと見て、私の様子を伺っているのが私には分かっていた。
私は夫であるラファエルがレティシアと懐かしそうに大国の言葉で話し合っているのを横で聞きながら、腹立たしく思う自分が変なのかしらと惨めに思っていた。自分の心は本当につまらなく小さいものなのだと思い知った。けれども、二人を見ていると心がざわめいてしまうのを止められない。
「あなたの服のスタイルは相当古いわね。ジークベインリードハルトの腕の良い店を紹介しましょうか?」
「そんな。とんでもないです。私にはもったいないと思いますわ」
「ロザーラ、遠慮しないでいいよ。コンラート地方からはジークベインリードハルトは近い。取り寄せることはできる」
レティシアの言葉に私のドレスは見すぼらしいという棘が含めれていると思ったのは、どうやら私だけのようだ。ラファエルは、レティシアが親切心で良い仕立て屋を紹介しようとしてくれているのだと思ったようだ。
私は微笑んで「ありがとう。考えてみますわ」とだけ言った。
そして、朝食の席を「失礼します」と立った。出発の準備のためにさっさと部屋に上がった。レティシアとラファエルをその場に残して。
二人を残して去るのが嫌で嫌でたまらなかったけれども、二人の仲睦まじい様子を見ていると胸がチクチクと痛かったのでその場には居続けられなかった。
この朝食の時の会話を思い出してみて地図を眺めていると、ジークベインリードハルトまでリーデンマルク川がつながっていることに気づいた。
確かにレティシアの輝く美貌だけに目がいきがちになるが、彼女のドレスは素晴らしかった。見たこともない生地だ。あれは加工しているものだ。この国ではまだお目にかからないけれども、ジークベインリードハルトでは加工した生地でドレスを仕立てるのが流行っているということか。
――川にそのまま船に乗っていけば、ジークベインリードハルトまでたどりつくのね……
私は行ったこともない大国ジークベインリードハルトの事を馬車の中でぼんやり思った。その国への憧れは今まで感じたことはなかった。たまたま夫となった人が、その国の皇帝の孫だと言われるまでは、私の中ではいまいちピンとこない遠い国だったのだ。
リーデンマルク川の先はコンラート地方も通っていた。この川は名前を変えて姿を変えて、この先の大陸のいろんな街を通っている。
道端には紫色のクリスマスローズが風に揺れるさま見えた。つい先ほどまではピンクや白のマーガレットが可愛らしい花びらを揺らしていた。私は馬車の中からぼんやりとその光景を眺めていた。
私はまだ見ぬ辺境の地に思いを馳せながら、レティシアから流行遅れと言われた自分のドレスのことと、地図上のリーデンマルク川の流れを一緒に考えていた。
次の休憩で、ラファエルに乗馬をしながら、進む道について提案してみようと考えた。ファラエルさえ良ければ、今回はルートを変えてみるのだ。前回私が襲われた街を通らなければ、今回は、私が襲われる死を回避できるかもしれない。
――ルートを変える提案と一緒に、川を交易に使えるかもしれないという提案ができるわ。たとえばレティシアが着ていたような生地を運べたらどうなのかしら?もしも、辺境の地で加工できたら、隣の大国にも我が陛下の国にも運ぶのは川を使えるわ。原材料を川を使って運ぶこともできるわ。
「奥様、休憩でございますわ」
窓の外を見て、前方の騎士からの合図を見たジュリアが私に声をかけてきた。
「そうね。そろそろ休憩の時間だわね。あなたたちも一緒に外に出るといいわ。ここでは多分、可愛い野うさぎが見られるわよ」
「まあ、楽しみですわ。宿屋から持ってきた飲み物を皆さんに配りますわ」
「そうね。それは二人にお願いするわ。私は夫と少し話してくるわ」
私は侍女のジュリアとベアトリスに微笑むと、馬車から降りてラファエルの元へと歩いて行った。白馬のエリーを見つけて、騎士に声をかけてエリーの手綱を引いて歩き始めた。
道端にはノースポールの白い花が咲いていて、気持ちの良い日だった。青紫色の可憐なヤグルマギクもあちこちに咲いている。向こうから歩いてやってくるラファエルに、私は手を挙げて合図をした。夫は遠くから見ても一目で分かるほど背が高く、長い髪を後ろの束ねていて、堂々としたその姿はとても凛々しい。
私に気づいて微笑みかけてくれたラファエルに、私の心が一気に弾む。
私はエリーの手綱を引いてラファエルに歩み寄った。今朝の朝食の席では嫌な思いをしたが、あの美しいレティシアはここにはいない。
私だけを見つめてくれる夫に私は近づき、自分から抱きついて口付けをした。
「おっと……どうしたんだ?」
ラファエルは一瞬驚いた表情をしたが、頬を赤らめてどこか嬉しそうだ。
「旦那様に提案がございます。ちょっとだけ休憩の間、エリーで散歩しませんか?」
「ああ、気持ちの良い日差しだからな。いいだろう」
私はラファエルがそういうのを聞いて、エリーに二人で乗った。「少しだけそのあたりを歩いてくる」とラファエルが騎士に告げて、私たちはエリーに乗って騎士団から少し離れた。
騎士団が見える場所で、私とラファエルは岩の上に座ってエリーを木に繋いだ。実は最初の時もここで同じように二人で休憩したのだ。前回とは違う話を私はしようとしている。
「地図を見ていただけますか」
私は岩の上に座ったラファエルに地図を差し出した。
「リーデンマルク川の流れを見ると……」
私は地図の川の流れを説明して、陸路で山地を進むのではなく、水路で進む事を提案してみた。前回、私がが死に至った街を迂回したい。
「川は交易に使えます。今よりもっと積極的に使えば、コンラート地方に利益をもたらす可能性があるかもしれません。たとえば、レティシアの着ていたドレスの生地のような加工した生地の交易とか、他の物の交易、そうですね……香辛料等です。川を使えば馬を使わなくても運べるでしょう?」
私は黙って聞いているラファエルに続けた。
「試しに今回は水路で行ってみませんか。二つの山地を水路沿いに進んで領地を目指すのです」
「試すとしても皆のうち半分だけにしよう。陸路で馬を連れていく人も必要だから。ただ、どちらがどのくらい早いか確認したいから、試しても良いかもしれない。旅行のつもりで水路沿いの街に泊まるのも良い。冬が本格的にきたら、しばらく旅行は無理だから」
「レティシアには、私たちの進む道を話されました?」
「ああ、話したよ」
「仲がいいんですね」
「そうだ。とても仲が良かったんだ。私たちは昔は許嫁だったんだ。ただ、母がそれをやめさせて私は陛下の元に修行に送り込まれた」
私は黙って聞いていた。野に可憐な花びらを広げている青紫色のヤグルマギクに目を向けた。ため息が出た。
――ヤグルマギクの花言葉には「独身貴族」という意味もあったかしら?
――許嫁の約束を破棄されたレティシアはどう思ったのだろう?
私はレティシアが知っているルートではないルートで、リシェール伯爵の領地に進むべきだと本能的に思った。
「そうでしたか。彼女に偶然会えてとても良かったですわね」
「ああ、今日の再会にはとても驚いた」
この時、私は自分の選択が正しいのか分からなかった。もしかすると、感情的にレティシアを避けているのだけかもしれなかったけれども、レティシアが知っているルートではないルートで進むしかないと心の中では決断していた。
「旅行気分で水路沿いの街を巡って陸路と水路でどちらが早いか試すなんて、とても面白いですわ」
「そうだな。面白い」
私は自分の選択がどう転ぶか分からなかったけれども、この日、追い剥ぎは確実にかわせるルートを選んだのだ。
「あら、野うさぎと野じかですわっ!」
「本当だな」
私たちはただただ黙って野うさぎと野じかを眺めていた。それはとても穏やかな旅路の様相を呈していた。私の心の中は、生き残るための方法を必死で考えていたけれども、夫のラファエルにはそうは見えなかったと思う。
白いノースボールと青紫色のヤグルマギクの咲く野で、野うさぎと野じかは飛び跳ねるように幸せそうに日を浴びて駆け回っていた。
生き延びるために、陸路の旅はやめて川沿いの旅で進もう。