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皇帝の孫の花嫁は古代語で天敵を追い払う

 青紫色のクロッカスが大地を彩っている。真っ白い雪の中から大輪の黄色いクロッカスが力強く姿をあらわす頃は、コンラート地方のリシェール伯爵領に私はいて、そこで春の訪れを感じているのだろうか。今はそうなる気がした。良い予感だ。白い大輪の花を咲かせるクロッカスも見ることができるだろう。


 3つの街を抜けて馬車が進むうちに、私は陛下が用意してくれた2人の侍女の名前を知った。2人はベアトリスとジュリアという名で、私とそれほど年齢は変わらなかった。私の花嫁ドレスのお直しを担当していたうちの2人でもあった。


 大陸を横断する旅には体力が必要なので、若い2人に白羽の矢が当たったのだろう。2人とも洗濯もするし、お針子もできるし、ドレスを着ることを手伝うこともできた。


 一度目の旅の時とは付き添いの人選が変わっていて、前回はもう少し経験を積んだ年齢の離れた2人の侍女だったのに、今回は私と年齢の近い若い侍女に変わっていた。


 2人とも貧しい村の良いところの娘だったけれども、家の財政が厳しくなって宮殿に働きに出たということだった。


 ベアトリスは真っ赤な赤毛で、そばかすだらけの頬で私を恥ずかしそうに見つめておずおずと話す、とても大人しい若い女性だった。ジュリアは栗色の髪を持ち、すばしこくキビキビと動く、料理も得意な若い女性だった。


 彼女たちは私と一緒に大陸を横断する旅にでることに非常に緊張していた。ただ、2人とも乗馬も読み書きもある程度できたので、私は2人を頼もしく思った。前回の侍女は2人とも乗馬は出来なかった。前回同様に、3つ目の街の宿に泊まることが決まって、私は2人の洗濯を一緒に手伝った。


 最低限のものだけ洗って、夜のうちに暖炉の前に干しておくのだ。私は令嬢とは言え、没落した伯爵家の令嬢だったので、洗濯も自分でしていたのでこういったことは平気だった。


 私は宿の暖炉の前に絞った洗濯物を広げた後、ゆっくりとくつろいでいた。


「奥様、湯が湧いたとのことですわ。旦那様が奥様から先に入るようにとのことです」

「わかったわ。ありがとう」


 奥方から入るようにとラファエルから伝えられたジュリアが戻ってくると、私はジュリアとベアトリスに付き添われて湯が湧いている桶のところまで行った。衝立があり、そこでジュリアとベアトリスが見張っていてくれる。


「すぐに済ませるからそこで待っていてね」

「わかりました、奥様」


 私は旅の汚れを素早く落とし、すぐに湯から上がった。ラファエルも入るだろうし、侍女も騎士団の者たちも待っているのだ。


 私が湯から上がって、宿の階段を登ろうとしたとき、ラファエルがチラッと私を見つめて頬を赤らめて通り過ぎた。それを見て、私は胸が躍った。今日も一緒のベッドに入るのだと思うと、夫婦だから当たり前だとは言え、恥ずかしさと嬉しさに身が震える思いだった。私たちはまだ結ばれてはいない。


 ――美しい大きな川を越えて、2つの山地を超えた頃に結ばれる……


 私はラファエルの言葉を思い出して思わず赤面してしまった。前回と違って、ゆっくりと時間をかけて結ばれるのだ。


 私は無意識に後ろを振り返って、ラファエルが湯桶の方に消えるのを見届けた。


「これはこれは、お楽しみで」


 その時、小声でいやらしい声が聞こえたのを私は聞き逃さなかった。1回目も確かにここで誰かにそう言われた気がしたのだが、1回目は気にも留めずに私はこの宿屋の階段を急いで上がって部屋に戻ったのだ。


 ――この嫌味たらしい声……聞き覚えがあるわっ!


 私はハッとした。素早く声がした方に目を向けた。そこでは、目を疑う光景があった。あり得ない人物が、賑やかな騎士団の中に混ざってニヤニヤとした表情でお酒を飲んでいた。旅人のフリをしているが、私は決して彼を見間違えない。


 ――ジェラール!?なぜ彼がここにいるの?あの時、確かに騎士団に引っ捕らえられたのに……?


 私はゾッとして拳を握りしめた。


 ――彼は、もしかして二回目の私の死とも繋がっていたの?


 私の中で黒い疑心暗鬼の塊が湧き上がった。何もかもが信じられない思いだ。


「なぜ、あなたがここにいるのかしら?ひっとらえられたはずでは?」


 私は冷たい声でジェラールに聞いた。


「ふふっ。相変わらず、顔と体だけ良くて頭はおめでたいですねえ。この世で私の父の金が及ばないことはないんですよ。お金が無い生活をしてらしたからか、おめでたい没落令嬢はお金の力をあまりに軽視し過ぎているのでは無いのですかねえ。私の父は公爵ですし、この国では公爵のお金を使ってできないことはないんですよねぇ。あなたにこのことを分からせるために、もう一度売り飛ばしてさしあげますよ。その様子なら価値はまだ落ちてはいないようですから」



 冷たく唇を歪めて、ジェラールはせせら笑うように言った。私の体を薄気味悪い笑みを浮かべて見ている。もはやどこにも育ちの良さは見当たらない。すっかり生来のタチの悪さが人相の全面に出てきてしまっている。


 私の夫のラファエルが湯を浴びていてこの場に不在なのをいいことに、ジェラールが私に嫌がらせなのか本気なのか分からないことを言っている。あの時、一緒にジェラールをひっとらえてくれた騎士もたまたまこの場にいないようだ。


 私は怒りに身を震わせた。彼の薄汚い根性が露わになった、歪んだ顔を睨んだ。私の剣幕に周りの騎士団とベアトリスとジュリアが身構えたのが分かった。


 ――あぁ、これが彼の本当の顔なのね、それは残念ですこと。でも見くびってもらったら困るわ。私がどれだけあなたのような虫ケラを憎んでいるか、教えて差し上げるわ……


 私は金の力を使ってなんでもできるとせせら笑うジェラールが、どうしても許せなかった。彼のやったことは殺人未遂と誘拐と人身売買だろう。


「ダイデマガデゲオメイガウデガエンケルデカイザガ……!」



 私は馬車の中で復習と練習を繰り返してきた、ジークベインリードハルトの古代語を大声で毅然と話した。宿屋の1階の食堂でくつろぐ騎士団の皆々全てに聞こえるようによく通る声で、お腹の底から声を出して告げた。これは完全な命令だ。


 途端に、ガッと椅子を蹴飛ばすように何十人もの騎士が立ち上がり、私が指さすジェラールに向かって突進した。


「な……なんだよっ!」


 ジェラールは急に騎士たちに抑えつけられて、縄で縛り上げられて殴られた。ジェラールは一気にとてつもなく殺気だった騎士たちの様子に慌てふためいた。


「そんなにお金が大事だと言うなら、あなたのお父上のお金が遠く及ばない国に行かないと理解できないようですねえ。この世にはお金に勝るものがたくさんあるのよ。せいぜい大国の牢獄で生涯を終えるが良いわ。もう私にはあなたを救えませんわ。さようなら」


 私は青ざめているジェラールにそう言い放つと、宿屋の階段を毅然とした態度で振り返らずに登った。


 あとはラファエルの忠実な騎士達に任せよう。もしかするとジェラールの命は無いかもしれない。私は一度目の死と二度目の死を前にしたせいで、ジェラールに対する慈悲の心はあいにく持ち合わせていない。彼にとってこの事態は自業自得だ。


 私がジークベインリードハルトの古代語でジェラールを指さして言った言葉は、『その男は皇帝の孫の花嫁を殺しにきた男だ。捕らえて皇帝に突き出しなさいっ!牢屋に入れて出てこれないようにすべき』だった。


 皇帝の孫の妻を殺しにやって来たのは、二度目の死の時に私たちを急襲した敵だ。私は馬車の中でずっと練習していた言葉を使った。皇帝への忠誠心の前には、金はその存在が霞んでしまう存在だ。


 ラファエルが昨晩言ったのだ。ラファエルの部下の騎士の中には、大国からの志願してきた部下がいると。その意味は、二度目の死を目の当たりにした私には理解できる。彼らはジークベインリードハルトの皇帝の孫を守るためにラファエルに仕えている忠実な部下だ。


 陛下の国の公爵が、金の力で息子の悪行を野放しにするなら、私は隣国の皇帝の元に彼を突き出すしかない。ジークベインリードハルトにとっては、皇帝の孫の花嫁を殺めようとする輩は即座に抹殺されるべき存在だろうから。


 ――私は本気よ。何がなんでも生きてリシェール伯爵の領地に辿りつくわ。強くてカッコ良くて、領地の民に愛される領主である夫の姿をこの目で見るのよ。


 ――私の夫に危機を及ぼす者も私に危機を及ぼす者も、決して許すつもりはないわ。


 私は今晩の甘い夜のことなどすっかり忘れて、暖かく燃える暖炉の火を見つめながら心に誓ったのだ。


 雪の下から顔を出す大輪の黄色と白のクロッカスのさまを心の中で思い描いた。私はそれをコンラート地方の夫の領地で見るのだ。白い大輪の花が雪に混ざって姿をあらわすさまは特に嬉しさの込み上げる光景だ。春がやってくるのだと予感できる景色だ。


 白いクロッカスの花言葉は「切望」だ。私の今の心だ。


 

 





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