なんだこの森
行ってみたいと思っていたんです。
夏も半ばを過ぎた頃に、私の足取りがしっかりしてきたので、リードが私を森に連れて行きたいと言い出した。
父さんとリードは、一昨日また二人でアルベル村に行ってきた。そのときに、オラスに貰ったレートで私達の新居用の陶器の入れ物を何個か買ってきたみたいだ。金属製の蝶番は評判がいいらしい。リードはベースの収入になりそうだと言っていた。
でもどうして陶器の入れ物を買うことを優先させたんだろうと不思議に思ったが、どうも醤油と味噌を入れる為だったようだ。ずっと洋風の料理が続いているので、和食を食べたいのだろう。そう言えば社長が出席する会食は割烹料理屋を予約して欲しいと言われることが多かった。座敷で落ち着いて商談がしたいのかと思っていたけれど、ただ和食が好きだっただけなのかもしれない。
「行ってらっしゃいな。砂糖と塩も無くなりかけているからついでに採って来てくれる?果物もお願いね。」
母さんがそう言ってくれたので、私も父さんやリードと一緒に森へ出かけることになった。しかし砂糖や塩も森にあるなんて・・・。本当に通称の通り「ナンダコノモリ」だよね。
父さんが蔦と竹を使って私にも背負い籠を作ってくれた。
私たちは母さんにサンドイッチを作ってもらって、それを籠の中に入れて森の奥へ向かって出発した。
家の側の林を入って何百メートルか歩いたところに、父さんの作業小屋があった。少しだけ開けた土地に丸太をくんで建てられた小さな建物だ。父さんはそこに入って行って、剪定バサミと手の平ぐらいの大きさの鋸刃のナイフを持って出て来た。
「これがあると砂糖や塩、果物を採るのに便利だからね。」
果物はわかるが、砂糖や塩はどのようにして採るのだろう。サトウキビが生えていたり岩塩の塩場があったりするんだろうか。
父さんの作業小屋から一時間ほど歩き続けたところに「ナンダコノモリ」はあった。不思議なことにその森一帯だけが、他の木々とは離れた空間にポツンとある。森の手前は何百メートルも草原になっているのだ。
普通の森の中よりも日差しが明るくなったような感じがする豊穣の森の入り口から、しばらく森の中心に向かって歩いて行くと、一際陽の光が降り注ぐ広い原っぱがあった。そこの真ん中に見上げるように大きく、そして屋根のように周り中に枝を広げた木が存在感を持って立っていた。今まで見て来た他の木とは違って、枝にたくさんの果物や木の実が生っている。私は驚きで立ち止まったままその大きな木を眺める。なんとリンゴもみかんも栗さえも同じひとつの木に生っている。・・・これはもしかして魔法の木なんだろうか?
「ここが森の中心だ。でも先に砂糖と塩を取りに行こう。」
父さんについてそこよりもまだ北側の奥の方へ入っていくと、一人の女の人が梯子に上ってホウズキのような実を採っていた。
「ガブリン、せいが出るね。」
「あらダンテ、お久しぶり。その子たちは噂のお子さんたちね。どーも、この間はキャンディーを買ってくれてありがとう。」
そう言われて気がついた。以前、アルベル村の市場で「魔女ガブリンのお菓子の店」をやっていたおばさんだ。
「「こんにちは。」」
「はい。こんにちは。ホリーとリードだったかしら。私は魔女のガブリンよ。お菓子の家でお菓子を作っているの。一度、遊びにお出でなさいな。特別に美味しいお菓子をご馳走するわよ。」
「ありがとうございます。ぜひお邪魔したいですっ!」
「・・ホリー。」
「だってリード、お菓子の家よっ。小さい頃から一度見てみたかったのっ。」
「まぁ、ホリー。話のわかる子は大好きよ。本当に来てね。場所はダンテもエラも知ってるから。」
「はいっ!」
リードに手を掴まれて、父さんのいる方に引っ張って行かれた。
「きみがそんなに甘党とは知らなかったよ。」
「ふふっ、甘いものは大好きですっ。日本ではダイエットに気を遣わなくちゃいけませんでしたが、ホリーの身体はやせっぽっちなので気を遣う必要がないから楽ですわ。」
「日本でもそんなに気にしなくても良かったんじゃないか?スタイルは良かっただろう。」
「男の人はこれだから・・。女性には何百グラムの体重の増加が気になるものなんです。」
「へぇー。」
父さんもガブリンさんが採っているものと同じようなホウズキの実を採っている。
「父さん、これはなんの実なの?」
「これが砂糖だよ。白っぽいのが白砂糖、茶色のものが黒砂糖だ。皮が破れないように採るんだぞ。砂糖がこぼれてアリがやって来るからな。よく見ると熟して落ちた実が割れて、大きな山アリが群がっていた。
剪定バサミが二つしかなかったので、私はリードが採った実を籠に入れるのを手伝った。
「ホリー、うちにも剪定バサミがいるね。今度アルベル村に行った時に買ってくるよ。」
リードは来年の独立を見据えていろいろ考えているようだ。見た目は子どもでも計画性のある所は変わらないな。
砂糖が必要なだけ採れたので、今度は近くにあった塩の実を採る。岩塩を砕くのかと思っていたら違っていた。かたい殻に包まれたピスタチオのような実が塩の実だそうだ。この実は枝の両側に鈴なりのように生っていたので、私でも採ることが出来た。枝の下に籠を置いてぱらぱらと落としていくだけで良かった。
砂糖と塩が確保できたので、私たちは様々な果物が生っていた魔法の木のところまで帰って来た。父さんは、果物の重みで枝がしなっている所を鋸歯のナイフで枝ごと切り落とした。そうしてその枝から生っている果物や木の実を採っていく。
「こうして剪定してやると、また新しい枝が伸びて来てそこに果物が生るんだ。」
なるほどね。この木独特の採り方のようだ。
私たちはこの魔法の木の下に座ってお昼のサンドイッチを食べた。デザートの果物は木に生っていたものをもいで食べる。私と父さんはバナナ、リードはみかんを食べた。小学校の頃の遠足を思い出して楽しい。私が周りを見回して一人でにこにこしていると、リードに「ホリーを連れて来てよかったな。この森を見せたかったんだ。」と言われた。本当に連れて来てもらって良かった。こんな経験はなかなかできるものじゃない。
道を見失わないように、この大きな木を中心に必要なものを探しに行くらしい。今日は、リードの希望の調味料がある西側の木の洞がある場所に行ってから帰ることになる。
「今日は醤油も持って帰りたいな。」
「リードはどんな料理が食べたいの?」
「まずは野菜の煮物を作って欲しい。野菜は何でもいいから。」
「んー・・・そうするとみりんもいるわね。ここにあるかしら?」
すると先を歩いていた父さんが、「みりんというものはどんなものだ?」と聞いてきたので、甘いお酒みたいな物だと説明すると、心当たりがあったみたいでそれがある場所に連れて行ってくれた。
リードが以前言っていたように、本当に木の洞の中に液体が溜まっている。琥珀色の液体を舐めてみると、確かにこれはみりんだった。リードがみりんを蓋の付いた陶器の筒にいれている時に、どこからか香ばしいうま味のある匂いが漂ってきた。もしかしてとその匂いのする木に近づいてみるとそれは鰹節で出来た木だった。
「リードっ。これで出汁がとれるよっ。ここに鰹節があるっ!」
私が興奮して叫ぶと、リードは怪訝そうにやって来る。
「出汁は鰹節でとるの?鰹節は上にかけてあるのしか見たことなかった。」
・・・ほうれん草のおひたしのことね。この人はどんな環境で育って来たのだろう。たぶん小さい頃から目の前に出されたものを食べるだけで、料理を作る事を一度も考えたことがないに違いない。
醤油と味噌も採って、周りを見ると立ち並ぶ木の洞からいろんな匂いがしてくる。
ここには世界中の調味料があるかもしれないなと嬉しくなった。またここに連れて来てもらおう。忙しくて今までやってみようと思いながら挑戦してこなかった料理をいろいろ試してみることができそうだ。
背負い籠の中は重たくなったが、これからの料理のことを考えて、うきうきと豊穣の森を後にした。
途中で父さんがガブリンの家に続くわき道を教えてくれた。
「ガブリンの家に行くんなら、ホリーひとりだけで行ったほうがいいな。独身の男は魔女の家にいくと食べられちゃうからな。」
父さんは笑ってそう言ったが、リードは身体を強張らせていた。後でリードに聞くと、自分を見る目にぞくっとする寒いものを感じたらしい。どうりで私がガブリンと話をしているのに父さんのところに引っ張って行こうとしたはずだ。
父さんによると、18歳になっても結婚できなかった女の人が魔女と呼ばれるようになるらしい。男の人の場合は魔法使いだそうだ。
「ガブリンは明るい魔女だから友達になってもいいさ。アルベル村には暗い魔女はいないからな。」
・・・ということは、他の村には暗い魔女がいるってことね。暗い魔女は・・・怖いのかしら?
目の前にチラッと三人の影が通り過ぎた。
森の木立の影を見間違えたのかもしれない。けれどなぜだか胸がドキドキし始めた。
暗い魔女?それとも・・・。