驚きの話
三日目です。
翌朝、父さんは朝早く出かけて行った。
初めて父さんの速足の魔法を見た。オリンピックのマラソン選手のトップスピードぐらいの速さを一日中維持して走れるらしい。
「今日は手紙の配達だけじゃなくて、途中のルクト村の村長さんからライヘンの町の役人さんに届ける荷物もあるって言ってたわ。だからいつもより遅くなるでしょうね。夕食は温めて食べられるスープにしましょう。今日焼いたパンで美味しく食べられるでしょ。」
「そうね。母さん。」
私が返事をすると、母さんはいたずらっぽく笑った。
「だいぶ父さんと母さんの呼びかけが上手くなったじゃない。18歳になるまではここにいてね。ここでは18になったら大人なの。大抵は結婚して家を出て行くわ。ホリーもこの冬のパーティーで結婚相手を決めなくちゃね。」
えっ、そんな習慣があるの?!
「18を過ぎてもここにいたいんだけど・・・。」
「この間までなら、そうしていいわと言っていたでしょうけどね。みんながそうやって我儘を言ったらこの国に子どもがいなくなっちゃうでしょ。それに家の仕事をしてくれる奥さんを求めている男の人も困ってしまう。父さんと母さんもいつまでも生きている訳じゃないんだから、あなたも外仕事をしてくれる旦那さんを持つべきよ。」
・・・ここでは日本風の恋愛結婚なんてないのかもしれない。生きていくための労働協力体制のための結婚なんだね。
29歳になっても結婚できなかったんだから、こうやって決めてもらえるのもある意味いいのかもしれない。でも相手が変な人だったらやだなぁ・・・。
母さんと一緒に小川の水場で洗濯をする。水が冷たくて気持ちがいい。洗い物用の石鹸は壺の中に入った茶色のゼリー状のものだった。洗濯板は波状のものではなくただの板だ。今までは洗濯機に放り込むことしかしていなかったので、母さんの手馴れた洗い方を観察して参考にしながら、板の端っこで小さいものを洗わせてもらった。これは結構な重労働だ。動きなれていないホリーの身体だとすぐに腰が痛くなった。
でも、裏のもの干しに洗濯物を干して、それが風にはためくのを見ていると大きな仕事を成し遂げた後の充足感と同じような誇らしさを感じた。
「ホリーが手伝ってくれると助かるわね。さぁ、次はパンを作りましょう。・・・パンは作ったことがあるの?」
「いえ。普段はパン屋さんで買っていたので作ったことはありません。」
「そう。パンを売る店があるのね。家にパンがあるのにどうして買いに行くのかしら?」
これには答えようがなかった。
「お嫁に行く時にはうちのパン種をあげるからね。」
酵母菌はそれぞれの家に代々伝わって来たものだそうだ。壺に入っている酵母菌の育て方も教わった。
そして驚いたのがエラがパンの生地をこねるやり方だ。職人芸としか言いようがない。こうしてみると主婦というものは何種類もの技術を持つエキスパートなんだなということがよくわかる。こういう世界だと、その主婦の技術差が一つ一つの家庭の質の差になるんだろう。日本だとどれだけお金を稼ぐことができるかということが生活の質を決めていたけれど・・。考え方を改めなければならないようだ。
パン生地の発酵を待つ間に、ベッドを整えたり掃除をしたりする。無駄な時間は一つもない。
二度目の発酵の後でパン生地に触ると、柔らかでしっとりとした感触で触っているだけで幸せを感じた。
最初に日持ちのする堅めのパンを焼いて、後から今日と明日に食べる柔らかめのふわっとしたパンを焼いた。オーブンはないので、石と土で塗り固められた窯を使って焼く。
これを見て、私は石窯ピザを作りたくなった。母さんに聞くと、自家製のチーズがあるというので用意してもらう。夜用に煮込んでいたスープをベースにして完熟トマトと砂糖、塩、ハーブを入れてトマトソースを作る。平たく伸ばしたパン生地にフォークで全体に穴をあけて、ベースのソースを塗り、玉ねぎのスライスと畑から採って来たばかりのピーマン、ベーコンの細切れを散らして乗せる。その上にチーズを散らして、パンを焼く側に入れてもらった。
チーズの焦げたいい匂いがして来たら完成だ。これには母さんもびっくりした。
「パンは作ったことがないって言わなかった?」
「これはピザって言うんです。作り方はテレビで観たことがあったのでやってみました。」
「テレビ?」
「うーんと、情報を写す箱って言ったらいいのかな?」
「ああ、水晶玉のようなものなのね。・・するとあなたは遠見の魔法が使えたのかしら?」
「・・・魔法ではなかったんですけど。どう言ったらいいんだろう・・。」
「ホリーはね・・・以前のホリーってことだけど、予知魔法が使えたの。うちに先読みを頼みに来る人もいたわ。だからあなたもそれが使えるかも知れないわね。たいてい人は一つの魔法の力をメガン様から与えられるものだからね。」
一人に一つ?・・・だったら昨日使った日本語魔法って何なんだろう??
昼食には作ったピザとサラダを食べた。母さんはピザ料理をとても気に入ったようだった。
「これからはパンを焼く時の昼食はこれにしましょう。父さんにも食べさせてあげたかったわね。」
「ええ。やっぱり石窯で焼くと香ばしさが違いますね。のせている野菜も採れたてで甘みがあって、贅沢な気分です。」
「まあ、あなたは貧しい暮らしをしてたのね。」
「・・・・・。」
家で簡単に出来るものを、長時間労働で身をすり減らして稼いだお金をたくさん払って、わざわざ店に行列してまでしてありがたがって食べてたんだからおかしな話ではあるんだよな。
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午後は遊びに行ってもいいと母さんに言われたので、気になっていた草原のお花畑に行ってみることにした。母さんに借りた麦わら帽子を被って歩いていると、いつか読んだ物語の中の少女になった気分だ。中身が29歳の私としては少々照れるが、ホリーは17歳だ。時たまスキップしても許されるだろう。
青い花はロベリアの群生だった。宝石をちりばめたみたいに咲いている。このロベリアの花をいつもおばあちゃんが庭の入り口に咲かせてたな。鮮やかな青が人目を引いていたっけ。
そんなことを考えてると、肩に何かがとまった。
「今年はミルクを置いてくれてないじゃないっ。」
小さなささやき声なのによく聞こえる。・・・もしかして妖精?
「・・・リプン?」
「ええ。別にいらないんだけどね。ただ、いつもあったのに変だなと思っただけよ。」
「ごめんね。私、ホリーの記憶がなくなっちゃって。ミルクを置いていたのね。」
「部屋の窓辺にね。」
ふふ、いらないんだけど・・・いるのね。
「わかった。リプンは夏だけやってくるの?」
「そんなことも忘れちゃったのね。決まってるじゃない。『花の蜜と朝露と舞い踊る光が妖精のしるし』でしょ。昔からの言い伝え。」
「へぇー、素敵な言葉ね。」
「言葉には魂が宿るのよ。それがこの世に生きているものを創ってるの。」
・・・言葉・・魔法も関係しているのかしら。
リプンが案内してくれた草原と林は美しかった。ここからずっと奥の森の中には妖精たちが集まる泉があるそうだ。人間は入れないそうだけど・・・。
リプンと別れて、外に干してあった乾いた洗濯物を持って、家に帰った。
母さんは四角い布に刺繍をしている。洗濯ものを畳んでいると、母さんに呼ばれた。
「ホリーは刺繍をやったことがある?」
「うーん。小さい頃に一度だけ。このステッチとこれはなんとなく覚えてる・・かな?」
「ふふっ、じゃあ最初の花柄の練習からね。」
母さんに教えてもらって、ふきん用に縫ってある四角い布に基本の小花の刺繍をしていく。こうやって小さい頃から作りためたものをお嫁に行く時に持って行くそうだ。私の場合、今まで何もしてきていないので、これから頑張らなくてはならないらしい。
「この布や糸は村で買ってくるの?」
「ええ、交換レートでね。」
「交換レートってなに?」
「それぞれが持っている魔法が違うでしょ。だから違う魔法を持っている人が集まって一つの村を作っているの。布を織る魔法の使える人の所で1レートを使う。でも他の人が私の所で癒しをもらって2レート払ってくれてたら、母さんは残りの1レートを持って豚を育てる魔法を持っている人の所に行って、ベーコンを1レート分買えるっていうわけ。」
わー、完全な物々交換の世界だ。でも癒しが2レートっていうことは、癒しの魔法を使える人が少ないのかもしれない。いや、そんなに度々癒しを必要としない世界なのかな。
「ということは、レートを国が管理していないんだね。」
「そうよ。レートはその年の村長さんが用意するの。国のことを決めるのは今年はライヘンの町の役割だからね。だから父さんも今年はライヘンに荷物を持って行くことが多いのよ。」
「今年って、・・・毎年役人が変わるっていうこと?」
「もちろん。一つの町ばかりが負担してたら大変じゃない。みんなそれぞれ仕事があるんだから・・。東のライヘン、北のノスル、西のトラント、南のサウゼ、この4つの町が毎年交代で国の仕事をしてくれてるの。その4つの町に囲まれて40の村がある。私達のアルベル村はライヘンの町に近いから、今年は父さんも忙しいのよ。あちこちから手紙が集まって来るからね。」
「それじゃあ王様もいないんだね。」
「オウサマ?何の仕事をする人なの?」
「・・・・・・。」
征服、略奪の世界じゃなくて協力、相互扶助の世界なんだね。びっくりだ。
**********
夜遅くに父さんが帰って来たのだが、父さんは一人ではなかった。背中に小学生ぐらいの男の子を背負っている。
「まあダンテ、どうしたの? その子は誰?」
・・・・その子の髪の毛は私と同じ銀色をしている。
「それが・・ルクト村の村長に頼まれたんだ。同じ色の髪をしている子がいるんなら一緒に育てて欲しいってな。」
「まぁ・・・。」
三人が私の方を見る。
「なにか事情があるんですか?」
「ああ、この子は言葉が喋れなかったはずなのに、一昨日から急に異国の言葉を話し始めたそうなんだよ。するとおかしな魔法が発動し始めて、村中が大混乱になったらしい。この子の親は父親が去年亡くなって、母親も身体を壊しているそうで、面倒をみれる人間がいないんだ。それで昨日から村長が預かっていたということだ。」
もしかして、私と同じような身の上なのかしら・・・ということは。
「【シャチョウ、セザキ・・サン ナンデスカ?】」
そう聞くと、男の子は目を見開いて私を見た。
【・・モシカシテ カンザキクン ナノカ?!】
やれやれ、何という事だろう。瀬崎商事の御曹司が、それも36歳の男盛りだったイケメン社長が、寄る辺のない小学生の男の子になっているなんて・・・・・。
父さんと母さんが、突然おかしな言葉を話し出した私たち二人をみて驚いている。・・・母さんはいいと言ったけれどこれは説明しないといけないよね。私は社長に喋らないように言っておいて、ダンテとエラに私が思っていることを説明した。
転移か転生かは知らないけれど、私たち二人が異世界に来ているということ。そして、元の世界の言葉で願い事を言うと魔法が発動するらしいということ。どうもその現象が一昨日の雷が原因ではないかと思っているということなどだ。
「まぁー、初めて聞いたわっ。そんな話。」
「ああ。しかしホリーがいう通りなら、お前たち二人が結婚してうちの側に住んだ方がいいな。町や村の中心地で多くの人たちを混乱させては不味いだろう。ここはまだ広々してるから、少々の魔法の発動だったら大丈夫だろう。」
ベッドがないということで・・・・社長と一緒に寝ることになってしまった。この状態を元の会社の人間が聞いたらなんて言うだろう。お堅くて眼鏡お局と言われていた社長秘書が、飛ぶ鳥を落とす勢いのイケメン若手社長とベッドインしているなんて・・・。しかし、このやせ細った身体の17歳の娘と小学生の男の子では何かあろうはずもないけど・・。
想像したら笑ってしまった。
【ナニヲ ワラッテ イルンダ。チットモ オモシロク ナイゾ。】
「【ネンワヲ シタイ。】」
夜も更けて来たので、隣の両親に迷惑にならないように念話で話すことにする。
(社長、なんとかこの世界に馴染む方努力をしたほうがいいですよ。)
(君は、いやに馴染んでいるように見えるな。)
(・・女の方が変化には強いですからね。)
(言葉が通じないんだ。ここの言葉も何を話しているのかさっぱりわからない。)
(この身体の男の子に理解しようとする能力が欠けていたのかもしれませんね。)
(そうなんだろうな。・・言葉を教えてくれるか?発声は出来るようだから、覚えたら話せるだろう。)
(わかりました。ふふっ、社長に教えられるなんて、こんな機会は見逃せませんね。)
(その社長はやめてくれ。ここに馴染むのならここの名前でやっていこう。この子は「リード」と呼ばれていたようだ。何回も呼ばれたのでこれが名前なんだと思う。)
(私は「ホリー」です。17歳だそうです。)
(私は何歳かわからない。連れて来てくれた男に聞いてくれ。「ホリー」これでいいのか?)
(さすが、しゃ・・リード。お上手です。私の父さんは「ダンテ」、母さんは「エラ」です。)
「ダ・ンテ、エラ、ホリー。」
「はい。」(はい。)
「はい。」(いいぞー。これで基本単語を覚えられるな。)
・・・成功する人の努力は違うんだね。私は眠たくなるまで社長、いやリードの発音練習に付き合わされた。
・・・二人とも、頑張って。