第二章(3)
「分かるよ。――あたしもそうだった。当時、熱にうなされながら隔離病棟に運ばれて、これはもうダメだと思ったね。これでも昔は看護師をやってたんだ。だからこそ、よくわかった。これは、ダメだと」
菊花さんも、そうだったのか。
初めて、出会った。ボクと同じ境遇の人に。
この人になら、もしかしたら。
「で、だ。辛い話の先の話だ。『大災害』で罹患したやつは大体死んだ。だが、奇跡的に、理由は未だに解明されていないが、生き残ったやつらがいたのさ。あたしらみたいに、な。――少し、昔話をしよう」
菊花さんがボクの隣、横に移動してきた。
二人でベッドに並んで腰掛ける形になる。
今の菊花さんからは、あの冷たい感じはなくなっていた。
「『大災害』はほどなく鎮火した。罹患したやつらは、死んだからだ。数少ない生き残りは、行方を眩ませた。保菌したまま生きていると思われ、撲殺される事件が起きたからだ。そんなことがあったんじゃ、おちおち寝てもいられやしない」
菊花さんは、視線をあげてどこか遠くを見ているようだった。
遠い、記憶を。それを見ていたボクも、気づけばそれを追っていた。
「あたしも、生き残ったはいいけど親と妹を『大災害』に持っていかれた。天涯孤独ってやつだな。身体が動くようになってからは、全国を回ったよ。なにを支えに生きていいかもわからなかったし、けど留まる理由もなかったし」
菊花さんの言っていることは、とてもよくわかる。ボクも、そうだった。
「参ったのは、人がいねーことだな。なんせ人口が一気に減ったからな。当時話題になってたエネルギー問題は解決したさ。使う人間の数が減ったんだから。けど、施設で働ける人間も減ったもんだから、ガソリンも電気も供給されてはいるものの入手が難しくなった。加えて、感染隔離の関係で都市間の出入りも厳重になっていやがった。農村に残ってた爺さんたちには世話になったよホント」
しみじみと語る菊花さんの横顔には、どこか緩い笑みが浮かんでいた。
「でさ、そういう農村やら過疎化がより進んだ住宅街も大変だったのさ。『大災害』で親類亡くしたやつらや元々タチの悪かったやつらが、空き巣を働いていてね。とりあえず端からのして歩いたもんだよ」
懐かしいものを思い出すように、うんうんと頷きながら話す菊花さんを見て、やっぱりこの人はアブナイヒトだと思った。
ヤンキーだ。そう思った時にこちらを急に見てきたものだから、心の声が漏れていたかと少し冷や汗をかいた。しかしやはりボクの声は漏れていなかったのか、菊花さんは変わらぬ調子で話を続けてきた。
「でだ。ある日、ここの噂を耳にしたんだ。『悪徳の街サド』と呼ばれる区域があるってね。元々大規模な隔離地域だったものが、今じゃ流れ者の掃き溜めになってるってな。各地で人の醜いところと一緒に、人の親切ってやつにも触れたおかげか、元々看護師目指してたせいか、なにかできることがそこにあるんじゃないか、って、そう思ったんだ」
……この人は、不思議だ。凶暴さを隠さないくせに、穏やかさが同居している。
「なくしちまったものを探すため、って理由でサドの街に来てるやつは多かった。その中の一人に、ここのカジノのオーナーがいた。ちょっとした縁でな、知り合うことになった。今回のあんたと同じような状況だった」
菊花さんは思い出し笑い、それも苦笑の笑みの方を浮かべている。
「くだらないイカサマ師さ。一目で解ったよ。『大災害』の後遺症と言うか、変異とでも言うか。状況的に嘘ついてるやつがいるかどうかってのなら、あたしにはすぐ解るんだ。そいつをオーナーに教えてやったら感謝されてね。今じゃ、この街にいられるよう色々斡旋してもらってるってわけだ」
菊花さんもやっぱり、『大災害』以降なにか他人とは違うものが知覚できるようになったのか。
「で、そうそう。やっと話が戻せた。あんただ。あんたの場合はイカサマはしていなかった。なのに、おかしな勝ち方をしていた。……な、話しちゃくれないか? あんたの視えてる景色ってやつを」
菊花さんはこっちを見つめている。とても真摯な目だ。
この人になら、話してもいいのかもしれない。いや、話したい。聞いてもらいたい。
ボクは、無闇に言ってはいけないよと宝田さんに言われていたことを菊花さんに話すことにした。ボクに、『大災害』以降に感じるようになった『熱』の話を。
最初はなんなのかわからなかった。
季節やエアコンの具合にかかわらず、時折急な熱さや冷たさを感じるようになった。
周りに話した時は、人の身体のホメオスタシスだかなんだかで、たまに体温が上がったり下がったりしているだけだよと言われたりした。
でも、なんだか違うと言い続けていたら、周りからは変な目で見られるようになっていったんだ。ボクも、あの『大災害』で家族を失っていたから、身請けをしてくれた施設では立場がなくて。
でも、たしかに感じるんだ。
なんて言えばいいんだろう。場の優劣、とでも言えばいいのだろうか。
大丈夫そうなものには温かい熱を感じて、ダメそうなものには冷たさを感じるんだ。
顕著なのになると全身で感じるけれど、局所的なものだと手をかざすとより感じられるみたいで。
……やっぱり、これって変ですよね。
「なに、変な話じゃないさ。いや、変な話なんだが。あんたとは違うが、全国を回っている時に何人か会ったよ。普通の人間とは違ったものを『大災害』以降に感じられるようになったやつってのに。『音に匂いを感じる』とかいう変わったやつもいたさ。そいつに比べれば、まだ想像の範囲内だよ」
音に、匂いを?なんだろうか。よくわからないけど大変そうだ。
「ああ。大変みたいでな、実際そいつと会ったのは山ん中だ。街は頭が痛くなるから自然環境下が一番マトモに過ごせるから、だと。おっと、話の腰を折っちまったな」
そんなことはない。ボクだけじゃなかったのかと、少し、安心した。
「……なるほどな。『熱』を感じる、ねぇ。だからカードの表が見えなくてもダブルアップに勝てたのか。ありがとよ、話してくれて」
合点がいったのか、頷く菊花さん。
ボクは彼女に、気になっていたことを思い切って訊いた。
「あん? 怒らないのかって? いや、別に。そいつは自分の力だろう? それを使って勝負事に挑んで、それでいて別にルール違反じゃない。なにも悪くはないさ、怒りはしないよ。カジノ側には同情するがね」
そう言うと、菊花さんは快活そうに笑った。
ボクが気にしていたことを、笑い飛ばしてくれる。
この人は、すごいや。
「ただ、まだ気になることはある。どうしてあんたはこの街になんか一人で来たんだ?なんで『エルドラド』とやらから逃げ出したんだ?」
それは。さすがに、言いづらい。
なんでも話したい衝動にも駆られるけれど、でも、この人には落胆されたくない。
そう思えてしまって、つい口をつぐんでしまう。
「……んー、分かった。オーケイ、言いたくないことまでは訊かないよ。一番大事であろう、自分の力の話までしてくれたんだ。蹴りを入れた詫びと、同じ『大災害』の生き残りのよしみだ、あたしが色々この街で過ごしていくレクチャーくらいはしてやるよ。いつまでいるかは、好きにしな」
この人は、勝手だ。勝手に話をつけて、勝手に行動する。
今も、もう立ち上がって玄関の方に移動している。
「街の案内がてら、飯でも食いにいこう。足を回してくる。少ししたら降りてきな」
でもその勝手さに振り回されることに対して。
悪くないなと、ボクは思えた。