第二章(2)
「あんた、何か見えているだろう?――いや、感じているのか?」
彼女の声質がどういうものなのかという疑問は頭から吹き飛んだ。
体が勝手に強張る。
「ほら、ポーカーをやっている時さ。手をかざしていたろう? はたから見たらオカルトのおまじないレベルかもしれないが、あたしの目は誤魔化せないよ」
彼女がこちらに向かって1歩、2歩と間合いを詰めてくる。
気づけば無意識に彼女から逃げるようにボクもまた1歩、2歩と下がっていた。
そして、唐突にかかとに衝撃を覚え、体が一瞬浮いた。
振り向くと、そこは部屋の隅のベッドの上で、どうやら縁につまずいたようだった。
……冷たさはまだ感じたままだ。この冷たさは、ボクの不利を意味している。
こわごわと前を向くと、菊花さんの烏の濡れ羽色のようなスカートが目の前にあった。逆光と部屋の暗さで色は本来のものよりくすんで見えるが、多重に折の入ったそれは煌びやかさを感じた。
「おう、大丈夫か? それと、人と話をする時はスカートじゃあなく目を見なきゃな」
そう言うと、菊花さんはボクの頭に手を置いて、ストンとしゃがみこんできた。
目線が同じ高さになる。
……これ、スカートに隠れているけど、電子書籍で読んだことのある漫画に載ってたヤンキー座りってやつでは。
「話の続きだ。おまえさん、他の人とは違うモノの捉え方が『できる』だろ?」
ボクは肯定も否定もせずに、つい押し黙っていた。
そのことは無闇に人に話していけないと、あの人に言われてきていたからだ。
言えば、無用のトラブルを招くと言い含められていた。だから黙っていたが。
「そうか、なら他の答え合わせからしていくか。みちる、あんた2020年の『大災害』の生き残りじゃあないのか」
――その単語を聞いたのは久しぶりだ。
先ほどまでとは別の意味で寒気がしてきた。嫌な記憶が、勝手によみがえってくる。
「年齢的にあの頃にはもう生まれていたのは間違いないだろうが、あたしの言う生き残りってのは感染しなかった、という意味じゃあない。感染して、なおかつ生き残ったろ?って意味だ。どうだ、違うか?」
――2020年8月末。世界的なスポーツの祭典が日本で行われた。
そのイベント自体は成功を収めたが、その興奮冷めやらぬ中、裏で一つの悪夢がその芽を育てていた。
観光客経由で海外から持ち込まれたウィルスの突然変異。
SARS、MERSに次ぐ第三の新種のコロナウィルスであり、それがよりにもよって全世界の人間が集うタイミングの首都で感染拡大したのだ。そう、聞いている。
「わかりやすい反応だね。『大災害』って単語を聞いて反応しないやつは今のご時世いやしないが、感染して生き残っただなんて奇跡的な症例を出されて敏感に反応するやつもそうそういない。――あの時は、災難だったな」
――感染経路は、爆発的流行を促すに十分な、空気感染。
突然変異種な上に海外産ときて、当初はワクチンなんかあるはずもなく、大流行……いわゆるパンデミックと化した。
「大勢が死んだ。知ってるか? 鎮静化後のWHOの発表によると、パンデミックはそのまま世界中に広がり、世界人口は5分の1にまで減ったらしい。感染症状は急な高熱から始まり、悪寒、意識混濁が起き、重度の肺炎を引き起こす。ワクチンもなく、あまりの進行スピードに子供や老人だけでなく若者もバタバタと死んでいった。あれは、苦しかったよなぁ」
――あれは、とても苦しかった。
幼い記憶ながらそれだけは明確に覚えている。
ボクだけじゃなく、ボクを看病していてくれた家族も、きっと苦しかったはずだ。
忘れられるようなものじゃない。
そして、その苦しみは、罹った者にしかわからない。
……わからないはずなのに、菊花さんは、なんと言った?