第三章(1)
〜第3章〜
グルグルと回る洗濯物を、椅子に腰掛けながら眺めている。
キシン荘には各部屋にユニットバスはあるが洗濯機はない。
別途、洗濯機数台を並べているスペースが1階の奥にあるのだ。
菊花さん曰く、「合宿所みたいでいいだろ?」とのことだが、ボクにはよくわからない。けれど、ぼぅっとできるこの空間は嫌いじゃない。
この街にやってきて、今日で五日目だ。
キシン荘の人はちょっと変わっているけど悪い人はいないようで、ここのところはつつがなく過ぎていった。
仕事に関しても、お言葉に甘えてジョージさんのところに顔を出したら倉庫整理の仕事をくれた。
段ボールや木箱で運ばれてくる荷物の外側に貼られた伝票と、受け取り予定のリストに書かれた内容が一致するかを見る仕事で、時間はかかったが難しい仕事ではなかった。それでもジョージさんは「誰かがやってくれると助かる仕事だ。ありがとうよ」と給金をくれた。
人の頼みで体を動かす作業をして、直接お金をもらう。
ボクの人生で、初めてのことだった。
港への行き帰りは、セポ姐さんに頼まれたと礼二さんが送り迎えをしてくれた。
ただ、ボクは人見知りをしていて、礼二さんはおしゃべりをするような性格ではないらしく、静かなものであった。
それでも、礼二さんはまだ普通の人だと思った。
朝と夕方。行き合うおじいさんは、やっぱり犬のリールだけ持って散歩に行っては帰ってきている。特に何かあるわけでもないが、それはもしかしたら距離を置いているからかもしれない。触らぬ神になんとやらだ。
また、3階に住む多々良さんは少し変わっているらしい。らしいというのは、まだ話したことがないからだ。
昼夜問わず、たまに叫び声が聞こえてくるだけである。
「空が堕ちてくる!もうダメだぁああああああ」「今に空に異空間が開いて侵略者が攻めてくるぅうううううう」
といった言葉が聞こえる。
菊花さん曰く、「ふつーの時はふつーに勉強のできる大学生ってツラぁしてるんだが、頭が良すぎるのかトラウマか。時折思考が悪い方悪い方に行っちまうんだ、あの人は。ま、気にすんな」とのこと。
キシン荘と言えば、大家さんと一緒に住んでいる小学生になるお孫さんはとてもいい人たちだ。お世話にもなっているので、見掛けたら挨拶を投げ掛けている。
お孫さんは元気よく挨拶を返してくれる。
大家さんはニコニコ顔で頷いてくれるが、それだけでこちらもなんだか嬉しくなってしまう。
今日も港仕事に向かった。
いつもより早い夕方前に仕事が終わり、帰宅すると、大家さんがちょうど部屋から出てくるところに行き合った。
「おやまあ、ちょうど良かった。これ、菊花ちゃんに届けてくれないかい?」
大家さんから頼まれごとをされた。
お世話になっているのと、菊花さんに届けるだけならなんてことはないと請け負う。
お年を召してらっしゃるし、階段を上るのだけでも労力なのだろう。
「ああ、菊花ちゃんなら部屋には居ないよぅ。出て行くバイクのエンジン音が聞こえたからねぇ」
それならこの手に収まるサイズの小風呂敷に包まれた薄手のものはどこに届ければいいのだろうか。
「多分役所だねぇ。これ、菊花ちゃんの落とし物。あの子が出てった後に表で見つけたんだよぉ。必要なものみたいだし、よろしくねぇ」
中身は、職員証だという。それは、よく分からないけれど大事なものではないのか?
何気なく頼まれたが、しっかり届けなければ。
役所にはまだ行ったことがないので、大家さんに道を聞いた。
なんでも、カジノがある街の入口方面にあるらしい。
北上して、カジノの看板が見えてくる大きな十字路に着いたらそこを右に。その先にある一際大きい長方形の建物がこのサドの街の役所になっているとのことだ。
「十字路に着けば案内板があるから、それを見て確認するといいよぅ」
とのこと。まぁ、行けば分かるだろう。
礼二さんに案内を頼もうかとも思ったが、さっきお世話になったばかりだし、それにそろそろこの街を一人で歩いてみたいと思っていたところだ。
ボクは探検気分で出掛けることにした。
キシン荘を出て一人で歩き始めた。
日がまだ残る中、どこかでカラスの鳴き声が響く。
『大災害』で人はたくさん死んでしまったが、感染したのは主にヒトであり、動物はその数を減らすことなく、むしろ干渉する人間が減ったことでその数を増やしていた。
この街ではあまり見かけないが、都内に居た時は野良犬や野良猫をたくさん見かけたものだ。この街に通じる道がいまやボクが歩いてきた関所のあるルート以外は封鎖されているせいかもしれない。
しばらく歩くと、十字路に突き当たる。
右手に行くと役所がある旨が道路のポール上に案内板として出ており、また、反対側の道路にはカジノの看板が見えてきた。
港でジョージさんに聞いた話を思い出す。
『大災害』が起きる前、この街は2018年に可決されたカジノ法案に則って急ピッチでカジノが建造された土地の一つだそうだ。
増築を考えていたらしく、まずは拙速にと建てたのが、ボクがこの街に来て最初に訪れた建物らしい。本格的なカードゲームを一部と、あとはスロットマシーンのような機械任せの遊技台を組み込んで早期客寄せを狙った。
実際、2020年に行われた世界的なスポーツの祭典の折には既に完成し、観光客も含めて多くの人が訪れたそうだ。
チラとカジノ側を眺める。
立派なビルが建ち並んでいるが、今やどれも閉鎖中とのことだ。
カジノ目当てで来るお客向けにホテル業界が目をつけて新たにホテルを建設したが、『大災害』を機に人も来なくなり、管理も出来ず、買い手も再利用の目処も立たず、放置されているらしい。
『大災害』によって遊技どころではなくなった世の中にこの街は見捨てられた。
体のいい隔離区画として感染者が大勢運ばれ、事態が一段落した後も気付けば行き場がなくなった人たちが逃げ込むように流れ着いてきて、今のサドの街になった、と。
ジョージさんも、身寄りを亡くしてから失意の内にこの街にやって来たが、ここにいる皆を見て辛いのは自分だけじゃないんだと奮起し、港を整備したのだという。これは、セポ姐さんが教えてくれた話だ。
この街にいる人は、皆あの『大災害』の被害者なのだ。
他の街であってもそうであろうけれど、ここに初めから住んでいた人はほとんど居ないということだ。
他地域よりも人々の直接的な繋がりは薄い。
けれど、辛い思い出は共有されている。
そんな、不思議な街。
そういう街にある役所は、どうなっているのか。
ボクはカジノ手前にあったもぬけの殻と化したホテル群とは別の意味で大きな建屋の前に来ている。
十字路の先、ここまでの道幅は大きく、街路樹も剪定がされている様子であった。
人の出入りはあり、自動ドア越しに中の様子も見て取れる。
思い切って、足を踏み入れてみた。




