第二章(5)
「大将いいのかい? 会計まで一緒にしてもらっちゃって」
「菊花君には世話になってるからな。たまには礼をと思っても機会がねぇから、噛み合った時は構わねえよ」
「サンキュー! ごっそさん。いやー、それにしてもここの飯はたまらないねぇ。今日は全体的に素材の味を生かして薄味に仕上げてきておいて、デザート代わりにゆで卵を出すとはね。さっぱりしたもんの後に粗塩でひょいといただいたあの白身と半熟の黄身がまたなんとも」
食事も終わり、ボクたちは店内から外に出て少し離れたところで話していた。
たしかに、ここの料理は美味しかった。
空腹もあったが、いままで食べてきたものの中で一番満足したかもしれない。
ふんわりと炊き上がったご飯、細かくはわからないけれど素揚げした白身魚と野菜ジュレの和え物、薄味のかぼちゃの煮付けに上品な味噌汁。和洋折中な中で味のバランスが取れていて、夢中になって食べてしまった。
そして、最後のゆで卵。
菊花さんも言っていたが、塩分が少し足りないかなというところに強めの粗塩のかかったゆで卵の旨いこと旨いこと。びっくりした。
あともう一つびっくりしたのは、菊花さんのゆで卵の剥き方。
急にテーブルに転がしてごりごり卵の腹の部分の殻を一周させてひびを入れ、そこから剥いていったのは初めて見たせいか驚いた。
なんでもかんでも個性あるなぁこの人は。
「で、みちる君よ。飯の間に菊花ちゃんから聞いたが、まだこの街でどうするか当てはないんだって? もし働きたくなったら北エリアにある斡旋所に行ってこいつを見せるといい。面白い仕事はないかもしれないが、食べていくだけなら不自由はしないはずだ」
ジョージさんがごつい手から名刺を差し出してきた。
それを自分なりに丁寧に受け取る。
そういえば、食べるのに夢中になっていたけれど、菊花さんがボクの話をしていてくれたような気がする。ちょっと申し訳ないながらも、考えあぐねたらありがたく頼らせてもらうことにしようと思った。
そう、ここには逃げて来たけれど、ここからは自分で生きていかなければならない。
死ぬことを選択できなかった、自分としては。
そういえば、仕事と言えば菊花さんは何をしている人なのだろうか。
カジノで出会い、港を仕切っている人とも仲がいい。そして、手が出る早さ。
まさか、なにかカタギではない職に就いている人なのではないだろうか。
ボクはあまりに気になって、菊花さんではなくジョージさんに訊いてみた。
菊花さん本人に訊いて、怪しい商売の人だと言われても、なんだか困る。
「はっはっは! みちる君、いいねぇ、キミ。そうかそうか、つい不安になるよなぁ、こんな派手なフリフリ着てバイクぶん回してる姉ちゃんに振り回されちゃあ。おっと、菊花君。その振り上げた拳は降ろしてくれよ。そういうことしてるから警戒されるんだろ?」
「ふん。べ、別にそんなんじゃねーよ。これはアレだ、食後のストレッチで体を上に伸ばしてただけであってだな……」
苦しい言い訳に大笑するジョージさん。
ひとしきり笑ったあと、菊花さんを親指で示して言った。
「菊花君はな。あのナリで市役所の事務をやっているんだ。人がいないせいで、書類仕事から申請関係、はたまた税金の取り立てにも自分で行ってる始末でな」
「取り立てじゃねーって。ちゃんとした徴収だから!」
「経営してる身としては同じようなもんだ。まぁ、そういうわけで怪しい商売をしてるワケでもなんでもないから、安心しな」
ボクの不安まで察した上で答えてくれる。
ジョージさんは菊花さんが言ったように気のつく人のようだ。
しかし、菊花さんが役所の人。あんな制服ないだろうし、いいのだろうか。
「いいんだよ、特に外回りする時は好きなカッコでいいって市長に言われてるし、ちょっと派手なぐらいの方がカジノに出入りしてても変に思われねーからいいんだよ!」
「ってのは建前だろ? 好きな服着てるだけで、誰も責めやしないんだからそんなに怒鳴らんでも。そうだみちる君、機会があれ市役所も覗いてみるといい。居住区の方にあるが、タイミングが良ければオフィス服を来ている菊花君に会えるぞ」
にやにや笑いを浮かべてジョージさんはそう言った。
たしかにその服装は見てみたいかもしれない。
正直、オフィス服でスマートな様子の菊花さんは想像できない。
「ま、態度は変わらんから、そんなに期待しても仕方ないがな!」
笑いながら付け足すジョージさん。
想像するまでもなく、そのままの菊花さんが市役所にはいるようだ。
菊花さんに脛を蹴られて笑いから一転声なき声をあげているジョージさんを尻目ににやける口元を隠していると、遠くからなにやら乾いた音が聞こえた。
「ま、待った菊花君。なにか聞こえんかったかね? 向こうの大通りからのようだが」
「……ありゃ、銃声か。おかしいな、一昔前にあったやくざの最大勢力内での抗争と『大災害』のゴタゴタで日本でも銃を持ってるゴロツキはたしかに増えたが、この街にいる奴らには持ち込ませないよう港でも関所でもチェックしてるってのに」
2人が話していると、『えとせとら』から見える大通り方面から人が逃げてくるのが見えた。銃声、ということから何が起きているかはわからないけれど、向こうは……冷たく感じる。向こうに行くのは、危ない。
通りに向けた手を下ろす。すると、菊花さんと目が合った。
いつの間にか、通りではなくボクを見ていたようだった。
顔色を読まれたのか、菊花さんは何も言わず一つ頷くと、ジョージさんとボクに忠告した。
「大将、おたくんとこの自警団に連絡入れて人寄越しておいてくれ。みちるは大将と一緒に居な。この筋肉様は伊達や酔狂じゃねえ、一人でウロウロするよりはよっぽど安全だよ」
菊花さんはどうするんですか。
どもりながらも早口で返すと、彼女はにやりと笑って答えた。
「医務室で言ったろ? この街で騒ぎを起こしてるのがいて、そいつらにあたしはムカついてるってな。多分あいつらだろう、ちょっとシメてくるわ」
軽い調子で言うと、ダッシュしていった。
なんだろうか、あのバイタリティは。凄い。
けど、向こうはよくない。どうしよう。
「……ああそうだ、西区5番街の辺りだ。念のために救急班にも連絡を入れといてくれ。よろしくな」
スマートフォンを取り出して電話をしていたジョージさんは通話を終えると、ため息を吐いた。
「菊花君にも困ったもんだな。出自はあえて聞いていないが、元は江戸っ子かなにかなんじゃねえか? 喧嘩と花火、好きそうだしよ」
独りごちたあと苦笑し、ジョージさんはボクを見てきた。
ボクはここで、詳しくは言えないけれど向こうは危ないとジョージさんにやっと伝えられた。
「ん。そうか、まぁそうだとしても菊花君なら大丈夫だろう。うちでやってる自警団連中も追っ付けくる。見に行くか。一応、離れんなよ」
そう言ってゆっくりと歩き出すジョージさん。
ボクは気が進まないものの、菊花さんが心配でもあって、ジョージさんについて行くことにした。