~引きこもりの姉貴が四年ぶりに部屋から出てきたと思ったら大魔導師になってた~
我が家はごくありふれた二階建ての日本家屋だ。
二階には物置と俺の部屋と姉貴の部屋の三部屋がある訳だが、俺の部屋の隣に位置する姉貴の部屋の扉は、この四年間で一度も開いているのを見たことが無い。
~引きこもりの姉貴が四年ぶりに部屋から出てきたと思ったら大魔導師になってた~
朝のリビングには俺と母さんしか居ない。
親父は海外出張、姉貴は引きこもりだからだ。
無駄に広いリビングの無駄に広いテーブルの上に、二人前の朝食が並べられている。
目玉焼き、ウィンナー、トースト、牛乳。
毎朝母さんはよくやってくれている。長い茶髪をポニーテールにまとめ、リブ生地の縦セーターとジーパンでナイスバディを包んだ穏やかな女性。これが我が家の母さんだ。
一緒に歩いていると頻繁に「お姉さんですか?」と聞かれるから、多分そこらの母親よりは若く見える。その度に顔を真っ赤にして黙り込んでしまうくらい、母さんは内気で謙虚で素直な人間だ。
「ヒロちゃんごめんね、これ今日もお姉ちゃんの部屋に持っていってくれる?」
「ああ、うん。」
母さんが朝食を並べたお盆をキッチンから差し出してくるので、受け取って二階に行く。
さっきも言ったが、『ちーちゃんのへや』と書かれたプレートが貼られたこの木の扉は、この四年間で一度も開いているのを見たことが無い。
姉貴が引きこもりを始めたのはあくまで突然の事で、前兆など存在しなかった。
成績優秀容姿端麗。そのうえ品行方正を地で行く秀才で、少し抜けた所もあるがそれがまた親しみやすさを生むのか、中学では二年連続で生徒会長を務めていた。
高校もこの辺りで一番偏差値の高いところに進学し、俺はそんな姉貴が誇りでもあったのだが、ある日突然。
「わたし本当は何もしたくないけど、現代社会は何かをし続けないと生きていけないから、頑張って魔法を使えるようになってみようと思う!」
…あ、壊れた。誰もがそう思った。
そのまま部屋から出てこなくなった姉貴だが、家族や親戚の中ではそっとしておく方向で意見が一致した。
以降この四年間、俺の知る限りでは姉貴の姿を見た者は一人もいない。
扉の向こうから溢れだしてくるどことなく陰気で不穏な空気に対し、母さんの柔らかな字で『ちーちゃんのへや』と書かれたこのプレートは、いつ見ても滑稽な存在感を放っている。
「姉ちゃん。」
コンコン、と扉をノックし、姉を呼ぶ。
出てこないし扉が開かないのはいつもの事だが、返事だけはいつも必ず返ってきていた。
なのに、今日は扉の向こうからなんの音も聞こえてこない。
「……あれ?」
…おかしい。
この四年間、ずっとなんだ。姉貴が返事をよこさない時なんて、今まで一度も存在しなかった。
なのに今日、初めて返事が返ってきていない。
薄暗くちらかった部屋の中で、ぐったりと横たわる姉を想像すると、たちまち血の気が引いた。
「ね、姉ちゃん…? ち、千尋姉ちゃん!返事してくれよ、おいっ!」
ドンドンガンガンと、握りこぶしで何度も木の扉を叩く。
「姉ちゃん!千尋姉ちゃんっ! どうしたんだよ、おい!? 今まで返事しなかったことなんて一度も無かったじゃんよ!なぁ、千尋姉ちゃんっ!!」
壊すくらいの勢いでノックを繰り返し、必死に千尋姉ちゃんの名前を呼ぶ。
…それでも返事が無い。泣きそうな気分で廊下の壁にもたれ、ずるずるとその場にへたりこんだ。
―――カチャリ。
ふと、ドアノブからそんな音が聞こえた気がした。
まさか、鍵が開く音か?…いやいやそんな筈は無い。
この四年間一度も開くことの無かった扉だってのに、なんで急に開くんだよ。むしろ中に動ける誰かが居るなら、扉を開ける前にまずは返事をする筈だ。
そう思いつつもわずかな期待を抱き、回るドアノブを見つめ続ける。
そしてゆっくりと、扉が動き始め――、
「おはやっぽー☆」
――出てきたのは、ドクロ頭の魔王だった。
黒地に金の刺繍が施され、幅の広い肩パットの入った荘厳なローブを身に纏い、その手には紫の宝石が嵌め込まれた木の杖を握っている。
…この人物はやはり、俺の知る姉貴ではない。
「…おはやっぽー?」
とは言え、能天気な声で不思議そうに首をかしげるバカっぽいこの仕種。
四年ぶりだが見覚えはある。忘れもしない。
涙が目に溜まっていくのを感じながら、自然とその問いかけが口を出た。
「……姉ちゃん?」
「うぃっす!久しぶりヒロ君!お姉ちゃん、念願の大魔導師になって帰ってきたよ!」
ドクロの下から覗く口元でぱぁっと笑い、愛嬌のある敬礼をするその姿。…それは間違いなく、姉貴のものだった。
…ただ。
「姉ちゃん……。…だ、大魔導師ってなに…?その格好は…?」
「ふっふーん、よくぞ聞いてくれました!実はお姉ちゃん、異世界最強の魔法使いになってきたんだよっ!」
「……は?」
姉貴が胸を張ると、母さん譲りのナイスバディがポヨンと揺れて存在を主張する。この発育、やはり姉貴である。
「いやー異世界転移って本当にあるんだねー。部屋で漫画読んでた筈なのに、気づいたら…」
「ちょ、ちょっと待って。なら今まで誰が俺達に返事してたの?」
「ん?多分わたしの代わりにこっちに来てた人じゃない?」
「は…?」
「それよりさ、お姉ちゃんすっごいんだよ!たった三年で大魔導師になれた人なんて、今まで誰もいなかったんだって! いやはやお姉ちゃん、前々から自分はやればできる子だと思ってましたが、まさかここまでとは…。ね、ヒロ君もそう思うよねー!」
えへへ、と笑い、はにかみながら話している姉貴だが、俺はその内容がまったく理解できない。
この姉貴は一体何を言っているんだ…?
「ま、まぁいいや。その格好も魔導師云々の件もとりあえず後にするとして、なんで急に部屋から出てくる気になったんだ?」
「わー。そんなことよりヒロ君おっきくなったねぇ。前はお姉ちゃんのおっぱいくらいまでしか背が無かったのに、今じゃお姉ちゃんがヒロ君の厚い胸板までしか背が無いよ。今高校生だっけ?」
「話を聞きなさい。」
被っているドクロにデコピンをかますと、「ひうっ」と小さな悲鳴をあげ、姉貴はおずおずと俺を見上げてきた。
「うー…。ヒロ君優しくなくなったー…。」
「いいから、なんで急に出てきたんだよ?姉貴とこうして久しぶりに会えたのは嬉しいけど、理由を話してもらわなきゃどう扱っていいのかもわからねえよ。」
「えへへ、嬉しいなんて嬉しいなー。実はね、お姉ちゃんちょっと前まで魔王さんと戦ってたんだけど、魔王さん、最後の最後でこの世界に逃げちゃって。」
「………は?」
「だから魔王さんを倒す為に、お姉ちゃんもこの世界に帰されたの!でもお姉ちゃん、本当は何もしたくなかったから、今日から惰眠を貪るよ!おー!」
一人で気合い十分に拳を突き上げる姉貴。
四年ぶりにその姿を見て思ったことは、ただ一つだ。
「あ、それ朝ごはん?わーお母さんの朝ごはん懐かしー!いっつもこれだったよねー。 行儀悪いけどここで食べちゃお!いっただっきまーす!」
………姉貴は、まだまだ壊れている。
連載予定作品の一話として書いたものですが、設定変更の為にボツとなりました。
供養も兼ねて置いておきます。