吸血鬼がラーメン〇郎を食べる話
「……腹が減ったな」
私はヴァンパイア。ここ日本では吸血鬼と呼ばれる生命体だ。
……かつて全世界を吸血鬼が手中に収めていた時代もあったが、現在ではその隆盛は影を潜め、こうして残党が各地に少し散らばり、細々と人間のフリをして生きているに過ぎなくなってしまっていた。
敗因があった。吸血鬼達は馴れ合いを好まなかった。我々は人間よりも身体能力が格段に高く、知能も優れているが、馴れ合いを好まなかったのだ。
要するに、総合すれば全世界をその手に収めていながらも、お互いの縄張りを決して侵すことが無かった。
──そこに付け入られた。
人間達は徒党を組み、足りない戦力を数で補う形で吸血鬼達に挑んできたのだ。各領地に基本的には一人ずつしかいなかった吸血鬼達は、十字架やらニンニク、日光などの……まあつまるところ吸血鬼の弱点を、これでもかと突かれた。それもタイミングを合わせ、全世界同時での襲撃である。
とある日の突然の人間達の反逆に、当然のように、吸血鬼達は為す術もなく滅ぼされた。呆気なく殺されてしまった者も多かったし、殺されはしないまでも大きく弱体化されてしまい、その座を失脚した者が大半であった。
その内の一人が私である。
「暑い……」
深々と被ったつばの広い帽子の奥の、黄色い看板をチラリと見やる。
ラーメン〇郎。黄色い看板には、黒く太めの文字でそう書かれていた。
列に並んで三十分と少し程経過したが、もう少しで店内に入る事が出来そうだ。
ほんの少し前に並ぶ客が食券を買う姿を見つつ、そう考える。
日光が弱点である吸血鬼には、この炎天下は少々──いや、かなり堪えるものがあった。
「お客様ぁー!大きさどうしますー?」
店内から、威勢の良い店主の声が私に向かって飛ぶ。ノータイムで答える。
「小で!」
店内に入り、食券を購入する。小と答えた以上、小と付くメニューを購入する必要があるが、小と付くメニューだけでも三種類存在する。
まずは小。この店において最もスタンダードなサイズのメニューである。ブタと呼ばれる極厚のチャーシューが二、三枚……いや、これを"枚"と数えるのには些か抵抗がある。"個"、若しくは"塊"と表現するのが正しい、と思う。
そして、小にブタをもう三塊ほど追加したものが小ブタ、と呼ばれるメニューだ。そこにさらにブタを追加したものを小ブタWと呼ぶ。
私は迷わず最もスタンダードなサイズであるところの小を選択する。
前の客が食べ終わり、空いた席に私は座る。
そして、目の前のカウンター上に買った食券を乗せるのだ。
「小の方ー!ニンニク入れますか?」
先ほどの威勢の良い店主が、今度はニンニクの有無を聞いてくる。が、実はこれ、ニンニクの有無だけを聞かれている訳ではない。
店にもよるが、基本的には「ヤサイ、ニンニク、アブラ、カラメ」の四つのカスタマイズ要素を自分の好きなように増やしたり減らしたり出来るのだが、それをどうするか、というのがこの一言に全て内包されているのだ。
「ヤサイニンニクアブラで」
目の前にモヤシの山が置かれる。モヤシだけではなく、キャベツが二割くらいの割合で混ざっているのだが、ほぼモヤシである。その頂には、アブラの注文通り、液体の脂がたっぷりとかけられていた。
卓上に置かれたカエシ──醤油調味液を、その頂から回しかけていく。そして、まずその山のように盛られたヤサイを胃に収めていくのだ。
……美味い。ただ、茹でたモヤシに醤油をかけただけの味だが、これが良い。下のスープを掬いかけると、また良い。十分にヤサイの量を減らし、下から麺を引っ張り出す準備をする。
──天地返し。
この技は、この店の界隈ではそう呼ばれる。
ヤサイの下に沈む麺を引き摺り出し、ヤサイの上に乗せる技である。
大前提として、このラーメンは量がとても多く、ヤサイを最初に全て平らげてしまうと、麺を食べてる間に満腹が訪れてしまう可能性が飛躍的に上がる。それに、ヤサイを食べている間に麺がスープを吸いすぎて伸びてしまう可能性も高い。
それを防ぐ役割を果たすのがこの技だ。
ヤサイの上に麺を引き摺り出す事により、喫食の順番を通常の"ヤサイから麺"から、"麺からヤサイ"へと強制的に変えることが可能になる。
これにより、麺を先に食べる事が出来る上、比較的軽いヤサイを後回しに出来る。つまり、完食の可能性を格段に上げることが出来る。通の間では当たり前のように行われている食べ方だ。
引き摺り出した麺を啜る。……美味い。口に含み咀嚼した瞬間、小麦の風味が口いっぱいに広がり、それが濃くジャンキーな醤油味のスープとよく絡む。至福の時間だ。
さて、麺を半分程食べ進めた所で、いよいよコイツが登場する。
スープに溶かさずに端に寄せておいた生の刻みニンニクである。……正直に言って、吸血鬼の弱点である。
この瞬間はいつも緊張する。死に至るかもわからない弱点を自ら摂取しようと言うのだから、当然と言えば至極当然ではあるのだが。
「あああああああああああっっっっ…………!」
美味い!痛い!美味い!痛い!
身体中を激痛が駆け抜け、その刺激に思わず声が漏れ出る。ま、まだだ……
スープを一口、また一口と啜る。激痛が全身を襲う。この繰り返しで私の肉体は徐々に疲弊していく。
麺を全て食べ切る頃には目が虚ろに、そして意識を保つことすらも困難な状態になっていた。
「あっ……はあぁ……」
もはや義務、と言わんばかりにスープを全て飲み下してゆく。そこには、もう理性と呼べるようなものは何一つ残ってはいなかった。
「完飲。ごっそさん」
丼をカウンターに上げ、備え付けの布巾で卓上を拭いて店を出る。
心配そうな顔を向ける店主に見送られて店を出る事にももう慣れた。
こうしてこのラーメンを食す事にハマってしまったのはいつ頃からだっただろうか。この魅力にはまってしまった私からは、もはや権力を再び手中へ……と言ったような考えは無くなってしまっていた。
それと同時に、新たな性癖にも目覚めてしまったかのような感覚を覚えたのだった。