7 聖なる闇
一週間後、日本に戻る儀式のために紳士とリーザさんが来た。リーザさんは迷いなく長くのばしていた髪を切った。
「黒をもつ者はこの世界では魔力をもつの。黒髪はいい媒体になるのよ」
切った髪を火にかけて、何か液体の入った瓶を使って陣を書いていく。書き終わると真ん中に立つように言われた。
もう最後なんだ。屋敷の皆に挨拶できたけれど、気になってしまうのは一人。
振り返るとゼノンが顔を歪めて私を見ていた。私は彼の手を握って、陣に入るために手を離した。
「ゼノン、どうか幸せに」
「カナミも幸せに」
本当はお互い分かっている。こんなに大切な人は二度と会えない。それでも住む世界が違う二人は別々の道を選んだ。
私は光に包まれ、気がつけば世界史の授業に戻っていた。伸びていた髪も元に戻っている。あの世界の痕跡がない。私は壊れてしまったのか、涙が止まらなかった。突然泣き出した生徒に先生は戸惑っていた。
今だけは泣かせてほしい。あんなに好きな人いない。もう会えないんだ。覚悟していたけれど胸の痛みは正直に訴えてきた。
それから私は勉強に打ち込むようになった。腕っぷしの強くない私にとって、手にすることができる強さは勉強だったからだ。私は彼とした強くなる約束のために力を尽くした。
一年後、私は三年になり進学クラスに進んだ。あの世界のことはすっかり遠くなったけれど、今も胸に炎が灯っている。
オープンキャンパスで大学を見学しに行った時、私は信じ難いものを見た。彼がいた。
異世界の頃と髪色が違うけれど私が間違えるはずがない。本来の髪の色で大学に通っている。現代の衣服に身を包んでいても、彼はどことなく品が良くて浮いていた。
ちょうど昼食らしく、食堂に向かう彼を捕まえた。
「ゼノンでしょ!」
「うわっ、カナミ? どうしてここに」
「それはこっちのセリフだってば」
私が攻めるように詰め寄るとゼノンはようやく息をついて、語ってくれた。
「俺はリーザの血や溜め込んでた魔法アイテムでこちらにきたんだ。カナミを知って、もう誰も愛せないと分かったから。屋敷の皆も背中を押してくれてな」
「あ、愛!?」
彼はこんな真っ直ぐな表現をする人だっただろうか。いつも斜に構えて、皮肉ったような物言いをしていた彼が今真摯に私を見つめている。
そこで原因に思い当たった。私だ。彼を私が変えたのだ。それほどのものを彼に残せたのだと思うと、胸の奥から喜びが湧いてきた。
「別れの時にどうしても言えなかった言葉を言わせてくれ。カナミが好きだ」
「そんなの私もだってば! バカ! ……好きだよ」
思わぬ再会に涙が溢れる。別れた時にあんなに泣いたのに不思議だ。あの時言えなかった言葉を交わす。やっと好きだと言えた。
「こっちに来たら、一番に私のところにきなさいよ」
「俺はこの世界の強さをまだ手にしていないから」
「何それ。そんなことのために会わなかったの? ゼノンの強さって大学を卒業したら? 就職して出世したら? 私はすぐに会いたかったよ」
彼の顔を覗き込んで、激情に任せて攻める。怒っているのに目に薄い膜ができて、とうとう溢れてしまった。ゼノンと再会してから感情が壊れてしまったみたいだ。
彼は気まずそうに視線をそらし、向き直って涙を拭う。
「すまない。……カナミが忘れていたらと思えば怖かったんだ」
「あんなこと忘れられるはずがない」
「俺もだ。俺はお前がいなくなって、辛気臭い顔ばかりしていたらしい。妻とは別れたよ。今は執事とクリスティーナが領地を運営してる。屋敷のみんなと紳士とリーザが送り出してくれたんだ。感謝してる」
彼が私を選んだ。その事実は重く、甘い味がした。
「たまにはあっちに帰って顔見せてくれってさ」
「え、帰れないんじゃなかったの?」
「黒髪の魔女が二人いれば可能だ。俺は結局何も捨てずにお前を手に入れにきたんだよ。俺のものになってくれないか?」
「なーんだ! 心配して損した!」
「お前、その言い方は――」
「よろこんで。その代わり、ゼノンは私のものだからね」
「当たり前」
異世界に行った最初の頃は俺のものになれだなんて言われていた。そんな日が遠い昔になって、彼は私に恋をして、懇願するようになって。ああ、未来って分からないものだ。黒が不吉だと誰が決めたのだろう。私はこんなに幸せなのに。
彼は自らを偽っていた。そんな彼を救ったのは黒目黒髪の少女だ。彼女は彼の苦しみを抱いて、夜の闇の中歌った。彼はそんな彼女に心を開いていき、恋をした。彼にとって闇こそが聖なる揺り籠だったのだ。
完結しました。
次はリーザ視点の話です。