海魔女テレーシアの呪いごと
海の花と火薬屋テオルと同じ世界、時間のお話です。
海上レストラン、シェリランカ。レストラン一軒分丁度の陸に、レストラン一軒をぴったり建築したその場所は、【海上レストラン】と呼ばれ、近隣の島々の人には勿論、その評判を聞いてやって来た遠方の客にも愛されている。
「おう、タカ。これよろしく頼むわ。」
「はいよっと。」
レストランの裏口でじゃがいもを向くシェリランカの新人は、名をホンダ=タカムネという。
彼はいわゆる『はぐれもの』で、世界の裂け目からこのレストランに一直線に落ちてきた。レストランのバルコニーに転がる少年を発見したのはレストランのオーナーシェフ。彼はタカムネを自らの弟子に加えて、料理人として育て始めた。タダ働きの働き者ほどレストランのオーナーとして有用なモノは無いし、タカムネという少年は海千山千を越えてきた男の目から見て根性の有る男だったから。
それはタカムネが厨房で皿を洗い店の裏で芋を剥き始めて数日のことだった。
【海の不幸】は福音の鐘と共にやってきたのである。
リンゴンと鳴る朝6時の鐘と共に、その少女は現れる。
「なぁにぃ、タカムネ。また皮むきなのぉ?」
「うるさい。」
ふわふわと浮く箒にまたがるその少女は、名をテレーシア。海の底からやってくる悪戯好きの【海の不幸を運ぶ魔女】と言えば彼女をおいて他には居ない。彼女の愉悦は他人の不運、恐怖、絶望。そして、今一番のお気に入りは『はぐれもの』の少年1人。
「この島から出られない気分はどうかしら?」
「今日もサイアクだよ。」
海の不幸を運ぶ魔女、テレーシアは海上レストランシェリランカに『はぐれもの』がやってきてから3日の後に、タカムネを呪った。
呪った理由は「面白いから」。
あたしにとって愉悦こそが最大のご馳走。退屈なんかは犬のエサと一緒なの。とても食べる気にはならないわ。
そう言って犬歯もむき出しに笑うのは、タカムネに与えた呪いがまだまだ暫く楽しめそうだから。
「ねぇ、【海の花】は今どこに居ると思う?」
「さぁ。」
シュルシュルと芋の皮を剥く手付きは既にサマになっている。タカムネがここへ来てから数年経った。もう下ごしらえはお手のもの。
「あなたの呪い、いつ解けると思う?」
「さぁ。」
「今、解いてあげましょうか。」
「心にも無いこと言うなよ。嘘を吐くのは魔女の仕事じゃないだろう。」
「それもそうね!あたし、タカムネの呪いを解く気はちっとも無いわ!」
けらけら笑うテレーシアに、タカムネは何のリアクションも返さない。神経をどんなに逆撫でされたって、タカムネは沈黙を貫いた。何故ならば、騒いだってこの魔女はきっとタカムネの呪いを解く気にならないだろうから。
「あなたはこの陸から出られない。あなたというのは、あたしが思うあなたの意志。あなたの想い。あなたの魂。あたしはそれらを全部、全部、この小島に閉じ込めたの。」
「良い迷惑だよ。おかげで俺は今も仕入れに行けやしない。」
「またまたそんな、誤魔化しちゃって!ホントにあなたがやりたいことは、兄姉探しでしょぉ!」
全くその通りで、タカムネは返答するのも馬鹿らしく、無言で芋の皮をむき続けた。
【海の花】ことホンダ=コトコは兄と弟を探してずっとさすらっているが、実はタカムネはいの一番に姉と兄の居場所を突き止めていた。この海上レストランシェリランカは毎日4つも新聞を取っている。タカムネは兄と姉の優秀さを信じて、ありとあらゆる記事を毎日読み漁り、彼らの居場所を探したのだ。
姉は南へ。兄は東へ。自分は西へ。
世界の裂け目から放り出された時、その方向だけがタカムネには見えていた。
だからこそ、タカムネはこのシェリランカから探したのだ。きっと流れ星のように降り注いだ自分たちは、新聞記事の一記事にくらいなってるだろう、と。
兄は直ぐに見つかった。派手好きで人に馴染むのが早い兄のことだ、この世界でも上手くやっているだろうと心配はひとつもしていなかったが、後にタカムネは「馴染みすぎだろ」とつぶやくことになる。
姉は中々見つからず、1年が経ってようやくその名前が表舞台に現れた。聞けば姉は辺境の地に落ち、ずっと海を彷徨っていたのだという。何やかんやこの世界に馴染みきってる兄や、運だけで何となく受け入れられた自分とは違う。
コトコちゃん。どんなに寂しかっただろう。
タカムネは姉を想って、涙がじんわり浮かびそうになった。
「なぁにぃ、泣くの、タカムネ。」
だけど今自分が姉に会えていないのは、この傍迷惑な魔女のせい。
「・・・・・・俺が泣くのはお前のせいだよ、テレーシア。」
「いいのよ、泣いて。あたしが慰めてあげる。」
「知ってるか海の魔女。そういうのマッチポンプって言うんだよ。」
「もちろん知ってるわよ。ね、そうしたらあたしを好きになってくれる?」
傍迷惑な、恋を知らない魔女のせい。
「・・・・・・恋っていうのはそういう物じゃないよ。」
「あら、そうなの。・・・・・・じゃあ、どうしたらあなたはあたしを好きになってくれるのかしら。」
「どうしたらも何も、お前、俺に好きになってもらえる努力をしてるつもりなの?」
「もちろんよ。じゃなかったら呪ったりなんかしないし、わざわざあなたの姉の事なんか『覗き見』たりしないもの。」
「おいこらコトコちゃんのこと馬鹿にした言い方すんなよ。」
「あー、あー、聞こえない。シスコンの言うことなんてきっこえなーい!」
「テレーシア。」
「だって、あたしにとってあの子にはあなたの姉でいる以上の価値が無いんだもの。」
タカムネの好きな物だから、あの子を大事にしてるのよ。
そう正々堂々胸を張って自慢げに言う魔女に、タカムネも少しはきゅんとしたが、それに続いた言葉に心臓が止まりそうになった。
「ねぇ、だけど、タカムネ。あの子を殺したら、あなた、あたしをずっと見ていてくれるの?」
海の魔女は人の愛し方を少しも知らない。
「あたしの愉悦はあなたの苦しみ、あなたの悲しみ、あなたの絶望。ねぇ、だけど、あなたはどうしたら喜んでくれるの。」
海の魔女は、恋を知らないままに人を愛してしまった。
だけど、魔女は魔女。人とは違う。
だから、愛し方が分からない。
愛し方が分からないまま愛そうとするから、もうずっとやり方を間違えている。
「ねぇ、タカムネ。あたしの一番の苦しみは、あなたを喪うことだわ。あたしが苦しんで悲しんで絶望したら、あなた、あたしを好きになってくれるの。」
魔女がほんとうに困ってしまったような表情でそう言うから、タカムネはテレーシア、とただ名前を呼んで立ち尽くすことしか出来なかった。
出会ってから、こんなに悲しそうな顔をしたのを初めて見た。
「ねぇ、教えて。あたし、あなたを愛したいのよ。」
タカムネは人を愛したいと叫ぶその心こそが愛なのだと告げようとして、口を閉じた。
愛したい愛したいと嘆く少女に、うっかり微笑んでしまいそうだったから。
タカムネは幼いこころをはねのけられるほど子どもじゃないのである。
「ねぇ、タカムネ。」
甘い声に、タカムネは顔が赤くなっていくのが自分で分かった。
幼いこころをはねのけられるほど子どもじゃないけど、素直な好意を受け流せるほど大人じゃない、そんなビミョーなお年ごろ。
青少年が慌てふためいてそろそろ7時の鐘が鳴るからと海魔女を海へ追い立てる姿をにやにやしながら眺めるおっさんことシェリランカのオーナーは、一通の招待状をカモメの郵便屋に持たせた。
宛名はとある国の、とある工業都市の、市長兼警察長兼用心棒兼工場長。
名をホンダ=マツムネという。
正真正銘タカムネの兄である男に、こんな面白いことを伝えない手は無いとほくそ笑むオーナーこそが、海魔女以上にタカムネの不運と不幸を楽しんでいるに違いなかった。
だけど、そんなことを知る由も無いタカムネは帰りたくないとダダをこねる海魔女に母親のように帰りなさい!と顔を赤くしたまま怒鳴りつけるばかり。
この海魔女にタカムネが落ちるのが先か、海魔女が陸に上がるのが先か。オーナーとしては後者だとまたシェリランカに名物が増えて良いなぁ。
自慢のヒゲを撫でながら結局島の端まで見送りを強要されるタカムネの後ろ姿を見送って思った。
「やだやだ、見送ってくれなきゃ帰らないわよ!」
「お前ってやつは、」
「だってタカムネは困ってる顔が一番かわいいんだもの。」
「なっ、」
「照れてるの?あたしのこと好きになってくれた?」
うーん。
こりゃぁ無理かもなー。