死にたいがこわい
死にたい。
そう思うと怖くなる。息が苦しくなり、体がこわばる。不快と感じる。
不安になるのは、臨戦体制がとけないから。怖いものを素早く察知し、いつでも戦ったり逃げたりできる状態にする。この臨戦体制で気のせいだと確認できたら、恐怖をとくことができる。確認ができないととくことがむずかしい。いわゆる不安の状態に。
じゃあ、死にたいと思うのが怖いってどういうことだろう?
死にたいと思うべきではない。そういう価値基準があるならば、死にたいと思うことすら、いけないこと。生きたくても生きることが難しい人がいるのに、なんて贅沢でわがままなことか。それとも、人生はもっと楽しいことがあるのにそんな悲しいこと、言わないで。他の人と比べてあるいは将来と比べてはかる価値。勝手に比べて、批難された気になるのがこわいのかな。
不思議だよね。死にたいの前提は絶対に将来生きていることだから。
ん?死が怖いんじゃなくて、生きるのが怖いのかな。いや、ちょっと違うな。ある精神状態だと、死を望むと楽になる。でも、それはずっとではない。死を望むと辛くなることもある。自分は将来生きていると根拠のない思い込みのもと、解けない悩みもどきを抱え込んているのか。死にたいと思うのは悲観的というより、生きているとすごく自分を信頼してる状態なんだね。
ふと死にたいと感じる。それ単品ならば、不快だけど怖いとまではいかない。じゃあ、もし、死にたいと感じてしまうことを許容できなかったら?
すでに感じたことをなしにする。できない。そっか、死にたいと思ったか…ま、いっか。それが理想になるのかな。できるわけないといううちからの反発が強いけど。死にたいと思っても怖くなければ、そんな自分でも笑えるのかな。そうだねえ、死にたいへ反発しまくった。コントロールできないことをしようとして、もっときつくなったけど。
五分間だけ死にたいと思っても、こねくり回さないと制限かけてみようかな。そうして実感すれば、得体のしれない怖さなら減るかもしれないし。…幸せでも怖いことってあるのかな。幸せでも死にたいって思うのかな。そうなら、少しはそんな自分を許せるのに。
死にたいの怖さは、その感情があることを見て止めて、付き合い方がわかんない、対処法のわからなさ。かもしれない。