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人心掌握装置に起因する日本の末路

作者: 銀杏灯夕陽

 真っ赤な夕焼け空を一人の男が眺めていた。スーツを着込み、ネクタイを締め、カバンを持ったその姿は一般的なサラリーマンのものだった。男は満面の笑みを浮かべて呟く。


「今日もいい一日だったなぁ」

「日本にいるんだから、当たり前ですよ」


 隣にいた学生はそう言ってほほ笑んだ。学生の言葉に周りの人間すべてが同意した。帰りの電車の中で押し合いへし合いしながらも、男は幸福を感じていた。

 20XX年、日本国民は誰もが例外なく、幸せを享受していた。特に契機となる出来事があったわけではなく、いつの間にか日本はユートピアになっていたのだ。政治への不平不満や、将来への漠然とした不安は鳴りを潜め、未来の想像はポジティブなものへと変化していった。

笑顔が絶えない、美しき理想国家。それが現在の日本であった。無論、そんな日本に住んでいる男も毎日が幸せであった。


「ただいまぁ」

「おかえり。いつもお疲れ様」


男はまだ家庭を持っておらず、両親と暮らしている。蒸し暑い外から、クーラーのきいた家の中へ入ると、熱と一緒に体の力も抜けていく。


「先に風呂浴びるよ」

「はいはい、いつも通りでいいのね」


 靴を脱いで、カバンを母親に預けると、その足で脱衣所へ向かう。汗まみれの体で家を歩き回りたくはない。

 急いで服を脱ぎ、浴室へ入る。コックをひねると適温のお湯が体を打った。汗が洗い流されていくこの感覚が男は好きだった。洗髪、洗顔、入浴まで出来ると思うと、ついつい口元が綻んでしまう。温かく、清潔な水で、体を洗えるなんて、とても贅沢なことだ。流行りの歌を口ずさみながら、男は石鹸を泡立てた。


 風呂から上がり、柔らかなタオルで水を拭える贅沢を味わい、部屋着に着替えた男はリビングへ向かった。夕飯の臭いが微かに鼻孔を刺激して、腹の虫がぐぅと鳴いた。気持ち足早に廊下を進み、母の待つ食卓へ着く。片づけられたテーブルの上にはまだお茶しか置かれておらず、また、男と母親のコップしか出ていなかった。


「あれ、父さんのコップがないけど」

「今日は飲み会ですって」


 ガラスのコップにはお茶がなみなみと注がれていた。白濁した氷が浮かんでおり、透明なガラスが結露していていかにも冷えていそうだ。ぐいっと飲み干す。風呂上りに冷たいものが飲める。これも贅沢なことだ。

 男がゆっくりと座っている間に、母親は夕飯を次々と運んできた。わかめの味噌汁、焼きサバ、たくあん。それに続き、運ばれてきたものを見て、男は口をあんぐりと開けた。


「え、母さん。これって」


 真っ白に輝くものが山のように盛られている。あまりのことに言葉が出なかった。母親はそんな男の様子を見て、悪戯っぽく笑う。


「お父さんには内緒よ。私たちだって、たまには豪勢なもの食べなきゃ」


 そう言うが早いか、自分の席について、それを取り分けて食べ始めた。放心状態だった男も、ハッとして箸を伸ばす。

 今日は何て良い日なのだろう。

 取り皿に入れたもやしに辛味調味料をすこしふりかけて口へと運んだ。

 こんな贅沢を毎日して、生活が成り立つ国なんて、日本くらいなものだ。日本国民であることを喜びながら、茹でたもやしに舌鼓を打った。



 体格のいい二人の男がとある店の窓際に座って、町行く人間を眺めまわし、せせら笑っていた。誰も彼もが忙しくも嬉しそうに往来を行き来している様がおかしくて仕方ないのだ。

 日本国民は、ごく一部の層を除き、全員がマインドコントロール下にあった。男達はそのごく一部の層……云わば支配者階級に属している。


「まさか、こう上手くいくとは、誰も予想していなかったでしょうね」

「全く以てその通りですな」


 片方の男は国会議員。もう片方の男も、他のメンバーも似たような職に就いている。

 彼らはとある装置を用いて、人心を支配していた。装置の効力が実証されてすぐに、国家権力を使い、日本中に端末が設置された。端末は装置の信号を受けて人々に電波を浴びせる。この電波によって、人々の意識は改竄される。装置に命令を打ち込めば、彼らはその命令をごく自然なことと思い込み、実行するようになる。

 今の日本国民のように。

 彼らは勤勉になった。何を口にしても贅沢に感じるようになった。些細なことで国家に感謝の念を抱くようになった。今までと何ら変わりない生活を送っているだけであるというのにだ。


「本当の贅沢を忘れてしまったのです。可哀想に」

「しかし、その方が良かったかもしれませんよ。何をしたって幸せなんですから」

「まあ、彼らに代わり、我々が贅を尽くした生活を送ればいい」

「ははは。さて、話している内に料理が運ばれてきましたよ」

「では、早速いただきましょう」


 二人は舌なめずりすると、箸を二つに割り、その贅を尽くした食物へ箸を伸ばした。

 卸し生姜と刻み葱が乗せられ、上から適量の醤油がかけられた、白に輝く冷奴が二人の食欲をそそる。

 口に含んだ瞬間に広がる、大豆の上品な甘み。薬味が甘さを引き立てる。箸が止まらない。


「贅沢とは、こういうことをいうのです」

「全く以てその通りですな」



 じゅうじゅうと音を立てて焼けるステーキ。熱された鉄板に肉汁が零れ、煙と共に臭いが立ち上る。分厚く、柔らかそうな肉にナイフを突き立てているのは、まだ幼さの残る少年だった。


「本当に、そんなものでいいのかい。今からでも、代わりのものを持ってこさせようか」

「ううん。僕はこれでいいんだよ」


 にんにく醤油で味付けされた肉をライスと合わせて食べるのが少年は好きだった。そんな少年を心配そうに見つめるのは、日本の高名な政治家である、彼の父親だった。そんな父親の前に置かれているのは、見た目も味も安っぽい豚の生姜焼きだった。


「お前は偉大な発明者なんだ。遠慮なんてせずに、好きなものを食べなさい」

「僕はこれが好きなんだ」


 少年は笑顔で父親に応対し、心の中では見下して嘲っていた。

 この少年はマインドコントロール装置の発明者であった。幼い時分から神童と謳われ、その聡明さを見込んだ父により、英才教育を受けてきた。専門分野での知識においては大学教授を追い越すほどになり、結果、父の望んだままの装置を作り出してしまったのだ。

 しかし、この少年、専門的な知識と知恵はあるものの、教育機関に一度も身を寄せた経験がないせいか、本人の気質なのか、酷く自己中心的なものの考え方しかできなかった。当然、自分のものを人に取られることはひどく嫌がった。


「せっかく作ったものを、何で他の人に使わせなきゃいけないんだ」


 だから、装置が出来たとき、真っ先に父親で実験した。それが成功すると、次に父親の仲間を支配下に置いた。興味がなかったから、国民へのマインドコントロールの指示は言われた通りにやっておいたこともあってか、彼らは装置は自分たちに都合のいいように動作していると簡単に思い込んだ。

後は父親たちが勝手に端末を日本中に設置し、あっという間に日本は少年のものに成り果ててしまった。

少年は好き放題やった。


「わあ、それ美味しそう。僕のおにぎりと交換してよ」

「こんな寿司なんかでいいなら、交換するよ」


 欲しいものは何でも手に入る。


「あの人、僕にぶつかったんだ。早く町から追い出して」

「なに、それは大変だったね。すぐに手配しよう」


 通らない命令はなかった。

 本当に美味しいものを食べて、本当に贅沢な暮らしをした。そして、偽物の贅沢に歓喜する他の人達を馬鹿にして、見下した。



 少年が自分勝手に暮らして、数ヶ月が過ぎた頃。

 雲が重たく垂れこんだ空を見て、一人のサラリーマンが満面の笑みを浮かべた。


「今日は暑すぎない、いい一日になりそうだ」


 いつもなら馬鹿にして遊ぶのだが、今の少年にそんな心の余裕はない。目をきっと吊り上げると、サラリーマンを睨み付け、大声で留置所に入れろとがなり立てた。傍にいた警察官が素早く動き、サラリーマンに手錠を掛けた。溜飲が下りかけたのもつかの間、連行されるサラリーマンの顔に変わらぬ笑みが浮かんでいるのを見て、喉の奥から怒りがせり上がった。

 苛立ちまぎれにゴミ箱を蹴り倒して、再び当てもなく歩き出す。倒れたゴミ箱は通りすがりの人が元に戻していた。


「どうして僕がこんな目にあうんだ」


 気まぐれに受けた病院の検査で、少年が難病にかかっていることが発覚したのだ。発症例は極端に少なく、治療法もまだ確立されていない。このままいけば、長くても半年先には症状が出始め、数か月の間苦しみぬいた末に死んでしまう。装置によって、権威と呼ばれる医者たちに解決策を探させてはいるものの、それから数ヶ月間、一向に進展はなかった。

 あまりにも不安で、苦しみぬいて死ぬのは嫌で、最後の手段として、苦しまずに死ねる薬を作らせておいた。

 家に閉じこもっていても気がめいるだけなので、外に出てきたのだが、少年はひどく苛立った。自分が不安で仕方がないというのに、他の連中はくだらないことでいちいち幸せそうにしている。それがあてつけがましくて癇に障った。


「今日は春雨スープの日だ。楽しみだなぁ」


 それがどうした。高級なフカヒレスープに比べたら大したことはないではないか。


「ゼリーが冷たくって、甘くって、幸せ」


 せいぜい甘いだけの、化学調味料や香辛料のふんだんに使われた、安物に価値なんてない。


「見て見て。こんなに買っちゃった」


 大量生産品に価値を見いだすなんて、見る目のない証拠だ。


 少年は心の中で偽物の幸せを貶して、貶して、何とか苛立ちを鎮めようとした。

 だけれど、今まで我慢を知らなかった人間に感情を抑えることなど出来るはずもなく、簡単に怒りは爆発した。


「バカばっかりだ」


 少年は激情のままに走った。そのまま家へ駆けこんで、装置の前に座り込んだ。

 どうせ治る見込みもない。医師達に期待はしていない。なら、せめて苦しまずに息絶えよう。そのための毒薬だって、とっくに準備している。

 しかし、自分が死んだ後にも、日本国民がのうのうと幸せに生きていくのは許しがたいことだ。

 少年は怒りのままに、装置へ命令を打ち込んだ。

 少年が出した命令は極々単純で身勝手なものだった。


【全員自殺しろ】


 マインドコントロール装置は命令を端末へ発信し、端末は電波を発生させる。

 それからしばらくの間、外が騒がしくなった。何かが割れたか、壊れたかのような音。続けざまに地面に何かが叩きつけられる音。大きな発砲音。色々な音が混ざって鳴り響いた。

 そして、数分後。外は全くの無音になった。

 少年は確認に出ようと玄関の戸を開ける。


「ざまあみろ。僕を馬鹿にするからこうなるんだ」


 命令通りに自殺した人の死体で町は一杯になっていた。最期まで哀れだった日本国民をせせら笑ってやろうと、ぐるりとあたりを見回した。誰一人として、安らかな顔をしている人はいなかったことに、少年は満足した。

 ふと、そこに見知った顔を見つけた。確か、医学の権威の何たら教授だ。彼は手に数枚の紙を持っていた。

 何となく、少年はそれを手に取って、ざっと目を通した。


「…………えっ」


 そこに書かれている文章が、最初は理解できなかった。

 何度も読み直して、やっと脳が内容を理解したとき、強すぎる後悔の念に頭を殴りつけられたような衝撃を受けて、よろよろと後ずさる。

 少年は甲高い声で絶叫して、自宅へと走り去っていった。


稚拙な文章にお目通しいただき誠にありがとうございました。

至らぬ点などを叱咤していただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言]  いくら物凄い力を持っていても、どんなに頭が良くても、それに溺れていると必ずその報いは返ってくるものですね……。ある意味少年に全てを委ねてしまった所で、「日本」の末路はほぼ決定してしまったよ…
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