五月七日・4
玖珠葉と別れた後、いつものように耀が同じ道をぼんやり歩いていると、駅から自宅までの間にある公園の中で不意に呼び止められ振り返る。
「あの……」
そこにはつい先ほど見かけた少女の姿があった。
少女は少しぎこちない笑みを浮かべる。
「今日は、よく、会いますね」
「そうだね……」
大学で姿を見せた後、そのままここへ足を運んだのだろうか。
耀は大学で姿を見た時のことを思い出しながら、何気なく辺りを見回した。しかし、あの時少女と居た女の姿は見当たらない。
「どうか、しました?」
「……眼帯の人は一緒じゃないの?」
「桜花さん、ですか? たぶん、公園のどこかには、居ると思いますけど……」
「公園……犬はまだ見つからない?」
「え?」
「あれ? 何か大きな犬を探してなかったっけ?」
少女は耀の言ったことが何なのか分からなかった様子だったが、それも一瞬のことだった。
「あ……」
すぐに思い出したようで、
「そう、ですね……まだ……」
そう言うと目を伏せて見せた。
その素振りは、明らかに怪しかったが、探していた当の本人がそう言うのであれば、そういうことなのだろう。耀はそう思い、特にそれ以上尋ねようとは思わなかった。
しかし、そこまで狭い公園ではないとは言え、数日も探索しているならば探す場所など残っていないのではないだろうか。何より、動かない物ならいざ知らず、生き物を探していると言うのなら、一箇所で探し続けるのは非効率的だ。
それなのに少女は未だこの公園で居る。
犬を探しているというのであれば、それはやはりどこか不自然に思えた。
――とは言え、自分には関係がない。
少女が何かを隠しているのであれば、尚更だ。無闇に首を突っ込むようなことを歓迎されるとも思えない。
耀はそれ以上会話をする内容も特に持ち合わせていなかったため、一言告げてその場を去ろうとした。
その瞬間、少女が様子を伺うようにしておずおずと尋ねてきた。
「あの、確か、この辺りを良く、通るんですよね?」
耀は言われて思い返す。以前出会った時にそんなことを言ったかもしれない。
「それなりには……家と駅を往復するのに、ここを通ったほうが近道になるから」
少女は少し耀から視線を逸らすと、僅かに逡巡する素振りを見せた。
が、沈黙はそう長くはなく、
「その……出来れば数日は、この辺りに近寄らないほうが、いいと思います」
再び耀に向けられた視線と共に、錯迷を感じさせる声でそう伝えてきた。
「え……なんで……」
唐突に告げられた内容に、耀は全く意味が掴めず尋ね返す。
だが、少女は言葉を濁して目を伏せるだけだった。同時に落ち着かない様子で髪飾りの装飾糸を弄り始める。
「それは――その……」
少女はそれきり沈黙してしまう。
突然そんなことを言われても、理由が全く分からない以上、角が立たないように流すことしか出来ない。耀が適当に相槌を返そうとした時だった。
恵那はゆっくりと耀へと視線を向けると、それまでの会話とは異なる真摯な表情を見せる。
そして、一呼吸の間を置いて、
「この辺りで連続して行方不明者が出てるんです」
突拍子がない台詞が口に出された。
「……え?」
耀が漏らした声は酷く間の抜けた響きを残して、迫り来る夕闇の中に溶けていく。
「多分……知らないと思うんですけど……」
「えっと……それって……」
少女の言うとおり、耀はそんな話題を耳にしたことがなかったし、街中でそんな不穏な空気を感じた覚えもなかった。突然そんなことを言われても、普段日常生活で意識することが無いような事柄では、それに現実味を覚えるのは難しい。。
耀の反応をある程度予想していたのか、少女は耀の内心を見透かしたように続ける。
「い、いきなりこんなこと、信じて貰えるとは思ってません、ただ……その……」
その言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
耀には少女が嘘を言っているようには見えなかった。かと言って、すんなりとそれを信じるだけの素直さはとうの昔に失っている。しかし自分に対してそんな嘘をついた所で、この少女に益があるとも思えない。
だとすれば真実なのだろうか。ただ、仮に真実だとしたら、注意喚起を促すような話が挙がっているはずだし、もっと園内の人影が少なくてもいい気がする。後者に関しては元々人が多いわけでもないので、そこからだけでは判断しにくいが、前者に関しては噂なり何なりで耳にしていてもおかしくはなさそうなのに、それもない。
それ以前に、目の前の少女はそんな危険があると分かっていて、ここで犬を探し続けているということになる。
少し考えただけでも、妙な点だけが浮かび上がっていく。
耀がどう応じたものか考えあぐねていると、脇から聞き覚えのある声がする。
「おや、少年。こんな所で出会うとは奇遇だな」
そこには昼間と変わらない格好の桜花の姿があった。
「まさか我々を追って来たわけでもないだろうが。家がこの辺りなのか?」
「え……そうですけど……ここを通り抜けるのが早いので」
「ふむ。ここで出会ったのも何かの縁か。ならば忠告しておこう。しばらくこの近辺で人気がなくなる時間に、人気が無い場所を訪れるのは避けることだ」
桜花は少女と同じようなことを口にする。但し少女とは違い、桜花の口調は他愛のない世間話をするそれと同様だった。
既にその話を聞いていた耀は、思わず気の抜けた返事を返してしまう。
耀のそんな反応を見た桜花はちらりと少女を一瞥した。
「ん? ひょっとして既に恵那から聞いていたか?」
そして耀が肯定するのを見ると、
「そうか、ならば話は早い。そういうことだ」
言って小さく頷いた。
そういうこと、と言われても、耀にはどういうことなのかがさっぱり掴めなかった。
しかし、次に桜花が口にした台詞は、耀の意識を惹きつけた。
「まぁ、確証が無いとは言え、少年もあの大学へ通っているのだから気をつけるに越したことはないな」
「俺も……?」
耀に訊き返され、桜花は恵那へと視線を向ける。向けられた恵那は小さく首を振った。「四月の下旬と五月の頭に二人の行方不明者が出ているんだが、その二人が少年の大学の関係者だったという話は聞いていなかったのか」
「え?」
「まぁ、現時点ではただそれだけ、という話だが。二人の共通点がその程度しか見つかっていないだけで、その関連性が偶然である可能性を否定できるわけではない。ただ、逆に必然である可能性を否定できるわけでもない以上、気にかけていても損はしまい。備えあれば憂いなし、と言うしな」
淡々と語られる桜花の話を聞いていても、耀はやはりどこか現実味を欠いた印象しか受けなかった。しかし語る眼帯の女性は、そんなこちらの内心など百も承知だったようだ。
「ふむ。信じられないという様子だな」
何故か桜花はそう言って微かに笑いを浮かべる。
「この国に限ったとしても、行方不明者は年間で数万人規模に及ぶ。それも正式に計上されているものだけでだ。そんなご時勢だ、人が居なくなるということはさして遠い世界の出来事ではないだろう。自分の身の回りで起こったとしても、そう疑う程のことではないと思わないか? とは言え、疑うのも無理は無い。それは君が今まで――」
「桜花さん。……桜花さん」
桜花が軽く腰へと右手を当てて髪をかき上げた所で、恵那が半眼になって名前を呼ぶ声が割って入った。
「――む……まだ話の途中なのだが」
「いえ、長くなりそうな上にどうでも良さそうなので、もういいです」
恵那はそれから遠慮がちに耀を見た。
「あの……そういうことなので、信じてくださいとは言いません。でも……少し気をつけてみてください。お願いします」
その表情は真剣な表情だったが、耀は曖昧な相槌を返してしまう。
「もっとも、そこまで神経質になることも無い。気にとめて置く程度で十分だろう。仮に少年が普段通りに生活していたとしても、その身に危険が降りかかる可能性は、恐らく日常生活で交通事故に巻き込まれる可能性と同程度だ」
さてと、と付け加え、桜花は「まだ用事がある」と言い残しその場を去っていった。
残された二人の間に奇妙な沈黙が降りる。
「あ、あの……わ、私も、これで……」
そう長い間ではなかったが沈黙に耐え切れなかったのか、恵那はそそくさと桜花の後を追って行ってしまう。
残された耀は、沈みかける夕日を背に受けながら、何とはなしに一人空を仰いだ。