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五月七日・3

「羽柴君?」

 不意に名前を呼ばれ、はっとする。

 耀が声のした方へと振り向くと、そこには不思議そうな表情を浮かべた玖珠葉の姿があった。

「どうしたの? ぼーっとしちゃって」

「あー……いや……」

 耀は曖昧に言葉を濁した形で相槌を打つ。

 玖珠葉は首を傾げていたが、

「ところで今から帰るの?」

 特に言及してくることも無く話題を切り替えてくれた。

「そのつもりだけど」

「やっぱり。私もこれから帰るところなんだ。駅、墨咲橋だよね? 一緒に帰らない?」

 そう言って微笑むと、玖珠葉はゆっくりと耀の隣を通り過ぎる。

 耀は促されるまま歩き出し、

「あれ、箕柳さんも?」

 尋ねながら自分が降りる駅を知られていたことにも疑問を覚えた。

「そうだよ。って、あの公園で会うくらいだし、意外と家も近かったりしてね」

 なるほど、と耀は納得する。

 あの公園でぼんやりしている所を目撃されているのだから、付近に住んでいると思われていてもおかしくは無い。自分に対して活動的な印象があるわけもなく、わざわざ離れた公園まで来るように思われてはいないだろう。

 学外へ出て、二人はバス通りに沿った歩道を駅へと歩いていく。

「そういえば、今日すごい変わった人が学内に居たみたいだね」

 その瞬間、耀の脳裏に一人の人物が浮かんだ。

「へぇ……どんな人だったの?」

「えーと、眼帯をしてて燕尾服? みたいなのを着てる女の人が居たみたいで」

「……」

「ちょっと近寄りがたい感じだったみたいなんだけど、格好良い人だったみたい。私もどんな人だったか見たかったな」

 確かに、日常ではまず見ない格好をしているとは言え、元が良いためか黙っていれば格好良くも映るのかもしれない。全く気後れせずに堂々としている分、余計にそう見えるのもありそうだ。見るだけであれば興味を惹かれる人がいるというのも、何となく理解は出来る。

 しかし肝心の中身があれでは、側で見る機会があったとしてもさぞ残念な結果になるだけだろう。

「羽柴君は見なかった?」

「へ? あぁ……見た、かな」

「え、見たんだ。どんな人だった?」

 耀の答えに玖珠葉は興味を示す。

「あ、いや。遠目でそれっぽい人を見ただけだったから……その人って大学の関係者なの?」

 人物像を説明するのが面倒に思えてしまい、咄嗟にはぐらかす。話題を変えようと、耀は気になっていたことの一つを尋ねる。

「そっか……うーん、大学に関係あるのかな。私も知らないや、どうなんだろ? でも、もしそうだったら四月の時点で噂を聞いてそうな気がするし」

「そりゃそうか……」

 まったくもってその通りだ。あんな強烈な人物が居たらさすがにどこかで耳にするに違いない。

「最初聞いたときは、二時限目の講義の時だったんだけど、四時限目の講義が始まる時にも聞いたから結構長いこと居たみたいだし。何してたんだろうね」

 ということは、もしかすると今朝会った後すぐに大学構内を徘徊していたのだろうか。

 耀は一緒に居た恵那という少女のことを思い出す。つい先ほどの出来事を考えると、あの少女も学内に居た可能性が高い。

「別の学科の人に聞いてたら、何か判ったりしたのかな」

 玖珠葉の残念そうな呟きを聞きながら、耀は視線を中空へと放り投げた。

 大学へ何かを仕掛けに来たという感じでもなかったが――

 と、そこで二日前の出来事思い出す。

『この辺りで大きな……犬を見たり、そういう話を、聞いたことってありませんか?』

 確か少女はそう言っていた。大学まで犬を探しに来たというのだろうか。

「羽柴君?」

 横から呼ばれ、ぱっと振り返る。

「結構ぼーっとしてること多いよね。歩いてるときくらい気をつけないと危ないよ?」

「……ごめん」

 隣に人が居ることを一時忘れていた耀に対し、玖珠葉は気分を害したわけでは無さそうだったが、僅かに表情を曇らせていた。そして何かを言いよどみ、いくらかの沈黙を挟んで玖珠葉が尋ねる声がする。

「一緒に帰ろうとしたのは、迷惑だったかな?」

「え、いや。そんなことないよ」

 耀は慌てて否定する。とは言え、嬉しいかと訊かれても肯定出来るほど感情を抱いていない、というのが正確なところだったが。何にしてもそんな彼女の姿を見て、遼平に言われたことが頭を過ぎった。

 ついさっき声をかけられた時も、自分は相手に気がついていなかった。遼平が言うには、他の誰かであれば、彼女はそのまま通り過ぎていると言うことだったが、本当にそうなのだろうか。無神経な相手を気遣う様子すら見せる彼女の姿を見ていると、到底そんな想像が及ばない。

 そもそも、耀は自分がそんなに興味を持たれることに対して懐疑的だった。

 玖珠葉のように自然な笑顔で振舞えないし、遼平のように積極的な社交性を発揮できるわけでもない。聞き上手というわけでもなければ、自分のことについて話す材料もない。興味のあることがない上に、目を向けようとしないため会話の引き出しが絶対的に少ない。

 その場に合わせて取り繕うだけの人間が、誰かの意識を惹きつけるとはどうしたところで思えない。

 考えれば考えるほど、ただ単に殆どの場合玖珠葉が先に気付かれるため、そう見えていただけな気がしてくる。

「って言うか、むしろ俺の方が……」

「え?」

 耀は口ごもる。

 自分がどう見られていてもあまり気にすることはなかったが、自分の誉められない部分を自ら告白することには抵抗があった。

 まごつく耀の姿を見て察したのか、玖珠葉は穏やかに微笑んだ。

「別に、一緒にいて退屈だとか嫌だとは思わないよ?」

 唐突に核心に触れられて、耀は一瞬鼓動が強く打つのを感じ、言葉にならない微かな声を漏らす。

「だって別に会話にならないわけじゃないし、相手を不快にさせるわけでもないし。もし羽柴君が相手によって態度を変えてて、今の様子だったらちょっと嫌かもしれないけど、そう言うわけでもないでしょ?」

 玖珠葉は小気味よく笑って、

「それに確か前に公園で会った時も言った気がするけど、私、騒がしいのが実は苦手だったりするし。あれこれ絶え間なく話し掛けられるよりは、ちょこちょこ会話が途切れるくらいの方が気が楽だったり」

 力を抜くようにして息を吐き出す仕草を見せた。

 会話の中心にいた経験がない耀には、その感覚が理解できるわけもなかった。しかし、玖珠葉の見せるその表情は、とても気遣いからくるその場限りの嘘を言っているようには見えない。以前公園で言っていたことも含め、それは全て事実なのだろうか。

 耀があれこれ考えていると、

「でも、一番大きいのは、あんまり他人に興味なさそうな所かな」

 玖珠葉が思いがけないことを口走った。

「え?」

 思わず聞き返した耀の声には、戸惑いの色が混ざっていた。

 玖珠葉と目が合い、覗き込まれているような錯覚を覚える。

 しかしそれも気のせいかと思わせるように、玖珠葉はすぐに冗談を言う様子を見せた。

「……だって、他人に興味を持つ人が黙り込んでたら、怒ってるのかなとか、嫌われてるのかな、って思っちゃうでしょ?」

 言われて耀は目を瞬かせると、苦笑してしまう。

 自分のような性格であれば、沈黙があまり重石にならないということか。確かに遼平のような人物と一緒にいて相手が黙り込んでいれば、不自然に思えてしまうかもしれない。沈黙をあまり気にせずにいられると言うのは彼女にとっては貴重らしい。

「あ、ちょっとチャージしてくるね」

 そう言うと玖珠葉は券売機の方へと小走りで向かって行った。


 二人がホームへと階段を登ると、丁度電車が到着するところだった。そのまま乗り込み、二人は逆側の扉付近へ向かう。

 玖珠葉が手すりを掴もうとした時、耀はふと目を留めた。その視線に気付いたのか、玖珠葉は照れが混じった苦笑を浮かべる。

「あー……やっぱり、ちょっと目立つかな?」

 そう言って上げた片手では、象牙色のロングカーディガンの袖口がほつれていた。

「俺が気付くくらいだから、多分」

「あはは……今日大学で引っ掛けちゃって……結構お気に入りだったから凹む……」

 珍しくしょげて見せる玖珠葉にフォローのしようも思いつかず、耀は曖昧な相槌で答えるしかなかった。

 気に入っている服という時点で、自分には分かりようもない感覚だ。

 多くもない会話を交わしていると、すぐに降車する駅へと到着する。二人が駅を出てからしばらく歩いた所で玖珠葉が立ち止まった。

「あ、私こっちだから。それじゃ、羽柴君。またね」

 にこやかに手を振られ、耀も僅かに笑みを見せ応える。

 一人になった途端、知らずため息が漏れていた。

 彼女と一緒に居ることが疲れるわけではない。ただ、遼平の話を聞いてしまったがためにどうしても、不信感とは言えないまでもそれに近い疑念を覚えてしまう。こんな自分が、と卑下するわけではないが、彼女の話を鵜呑みにして全てに納得出来るほど素直な人間ではない。

 とは言え、考えたところで意味があるとも思えないし、答えが出るはずもなかった。

 耀は軽く首を回し、帰路を歩き出した。

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