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五月七日・2

 連休明けの講義が全て終わり、耀が掲示板をチェックし帰宅しようとしていた時だった。

「よ、今から帰るのか?」

 同じように掲示板を見に来たのか、遼平が片手を挙げて声をかけてくる。

「そうだけど……誰か探してるの?」

 辺りを見回す相手に、答えは分かっているが、と思いつつ尋ねる。

「いや、箕柳さんも居るのかな、と」

「だから今朝も言ったじゃん。偶然会っただけだって」

 遼平は特にからかうわけでもなく、ただ純粋に気になっただけと言った様子だった。

 耀が玖珠葉と出会った後、遼平には問い詰められて一連の出来事を話している。何をする訳でもなく時間を浪費していたら、その場所がただ偶然彼女の散策ルート上だったというだけのことだ。それ以下でもそれ以上でもない。

 しかし、そんなつまらない出来事の何が気になるのか。遼平は何故か自分と玖珠葉の接点を探したがっているようだった。

「まぁ、そのことに関しては納得したけどさ。お前がどう思ってようと、箕柳さんがお前を気にしてるのが非常に気になる。っていうかすげー恨めしい」

「は?」

 冗談めいた仕草で、ぐっと握りこぶしに力をこめてみせる遼平の言葉を、耀は理解出来ずに訊き返してしまう。

 そんな耀の反応に、遼平は呆れた表情を浮かべていた。

「お前は周りを見てないからな……」

「それは……まぁ否定できないけど……でも何で箕柳さんが? っていうか何を根拠にそんなことを……」

「連休中のこともそうだったけど。お前、今朝挨拶されてたじゃん?」

 言われて今朝の事を思い返す。

 確かに耀は一時限目の講義で玖珠葉と顔を合わせた時に挨拶を交わしていた。しかし、それだけだ。出会ったのは講義が同じであったと言うだけだし、一度でも会話を交わしたことがあれば挨拶くらいはするだろう。顔を知ってる程度の相手に社交辞令を交わすようなものだ。第一、挨拶はおろか会話をしている人だって多くいるわけで、挨拶だけで終わる自分が気にされていると言われてもぴんと来るはずがない。

「お前だって挨拶交わしてたじゃないか」

「俺は、俺から挨拶してたんだよ。お前は挨拶されてたんだって」

「どっちが先に気付いたかってだけだろ?」

「普通はな」

 気付いた方が声をかける。気付いていないのなら声をかけるという選択肢自体出てこないのだから当たり前だ。普通も何も、気にかける部分が存在しない。

 耀の疑問が顔に出ていたのか、遼平は軽くため息をついた。

「箕柳さんて、自分から意識を相手に向けるってことがない気がするんだよ」

「……自分からは声をかけないってこと?」

「いやいや、そうじゃなくて。なんつーかな……」

 遼平は腕を組んで小さく呻き、

「例えば……俺が歩いてて、前からお前が歩いて来てるとして。普通ならどっちかが気付くだろ? ……まぁお前と俺だと百パー俺が気付く羽目になると思うけど」

 そう言って気を許した様子で笑う。

 耀も恐らくそうだろうと思いつつ苦笑いを浮かべた。

「ま、それはどうでも良いんだけど。箕柳さんはそんな感じっつーか。相手が気付かない限り絶対に自分からは意識を向けないと言うか……」

 言われて耀は一瞬考える。

「でも、それ、俺が箕柳さんに気付くのが遅かったってだけじゃないの?」

 出てきた答えは自分の無関心ぶりに起因するものだった。

 箕柳玖珠葉は目立つ。その理由は主に容姿だったが、人当たりのよい性格と共に他人――特に男から――好意を持たれることは多いように思えた。そんな存在感のある相手であれば、殆どの場合、見た者が先に気付くのもそう妙なことではないはずだ。遼平が言う「箕柳さんは自分からは意識を向けない」というのも、ただ単にその結果そうなっているだけではないのだろうか。

「まぁ……そうかもしれねーけど。相手が気付いてなければ、わざわざ自分から相手の意識を向けようとしない気がすんだけどな」

 耀には遼平の言うそのことは理解出来た。自分がそのタイプの人間であるからだ。

 しかし、玖珠葉がどんな人物なのか知るわけもなく、遼平の意見が妥当であるかどうかは全く分からなかった。

 むしろ、あれだけ社交的な人間が自分のような性格を内包しているとは考えにくいというのが本音だった。

 どちらにしても、正直なところ耀にとってはそんなことは関係がないわけで、逆に今の話を聞いていてそれ以上に気になる点が一つ生まれていた。

「と言うか」

「ん?」

「お前、そんなに箕柳さんのこと見てたの?」

 呆れ半分冗談半分で言った言葉に、遼平は何故か得意げな表情になる。

「俺は相手に気を遣う奴なんでね。人のことはよく見てるのさ」

「……可愛い子限定でか?」

「お、実はお前も俺のことをよく見てる?」

 関心した様子の遼平に、耀は乾いた笑いで答えることにする。

 相変わらずどこまでが本気でどこまでが冗談だか分からない友人だ。

「っと、掲示板見に来たんだった。なんかあったか?」

「いや、特には何にも」

「そっか。連休明けっても、特に何かあるわけじゃないんだな」

 遼平が「確認することも無いなら」と掲示板を背に歩き出す。それに続く形で耀がゆっくりと歩き出すと、前方から遼平を呼ぶ声がした。

 どうやら同じサークルの知人のようだ。二言三言交わすと、「んじゃ、また後で」と言って相手はその場を離れていった。

「さてと、それじゃ俺はサークルに顔出す前に何か軽く食ってくるわ」

「あぁ。それじゃ、また」

「おぅ、また明日な」

 片手を挙げて、遼平は学食のある建物へと向かっていった。

 確か遼平はテニスサークルと料理研究サークルの二つに所属していたはずだ。本人曰く、運動系のサークルと文化系のサークルを体験してみたかったらしい。幾つかのサークルを覗いた結果、運動系ではテニスサークルとは名ばかりの何でもありなごった煮サークルを、文科系では実利になりそうだけど興味がなかった料理に関するサークルを選んだようだ。

 前者はともかく、後者の料理研究サークルに入った理由が「興味がなかったから」というのが、耀には理解できそうにはなかった。

 興味がなかったからと言って、興味が持てないというわけではない。

 それは分かるが、興味がないものに対して興味を示そうとするきっかけを、自分で作れるだけのバイタリティとメンタリティが何処から沸いてくるのかが不思議でしょうがない。

 耀はぼんやりとそんな事を考えながら歩いていると、

「やぁ、少年。今から帰りかな?」

 後ろから印象に残っている声が聞こえて振り向く。

 予想通りの人物が、予想もしていない場所にいたため、耀は驚いて思わず尋ねてしまう。

「え、何で、ここに……」

 耀のもっともな疑問に、桜花はふっと遠くを見る仕草を見せる。

「残念ながらその質問に答えることは出来ないな。もし答えてしまったら、少年の身にも危険が及んでしまう可能性がある」

 ――何か会話が噛み合わなさそうな人だ。

 耀は早々に断定しても良さそうな確信を覚え始めていた。

 今朝初めて出会った時から薄々感じてはいたが、この人とは話のベクトルが合わない気がしてならない。

 言葉を失う耀にはお構い無しに、桜花は一人話を続けている。

「しかし大学とはやはりいい所だな。思わず過去を振り返ってしまったよ。人生のゴールデンウィークとはよく言ったものだ。長く過ごしやすく、気ままに振舞える時間に身を置ける。その後に来る過ごし難き辛苦なる夏を超え、過ごすに楽となるかに見えればどこか寂寥とした秋を向かえ、そしてそれまで培ってきたものを抱えてひっそり眠りへとつく冬が来る。誰が言い出したのかは知らないが、ずいぶんと面白い喩えを思いついたものだ。もっとも、四季の変化を背負わずして過ごすことも可能な時代ではあるが……この期間を貴重だと感取しないままに過ごしていくのは勿体無いものだ」

 昔を懐かしむようにして独白を続ける桜花。

 通り過ぎる学生の視線を浴びることが増えてきたが、その眼帯の女性は全く意に介する様子もない。

「とは言え、はたしてそのことが不幸であるかどうかは断定できる由もない。後来するかもしれない茫漠な可能性を見つめようとするあまり、現在という至重な一幕を楽しめないのであれは、それは本末転倒でしかないのだから」

 桜花は詠う様に並べた言葉をそこで切ると、耀の方へとゆっくり視線を向け直す。

「そうは思わないか? 少ね――」

「桜花さん!」

 そこで名前を呼ぶ声に割って入られ、桜花はやれやれと言った風に左目を閉じ短くため息をついた。

「もー! 人を困らせて何やってるんですか!」

「お言葉だな。ちょっとした世間話をしていただけと言うのに」

 後ろから来る恵那を一瞥し、桜花が肩を竦める。

「桜花さんの世間はこの世界じゃ通用しません――って、あれ……」

 きっぱりと言い放つ恵那が、耀の姿に気がついて瞬きを見せる。耀はと言えば相変わらず言葉を挟むタイミングを逸してしまっていて、目の前の光景を眺めるだけになっていた。

「ご、ごめんなさい。桜花さんも、べ、別に、困らせるつもりがあるわけじゃないんです」

 恵那が小さく頭を下げる。

「え、あ……いや……」

 咄嗟に言葉が出てこずに、耀はそう返すのが精一杯だった。

「だから普通に話していただけだと言っているのに……」

「何でもいいですけど、ただでさえ目立つんですからもう少し人目を避けて下さいよ」

「ふむ。これでもひっそりと行動しているつもりだったのだが」

「冗談は服装と立ち振る舞いと言動だけにしてください」

「それら全てをひっくるめて私という存在である以上、それを冗談と一蹴されるのは心外だな」

 桜花は恵那とのやりとりで、心底残念だと言わんばかりに気落ちしたため息をついて見せる。

「そんな調子だから、秋慈(しゅうじ)さんにがっかり美人だなんて称されるんですよ……」

 恵那は呆れた様子で呟き、

「って、ほら! もう行きましょう!」

 桜花の背中を押して歩き出そうとする。

 耀はそこで我に返り、周囲の視線を集めていることに改めて気がついた。恵那の様子を見る限り、彼女は桜花と違い周りの視線が気になるようだった。

 去り際に恵那が振り返り、小さく会釈をする姿が見えた。

 二人が去った後、一人残された耀は脱力しながら長く息を吐き出す。

 一体何だったのだろう。あの二人がここの学生だとは思えない。桜花の発言からも恐らくそれは間違っていない。

 学内外の出入りに関して学生証の提示を求められるようなことがない以上、部外者であっても容易に敷地内を出入りすることは出来る。さすがに実験施設や一部の運動施設等の許可が必須である場所は無理だとしても、それ以外であればともすれば講義でさえ受けることが可能だろう。

 だが、耀にはあの二人がそんなことをするためにここを訪れたようには、どうしても思うことは出来なかった。

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