五月七日・1
連休明けの月曜日。耀は二駅先の大学へ向かうため電車を待っていた。
やがて各駅停車が停まり、電車へと乗り込む。平日の八時四十分、上りではあるが元々それほど混み合う路線でもなく、時間帯も相まって車内はそれほど混んではいなかった。
いつものように、降りる駅で開くのとは逆側の扉付近へと向かうと、どこか聞き覚えのある声が耳に入った。
「あ……」
そこには以前遊歩道で出会った少女の姿があった。
「あれ? この前の」
「その……先日は、ありがとう、ございました」
「いや、別に。何か有用な情報を知ってたわけでもないし」
少しして、耀はふと遼平の話を思い出す。
「そういえば」
その言葉が少女へ投げかけたものだと伝わったのか、少女が視線を耀へと向ける。
「一昨日会った時に探してた犬と関係があるか分からないけど、連休初日……だから三日か。の夜に、あの公園のバス通り側で犬の遠吠えを聴いたって言ってた奴がいたよ」
「遠吠え、ですか?」
「らしいよ。俺も直接聴いたわけじゃないから詳しくは分からないけど。日付が変わるくらいの時間だったみたい」
「……」
少女は窓の外へと視線を移し、髪飾りの装飾糸をいじり始めた。
そしてその後はお互い一言も発することなく、やがて電車がいつもの降車駅のアナウンスを開始する。
目的の駅に到着し耀が降りようとすると、意外なことに少女も同じ駅で下車する様子を見せた。
「あれ、ここで降りるの?」
「あ、はい。用事が、あるので」
耀の知る限り、この駅周辺には高等学校や中学校は無いはずだ。見た感じでは高校生かと思っていたが、まさか同じ大学の生徒なのだろうか。
と、改札を通り抜けた所で一人の女性が、道行く人の視線を一身に集めていた。耀もその例に漏れず、その女性を眺めてしまう。
女性にしては長身で、腰程まである癖の無い長髪が風にあおられ時折翻っていた。少し遠目だが恐らく美人なのだろう、凛々しい表情と凛とした佇まいは、普通であっても人の気を惹くには十分だった。
しかし、その女性が今人目を引いているのはそのどの要素でもなかった。
地面に擦れるのではないかと言うほど裾の長い、燕尾服のようなツーテールを持つ黒基調のコートに、同色のタイトなパンツ。それと対比するような白いシャツは、腰元でスタイルを強調した後に腰元にかけて裾が広がっている。そして何より、右目を被った眼帯がその女性の存在を際立たせていた。
医療用の眼帯ではなく黒い仮装用の眼帯のその女性は、麗らかな平日の光景の中でただ一人、明らかに浮いている。
そんな珍しい人物に視線を奪われていると、眼帯の女性が突如こちらへ向き直った。目が合ってしまったように思い、耀はぎょっとしたが、どうやら彼女の目当てはその後ろに居る少女だったらしい。
「おや、随分と早かったな」
眼帯の女性が少女へと歩み寄る。
「そうですか? っていうか桜花さん、ただでさえ目立つんだから少し離れたところで待っててくださいよ」
桜花と呼ばれた眼帯の女性が周りの好奇の視線を集め、それを全く意に介していない様子を見た少女が嘆息する。
「待ち合わせなら分かりやすい所にいた方が良いだろう」
「大体何処にいても目立つからそんな心配しなくていいです――あ」
そこで少女は耀の存在を思い出したのか、振り返りぺこりと頭を下げた。
「それじゃ、私はここで。さっきの話、ありがとうございました」
「あ、あぁ。うん」
桜花の存在に呆気にとられていた耀が我に返ると、それを見ていた桜花が興味深そうな視線を耀へと向けた。
「ほぅ。少年、恵那の知り合いか?」
「え? あ、知り合いというか……」
耀はまさか話し掛けられるとは思っておらず、なんと答えて良いかわからないまま口ごもる。
「聞き込みの時にちょっとお世話になった人です」
「ふむ」
少女の説明に、桜花は耀をじっと見つめた。
立ち去るタイミングを逃してしまった耀はたじろいでしまう。
「あ、あの……?」
「桜花さん?」
二人に問われ、桜花はふっと意味ありげに微笑むと、
「いや、失礼。恵那が誰かといるのが珍しかったものでな」
そう言って耀から視線を外した。
「……私のことはどうでもいいでしょう」
恵那の言葉に、桜花は一度静かに左目を閉じた。
「そうだな。少年、時間をとらせてすまなかった」
桜花はそう言い、恵那が小さく頭を下げる。
会話に入れずにいる耀が戸惑っていると、桜花は妙な言葉を去り際に残していった。
「では、少年。また会おう」
――え? また?
疑問を訊きそびれたまま、耀は二尾のテールコートを眺めていた。