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五月五日

 玖珠葉と出会った二日後の五月五日。耀は再び同じようにベンチに座っていた。但し先日のように目的もなくぶらついて居るわけではなく、隣に居る人物に誘われて来ていた。

「……」

「……」

 二人は特に言葉を交わすこともなく、ただ座っていた。

 かれこれ十分程はこうしていただろうか、痺れを切らせたようにして相手が声をかけてくる。

「なぁ、箕柳さん、来ないんだけど」

「俺が知るわけないだろ……」

 隣に座る遼平が漏らす不平に、耀は疲れた様子でため息をついた。

「何が悲しくて野郎二人でベンチに腰掛けてなきゃならんのだ!」

「同じ台詞をそっくりそのまま返したいね」

「ここに居れば会えるって言ったじゃねーか!」

「いや、言ってないから……」

 二日前、耀と玖珠葉が一緒に居る所を目撃した遼平が、その日の晩に電話を掛けてきた。携帯のディスプレイに遼平の名前を見た時点で、耀は何となく相手の用件に察しがついていたが、やはり予想通りの内容だった。

 遼平は開口一番「箕柳さんとの関係を教えて貰おうか!」と、妙なテンションで問い詰めてきた。

 耀が、関係も何も偶然出会っただけだったことを伝えると、遼平は「じゃぁその場所で待ち伏せてりゃお近付きになれるんじゃね?」と即断し、その場所と時間を教えることとなり今に至る。

 確かに散歩が趣味だと、玖珠葉本人から聞いてはいたが、同じ時間に同じルートを通るかどうか知っているわけではない。そもそも、そんなに頻繁に散歩に出ているのかどうかすら定かではないのに、隣に座る男はその辺りの事実には耳を貸さずに待ち伏せを強行した。

 結局詳しい場所を教えるためにかり出され、こうして先日の場所へと案内をする羽目になっている。

 場所を教えたら帰っても良かったのだが、そうそう期待通りに行かないだろうと思っていた耀は、せめてこの友人の目論見が外れたときに笑ってやろうと思い居座ることにした。

 だが、実際その目論見が外れてみると非常に虚しく、相手よりも自分を笑ってやりたい気持ちに変わっていた。

「だから言っただろ……」

 耀は脱力するようにベンチに体重を預け、以前指摘したことを繰り返す。

「毎日散歩しているのかどうかも、同じ時間にここを通るかどうかも分からないんだから、無駄になる可能性の方が高いんじゃないのって」

「可能性が低いからと言って、何もせずに待っていることなんて俺には出来なかったのさ……」

 指摘された遼平は、良いことを言った風な表情で遠くを見つめる素振りを見せている。

「って言うかさ。第一に、明らかに待ち伏せしてました、って状況でお近付きになるも何もあったんもんじゃないと思うんだけど。それに顔合わせるだけなら、どうせ同じ講義取ってるんだしその時にすりゃいいんじゃないの?」

「お前は何も分かっていない」

 言って遼平は何故か相手を諭すように続ける。

「そんなことしたって、そんなのいくらでも声掛けてくる有象無象の印象にしかならないだろ。一対一で話せるならまだしも、学内じゃそれは難しいだろうし」

「悪い印象を与えるくらいなら、いっそ有象無象の印象の方がいいんじゃないのか……」

「悪い印象になるかどうかなんて、やってみなきゃわかんないじゃねーか」

 遼平はそう言いながら自信有りげににやりとして見せる。

 あるいはこの男なら、きっかけがどうであれ良い印象にまで持っていけるのかもしれない。

「しかしまぁ、こんな所で男二人で日向ぼっこしてても虚しいことこの上ないし、昼飯でも食いに行かね?」

「そうしようか」

「何か食いたいもんある?」

「特には……」

「そんじゃとりあえず駅前向かいながら考えるか」

 遼平が歩き出すのを見て、耀も後を追いかける。

「それにしても、もう明後日から講義か、早ぇなぁ」

「そう言えば今年のゴールデンウィークって短いんだっけ」

 今年のゴールデンウィークは短い、三日木曜から六日日曜までの四日間。早くも残すところあと一日だ。

 耀は何となく連休中のことを思い出してみる――と言ってもたかが二日程度だったが。

 三日に玖珠葉と出会った後は、やはりいつも通りだらだらと過ごしているだけだった。特に予定があるわけでもなく、今日だって遼平に引っ張り出されなければ部屋でごろごろとしているだけだっただろう。

 やりたいことがあるわけでもなく、ただ何となく過ごすだけの日々。

 前を行く友人を眺める。

 付き合い始めて一ヶ月だったが、やりたいことを見つけて、そこに向かって自分の足で走っていける遼平を、耀は少し羨ましく感じていた。

「ま、短いってことは五月病にもかかりにくいし、丁度いいっちゃ丁度いい気もするけどな」

「五月病ね……」

 耀には正直なところ五月病と言われてもぴんと来るものが無かった。

 連休に入る前、幾つかの講義で「連休が終わって講義に来なくなる学生が毎年居る」と言われたことを思い出す。毎年ゴールデンウィーク明けに、そう言った学生がちらほらと出てくるらしい。別に大学生活に限ったことではないと思うが、あまり連続したゆるい生活を送っていると、いざ日常に戻ろうとしても心がついて行かないのだろうか。

 幸か不幸か、休日だろうと平日だろうとあまり物事に興味を持てない耀にしてみればその気持ちは分からない。むしろ外側からアクションがある分、平日の方がまだましに思えるくらいだった。

 二人は他愛のないことを話しながら遊歩道を歩いて行く。

「しかし、この遊歩道、全っ然人居ないのな」

 しばらくして、遼平が半ば感嘆の気持ちを込めたように辺りを見回した。

 この遊歩道へ足を踏み入れてから今まで、二人は自分たち以外の人の姿を全く見ていない。遊歩道自体は整備されていて、左手に見える雑木林と右手に見える川面とで視覚的にも散歩道としては悪くない気がするのだが、あまり利用されてはいないようだった。

「タイミングもあるんじゃないの? それに遊歩道なんて、裏道にでもなってないなら何処もそんなに人が行き来する場所でもなさそうだし」

「まぁ言われてみりゃそうかもしれないけどさ」

「公園の散策道なんて、そもそも賑やかさを求める場所じゃないだろうし」

「そうだ……本来なら今頃、この物静かな空間で箕柳さんと一緒だったはずだったというのに……」

 一体何が本来だと言うのか。

 耀が半眼になって嘆息していると、遼平も同じようにため息を吐いた。

「何処で間違って男二人並んで歩くことになってしまったんだ……」

「とりあえず、最初から何もかも間違ってるからこうなったんだと思うけど」

「具体的には耀が箕柳さんと出会った辺りからか」

「遼平がフットサルに行く前に、一人で昼飯食べてた辺りじゃない」

「それは友人が楽しく可愛い子と談笑してるのを横目に、一人寂しく昼食を食べてた俺への挑戦――ん?」

 遼平の声が途中で途切れる。

 耀の意識もそれまでの会話から、前方の光景に移っていた。

 二人の意識を引き付けたのは、少し先の雑木林から遊歩道へと飛び出してきた人影だった。

 高校生くらいだろうか。現れた人影は耀達より少しだけ年下に当たるくらいの少女に見えた。到底雑木林で遊ぶ年齢には見えない。

 彼女は雑木林から飛び出てきた後、雑木林を振り返り眺めていた。

 二人がそのまま歩いていると、近づいて来る人影に気がついたのか、少女はこちらを振り返る。

 その視線を受けて、耀は先日の一件を思い出した。

 ――確かあの時雑木林に居た……

 あの日見た人影は一瞬で、今目の前に見える少しつり目がちの大きな瞳、通った鼻筋に幼さを残す口元、バランスの取れたその顔立ちを目にしても、記憶とはすぐに結びつかなかった。

 しかし、陽の光を受けて煌いた頭上の何かと相手をじっと見つめるその佇まいが、耀にあの時の光景を思い出させていた。

 少女はこちらを見つめている。

「なんか見られてるな」

「あんまり人通りが無いところだし、男二人で警戒されてるんじゃないの」

「んー……まぁ確かにちょっとガードが硬そうな子だ」

 そんなやり取りをしつつ二人は歩いていく。

 少女との距離が詰まり、耀はそこで初めて頭上で光を反射するものが髪飾りだと言うことに気がついた。

 艶やかな黒い髪をトップで留めて後ろへ流している。頭頂部のやや後ろで髪をまとめているその髪飾りは、星をあしらった宝石のような物で装飾されていて、シンプルな服装をしている中にあって少しだけ浮いて見えた。

「あの……」

 唐突に、少女が声を掛けてくる。

「え?」

 まさか声を掛けてくるとは思っていなかった耀は、思わず声を漏らしていた。隣を見れば遼平にとっても予想外の出来事だったのか、驚いた表情を見せていた。

「あの……一昨日もこの辺りに居た人、ですよね?」

 少女はおずおずと、消え入りそうな声でそう尋ねてくる。

 耀は、心当たりの無いだろう遼平がちらりとこちらを見る気配を感じた。

「確かに居たけど……」

「その……良く、この公園に来たり、するんですか?」

 訊かれて耀は一瞬考え込む。

 彼女の指す「良く」という頻度がどの程度を指しているのかもわからなかったが。何より質問の意図が掴めずに、少なからず困惑していた。

「良くって言うか……駅に向かう時には公園自体を抜けるけど。あ、でもここを通ったって言うのなら数えるほどだよ」

「そう、ですか」

 そう言って少女は髪飾りから伸びる装飾糸と左手で弄びつつ、逡巡する様子で小さく俯いた。

 耀と遼平が顔を見合わせていると、少女がすっと顔を上げる。

「あの、この辺りで大きな……犬を見たり、そういう話を、聞いたことってありませんか?」

「大きな犬? って、大型犬ってこと?」

「あ、いえ。……それより大きいというか……明らかに大きすぎると、判るくらいの……」

 言葉を選びながら話す少女の素振りはどうにも不審だったが、尋ねるその姿勢は真剣そのものに見えた。心当たりがあればそれに答えていただろう。しかし、誰かが散歩させている大型犬を見た覚えはあっても、少女が探しているだろう大きな犬については耀には心当たりは全く無かった。

「立ち上がったら大人の顔に届きそうなくらいの大型犬を連れてる人なら見たことがあるけど……」

 恐らく違うだろうとは思いつつ答える。

 だが、やはり期待する答えではなかったようで、少女は力なく首を振って見せた。

「うーん……ごめん。そのくらいしか」

「いえ、ありがとう、ございます。こちらこそ、突然、すみませんでした」

 ぺこりと礼儀正しく頭を下げて、少女は耀達が来た方向へと歩き去っていった。

「可愛い子だったけど、なんだったんだろうな、妙に真剣だったし」

 その姿を見送りながら、それまで黙っていた遼平が口を開いた。

「さぁね……って、珍しく会話に参加してなかったな」

 可愛いと思っていたのなら、会話に入ってきそうな遼平がそうしなかったことを、耀は意外に思っていた。

「ん? まぁ冗談めかして入れる感じじゃなかったからなぁ。その犬に関して何か心当たりがあるわけでもないし」

「……意外と気が回るもんだな」

 ふっと口元を緩める耀の反応に、遼平は心外だと言わんばかりに大仰に首を振って否定の意を示した。

「いやいや、俺ってめっちゃ空気読む男ですよ? 相手の気持ちを察する男ですよ?」

「へぇ」

「うっわ、なんつー冷たい反応。せめて突っ込んでくれよ」

 普段の下らないノリの中、二人は駅へと歩き出した。

「あ――」

 歩きながら、遼平が思い出したように呟きを漏らす。

「ん?」

 耀が視線を向けると、遼平は何かを思い返すように辺りをゆっくりと見回した。

「そういやさ、一昨日フットサルでこっちに来てたんだけど。って、まぁ知ってますよね! 俺が一人寂しく昼飯食ってるのを見てましたもんね!」

「なんなんだよ、いきなり……」

「いや、ちょっとガラス越しに見てた風景を思い出したもんで……ってまぁ、そんな事はどうでもいいんだ。んで帰るときにさ、電話してたら犬の遠吠え? みたいなのが聴こえたことがあったな、と思って」

「遠吠え? 帰る時って言うと夕方くらい?」

「いや、日付が変わるちょい前くらい。何時だったっけな」

 言いながら遼平は携帯の履歴を覗いていく。

「二十三時四十三分だな。まぁ実際ほんとに遠吠えだったのかどうかは分からんけど。それっぽく聴こえたってだけで」

「なるほど……て言うか、さっきの子がいる時に言ってあげろよ……」

「しょうがないだろ、今思い出したんだから。犬が吠えてても珍しいわけでもないし、そんなにぱっと思い出せなかったんだって」

 残念そうな苦笑いを浮かべて遼平は頭をかいた。

「この辺りだったの?」

「バス通りの方だったな。公園に面したとこ」

「あの子も公園探してたし、公園に住み着いてたりするのかね」

「かもしんないな」

 猫ならたまに見かけることがあっても、犬は散歩以外で見かけた覚えがなかった。もし野良犬が居るとすれば、わりと目立つような気はするのだが――

 耀は何気なく左手に生い茂る雑木林をを眺め、ぼんやりとそう思った。

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